2015年12月20日日曜日

練習場より 2015.12.20号 - 最期の角度

今週のゴルフダイジェストには、ウィークグリップの特集がある。ウィーク、ストロングとグリップにも色々あるようだが、ようは左手の角度になる。クラブに対して、内回りに回り込んでいるか(強く右に回転しているか)、逆に開いているか。軸に対する角度の問題である。

スタンスの時に、ボールに対してクラブがまっすぐであるか、少し後ろに位置するか、ハンドファースト、ハンドレイト、ハンドフラットなどボールと手の角度の問題である。

ボールとクラブがフラットの場合、振り上げたクラブをその位置に戻せば、必ず飛翔方向に対してまっすぐに当たるので、その方向に弾かれるはずである。


ハンドファーストの場合、元に位置に戻しても、クラブとボールの間には角度があるため、この角度を正しく処理しないと、狙った角度ではボールに当たらない可能性がある。


それでも、ハンドファーストがスイングで重要なのは、スタンスの位置に戻って、ボールに当たるまでの、角度にして 5 度、距離にして 10cm 未満において、急激な加速が得られるからだろう。

ゴルフでは構えた場所に戻すまではゆっくりと正確さを意識すればよい。重要な加速は、スタンスの位置に戻ってから、ボールに当たるまでの短い間に起きるのではないか。

それは手が固定され、クラブだけが回転するイメージである。投石器、投槍器(How to throw | The World Atlatl Association)と同じメカニズムで加速するに違いない。この数度の間に発生する力こそが、クラブのほとんど全てと言ってよく、それ以外は、助走である。筋肉の瞬発力も、力みも、この一瞬に賭けるべきである。

だからどの程度のハンドファーストにするか(それともフラットにすべきか)は、距離と方向性から決めるべきであろう。

腕を畳むように打つには、全体の流れが重要になる。いきなり畳んでも上手くはいかない。スイングの最初からイメージしておくべきだ。その中に力む瞬間がある。スタンスの位置に戻り、そこからほんのわずかな場所で爆発するためである。

スタンスの位置からボールまでの間に最大のパフォーマンスを発揮するには、どういう体勢を取るべきか、それはよく素振りしたり、ワッグルで感覚で掴むしかない。

2015年12月13日日曜日

練習場より 2015.12.13号 - 力みと腰入れ

全体の流れでものごとを把握すると言うのは、囲碁であったり、ダンスであったり、様々で場面で言われることだ。しかし物理学が微積分の発見から更なる発展を遂げたように、瞬間の動きというものも無視できるわけがない。

そこで、ある瞬間での状況はどうあるべきかという視点と、全体の流れとしてかくあるべきというふたつの視点が必要だろうと思うわけである。
  1. 瞬間の動き
  2. 流れとしての動き

つまり、始点から終点までの経路において、どれもが通過点である。運動は通過点の連続として記録できるが、しかし、通過点の再現だけでは不足である。なぜなら人間が意識して生み出せる状況は、運動がもつ最小単位と比べれば極めて大きすぎるからである。

たとえば、自然数は1,2,3と+1づつ増加するが、人間はそれを100単位でしか認識できないようなものだ。100,200,300というように意識は把握するが、その間にも認識できない連続点が存在する。流れで把握するとは、この定点観測された値の間を埋める作業といって良いだろう。液晶の倍速駆動みたいなものだ。

ゴルフスイングでは、腕が折りたたむ事を第一義の目的とする。腕をきちんと折りたためる様にスイングする為に、トップの位置から、折りたたむための流れを作り出さなければならない。ヘッドがボールに当たって飛ぶ現象など、その余暇に過ぎない所作である。

これは車でカーブを曲がる時にカーブの入り口から出口を意識するのと同じだ。高速道路の R に応じて、進入速度もハンドルの切り方も決まる。もしそれを見誤れば車はカードレールか崖の方に向かって走って行くであろう。つまり出口によって入口は制限される。これが流れでつかまえるという事である。

腕をきちんと畳むようにスイングする。それを意識するためには、トップからボールがどういう風に通過して最期に折りたたむべきかが自然と分かってくる。それが絶対に守らねばならないリズムと定義する。それに加えて、手首のコックや、トップの高さ、スイング速度を工夫して力を上げてゆく。

これ流れによるスイングの基本である。そこで更にスイングを強化するには、どういう必要性があるか。まずは腰を入れる動きが必要である。軌道を狂わせない限りにおいて、腰を入れることで力が強く伝わる。

スイングで腰を入れるとはどういう動きか。それは力の方向が一体になる瞬間を作ることだと思う。どこかで体が一体化する。力がある方向に向かって一直線になる。そういう感じがする。

作る場所は様々な地点があって、トップから降りた直後、ボールに当たる直前、ボールに当たった後。それらの地点で体が一本の棒になるかの如く、硬直するというか、力が加わって、停止する瞬間というか、そういう点を作る。

スイングからその地点に全ての力が移動して、その地点で一気に力んで、そしてまた解放されるような感じ。単純に言えばある瞬間に思いっきり力めという事である。ただしその前後で力んではならない、という点が難しい。

色々試した感じでは力むのはボールに当たった直後が良いようだ。しかし、ボールに当たる前でも、トップ直後でも良さそうに思われる。この力んだ時を腰が入ると呼ぶ。

2015年11月29日日曜日

練習場より 2015.11.29号 - 肋骨の強要

肋骨は魚類はもとより、両生類、爬虫類、鳥類をはじめ、すべての哺乳類が有し、外部からの衝撃に耐えるほか、呼吸に必要な容積を確保するためにある。その役割は、内骨格よりも外骨格の機能に近い。

全く動かないというわけではないが、肋骨の可動域は狭い。それは人間の体の中でも特に一体となって固定された部分であろう。つまり肋骨を一本の円柱と考えれば分かりやすい。

首や肩が動けば自然と肋骨も動く。すると、その影響は肩だけに留まるはずもなく、腰にまで及ぶ。左肩を下げればお腹の右側が上がろうとするし、右肩を回すならば、お腹の左側は反対側に回転しようとする。

これは首や肩の動きがそこだけで完結しないことを意味する。逆に、お腹が動けば、それは肩や頭の位置にも影響するという事である。

だから、意識しなくても知らぬ間に上半身が大きく動いている可能性がある。肋骨は一体となって動くから、頭が少し動いただけでは済まない。肋骨の両端にある肩や腰が動けばそれは肋骨を通じて上半身全体に伝わる。当然ながら腰が動けば足にも影響を及ぼす。

ゴルフスイングでは、頭を動かさない、背骨を動かない、と言われるがこれは実質的には不可能である。頭が動かずにスイングできるはずはないし、背骨も動く。しかし、その意図が『肋骨を大きく左右に動かないようにする』であれば納得できるのである。

肋骨が大きく動けば体は大きく動く。それは肩の向きや腰の開きを変えるだろう。そうなればスイングの正確性は期待できない。

2015年11月7日土曜日

GOLF 2015.11.07号 - おともだち

おともだちルール。アメリカ軍のトモダチ作戦とは関係ない。

チーム戦はこれまでもやっていた。チーム同士でスコアの合計を競うものである。しかし、そのルールはぬるいらしい。

おともだちルールでやってみないかという誘いである。これはもう覚醒剤とか連帯保証人への誘いと同じくらいに怪しい。きな臭さプンプンである。

でやってみた結果。

いい。これはいい。何故ならホールアウトするまで緊張が尽きないから。

一打の行動が自分に跳ね返ってくる。自分のスコアが勝敗に影響する。仮に悪いスコアでも気は抜けない。差を小さくするために最後まで諦めてはダメだ。まるで新垣結衣ちゃんと一夜するくらいの緊張感である。彼女に何と言われようと成功も失敗も受け入れ最後まで進まねばならない。

おちもだちルールが強いる緊張は真にゴルフをがらっと変える。本当に心理とは分からないものだ。状況が行動を強いる。決して緩まない緊張感。

パーを取るよりも、両者の差が縮まった時の安堵感。まるで半目勝ちこそ至上の勝利とする囲碁のようだ。

呉清源の調和という考え。調和しながらも決着する辺りが、僕にはよく分からないのだけれど、調和の中にこそ本当の勝負がある、という慧眼ではないかと勝手に敬っている。一方的な勝利など低俗な趣味に過ぎない。弱い相手を選べば簡単に手に入るそんなものに何の価値が認められると言うのか。

互いに気を緩められない、気が抜けない。相手の全力に自分の全力で対抗する。拮抗する力でなければそのような調和は生まれない。そうして得られた勝利しか勝負とは呼べないのではないか。

だが、そういう境地に自ら入り込むのは難しい。人はすぐに安心してしまう。気が緩んでしまう。自らを強く律することは棋士でさえ難しい。だから人は自分を追い詰めるための何かを必要とするのかも知れない。

あの大山倍達でさえ山籠もりの時は眉毛をそり落とさねばならなかった。それと同じものがおともだちルールにもありそうだと言えようか。

顔を紅潮させねばならぬほどの緊張は本当に久しぶりである。たったチロルチョコ一つからさえも、そのような体験ができる。まずそれに驚いた。これは今までにない新しい経験、緊張だった。

ところで、おともだちルールではゴルフのスコアさえ気にしない、このルールでの勝利だけを戦略とする人もいるそうである。それは多分にその緊張が忘れられなくてギャンブル依存症に陥っているのだろう。それはもうゴルフではないだろう。

しかし、まぁ、破産して終わる程度ならば所詮は遊び、その範疇がお前の限界!とかってカイジには言われそうだ。違うだろう、たとえ地球を滅ぼしても、ギャンブルから抜け出せないのがギャンブルなのだ。まだ引き返せるのならギャンブルとは言えない。そうまでして自分の運を試したいとは、これはもう神への信仰に等しい。

神がいる、ならばこの勝負には勝たしてくれるはずだ。もし勝てないならば信仰が足りないのだ。そういう依存性がギャンブルにはある。あの瞬間の、カードをめくる、運を白日にする、神からの信託を受け取る瞬間が忘れられない。

そういう人にはもうじきいい薬が見つかるだろう。覚醒剤よりも安全な脳内麻薬をコントロールする薬が生まれるだろう。そうすれば薬で神を見られるようになるのである。ギャンブルさえ必要とせず人生の充実が得られるわけだ。そうなった時に、刺激で得られた快楽とか、自分の運にどのような価値が見いだせるだろう。

2015年11月6日金曜日

練習場より 2015.11.06号 - ワッグル

人には軸足がある。この軸から相対的な距離でもう片方の位置を求めている人もいる。この方法は相対的な位置取得であるから、当然ながら軸が移動すれば相対してもう片方の位置もずれる。

車の運転では、クラッチに乗せた左足を軸にしている。これは静的であらねばならず固定しておかなければならない。

もし軸を動かしてしまうと相対位置が狂う。軸足をクラッチから離してその左側に置くと、右足の相対位置はズレてしまい、クラッチがブレーキに、ブレーキがアクセルの位置に移動してしまう。つまりブレーキを踏もうとしてクラッチを踏み込んでしまうのである。

クラッチとアクセルの踏み間違いでもこのような状況が起きているのではないだろうか。相対的に足の位置を決めている人の場合である。それ以外の方法で位置決めをしているならその限りではない。自分がどのようなタイプか。軸となる足がどこに置かれているかは一度検証しておいても良いのではないだろうか。

で、ゴルフである。ワッグルである。これをしないスイングは考えられない。そう考えるに至った。何のためにワッグルを行うか。

ボールに当たった瞬間の足の位置、体重の置き方を確認するためだと思う。ヒットするときの体勢を準備するための動作とも言える。その体勢は、来たるべき力を受け止めて、そのままフィニッシュへの形を作るためである。

ボールに力を伝え、それに負けることなくフィニッシュまでスイングを作る。そこをどう通過すればよいかを確認をしているのがワッグルとも言える。それを行った位置がスイングの開始点になる。

スイングに力は要らない。不要と言うより、スイングとは力を如何に抜くかに尽きる。力を抜くために最大限の力を発揮する。足腰がしっかりと体を支えなければ力など抜けない。

力を抜くとはふにゃふにゃではない。抗力に対抗して支える力を発揮しながら、あらゆる力を抜く。意識的な力は要らない。必要な場所には体が勝手に力を入れている。

これはオートマチックに動く機械だ。マニュアルではない。コマンドで操作できる場所は限られている。

まずは力を最大限に抜くこと。スイングには最大限に抜いた力以外は必要ない。意識的に発揮すべき力は在ってもごく僅かだ。

2015年11月5日木曜日

練習場より 2015.11.05号 - スイングの始点

ゴルフのスイングについて、とても誤解をしていた。スイングとはトップの位置から始まると思っていたのだ。

ゴルフのスタンスからフィニッシュまでは3つに分割できる。
  1. ① スタンスからトップまで
  2. ② トップからボールに当たるまで
  3. ③ ボールを打った後からフィニッシュまで



このうち、スイングと呼んでいいのは ③ だけである。

ではスンタスからトップまで、そこから打ち下ろす区間(①, ②)は何であるか。走り幅飛びで言えばそれは助走区間である。踏み切り線はボールの直前にある。ゴルフスイングとは、クラブがボールに当たってから始まると思えば丁度いい。

それは少し(可也?)おかしく聞こえるかも知れない。大統領が撃たれてから警護を開始してどうするという理屈は最もである。

しかし、それでもスイングはボールと当たった所から始まると考えて良い。それは大統領の警護を狙撃された所から考えるようなもので、逆算することで見えてくるものがある。これはスイングはフィニッシュだけを意識するという話である。

岡本綾子が「フィニッシュはスイングの通知表」と語っていたと記憶するが、よいスイングは自然とよいフィニッシュを取るという考えだ。だが通知表では飽くまで意識はボールとクラブのヒッティングの方にある。

そうではなくて、よいフィニッシュを作ることだけをスイングの目標とするのである。

勉強を頑張ったからテストで良い点が取れたと考えるのは間違っている。テストで良い点を取ることから考えるべきである。それでは子供の教育に良くないと考えるのは当然至極である。努力の結果がテストの結果として現れるのであって、テストのために勉学に励むのは目標を間違えている。テストで良い成績を取るために勉強するのではない。善き人生のために勉強をするのだ。

テストは、飽くまで自分の苦手を見つけ、何に納得できないかを把握するためにするものだ。苦手とは何か考え方に納得できていない所がある。それを見つけし克服することは望ましい事だ。

それは考え方としては正しそうだ。だが考え方を変える。それは方法論としては間違えている。人生はテストで決まるものではない。しかしテストを避けることも困難なのだ。そうであればテストに明確な目標を定めそれを達成すれば十分と考える方が単純である。

テストにターゲットを定め克服すれば学力も向上するだろう。60点、70点、80点というそれぞれが目標を決め、そのためだけの勉学をすればよい。もし明確な目標がなければどれほどの力を注ぎこめば良いかが分からないだろう。

不足だけを恐れるべきではない。過剰もまた恐れるべきなのである。目標がなければ無制限の努力が要求されてしまうのである。それは人間には不可能だ。もし cross the line をしているにも係らずまだ足りぬと思う者をどうやって止められようか。

フィニッシュは目標である。そこに定めればよい。なぜそれで十分かと言えば、フィニッシュを良くするには、その途中も良くなれけばならないからだ。

良いスイングと良いフィニッシュの関係は次のいずれかになるだろう。
  1. 良いスイングで良いフィニッシュ
  2. 良いスイングだが悪いフィニッシュ
  3. 悪いスイングだが良いフィニッシュ
  4. 悪いスイングで悪いフィニッシュ

良いスイングであればフィニッシュはどちらでも良いという考えがひとつ(i, ii)。この考えは全く正しい。たが問題がある。良いスイングは非常に困難なのだ。

次に良いフィニッシュであれば、スイングも良いという考えがひとつ(i)。この場合 (iii) は極めて起きにくいという推定である。

そこで良いスイングと良いフィニッシュのどちらが御しやすいかを考える。良いスイングを作り上げることは非常に困難だが、良いフィニッシュはそんなに難しくない。第一、ボールは飛んだ後だから気が楽だ。

良いスイングにはゴルファーの数だけあるだろう。しかし良いフィニッシュはそんなに難解なものではない。安定して立っており、肩が十分に開かれ、腕が正しく畳み込まれていれば十分だ。

しかも、フィニッシュだけで形が作れるはずもなく、スイングからそういう形になるよう運動しなければ出来ない。よって良いフィニッシュはスイングにも影響するのである。フィニッシュを変えればスイングも変わる。

良いスイングを目指すのに、トップから順を追って時系列にスイングを構築するのではなく、フィニッシュから逆向きに作り上げる。フィニッシュをよくするためには、どう動くべきか。

走り幅飛びなら助走をあれこれ考えるより飛んだ後の姿勢に注目する。その姿勢が飛距離に直結する。ならば飛行姿勢が良ければ遠くまで飛べそうである。しかしそれでは助走速度が遅くなっても構わないという誤った結論にならないか。

その疑問は当然である。しかし良い飛行姿勢をするためには自ずと助走も影響する。美しい飛行姿勢を取るためには、それなりの助走が必要である。逆に言えば、助走は美しい飛行姿勢から逆算されるべきであって、助走は過剰でも不足でも及ばないはずである。助走が早い程に遠くに飛べると考えるのは(正しいが) F-15 の離陸を見過ぎであろう。

こう考えてくると、打つ前にワッグルをする理由も明らかになる。あれは小さな素振りでもなければ、ボールにクラブをどう当てるかを意識するものでもない。フィニッシュがどう取られるかをイメージする動きと考える。

ボールに当たった所からスイングを始める。それくらいで丁度いい。意識がイメージする形と実際の動きは違う。実際の瞬間を捉えるのは人間の神経ではほぼ不可能だ。良いフィニッシュは完璧なフィニッシュである必要はない。もちろん完璧なフィニッシュに意味などない。それはゴルフの中のひとつである。

因果があって結果となる。ならば結果が変わるならば、それ以前に影響を与えないはずはない。目的地への経路は幾通りもある。西回りするもの、東回りするもの。南、北、南南西、東南西…球形ならどちらに向かおうが目的地には到着できる。ただ道中の苦労が違うだけだ。

だから、その中でも最も簡単な道から考えよう。まずふたつの地点を直線で結ぶ。この線を基準として考える。もっといい方法があるかも知れない。何か見落としがあるかも知れない。それには注意、警戒しておく必要があるが、基本的には見つけた時に留意すればよいとする。

目的地も知らずに目的地に到着することはほぼ不可能である。逆に、目的地から逆算すれば、だいたいの事は明らかになる。これは量子力学の観測結果から光子の過去が変わったとしか解釈できないような不思議な話(今はまだ)ではない。

もちろん、目的のために手段がある。手段のための目的ではない。手段のために本末転倒したり、目的が目標に置き換わらないよう注意は必要だろう。同時にその目的が他のあらゆる全てに優先するなどと思わないことも大切だろう。

目標地点を定め、通過点を定め、逆算する方法で経路を見い出す。意識ではボールが当たった所からスイングを始めればそれで十分である。それでも間違いなくそれ以前のスイングに影響を与えずにはおかない。

そういう地点が得られた。

2015年11月1日日曜日

練習場より 2015.11.01号 - 左肩と腕の連動

打ちっぱなしに行ったら、左手の指が痛くなった。第二から第五までの先端全部。

これは腱を痛めたのか、それとも筋肉痛か、今は見分けがつかない。けれど、当日ではなく次の日も痛いので、筋肉痛だろう。その可能性が高い。

ついでに頭も痛いのだけれど、これも肩こりに起因するのか、寒さで風邪をひいたのか。もう暫く経過観察である。しかし、今朝は起きれなかったので、風邪だろう。その可能性が高い。

さて、ゴルフである。

前回、左肩と腕が一直線になるタイミングがあるという発見をした。これは力のベクトルがある点で一致するという事である。

当たる少し前、腕がもう右足を通ろうとしている時に起きるようである。そのとき、足も体幹も腕も丸で一直線になるかのような、原子が一斉に同じ方向を向くことで磁力が生み出されるように、体の筋肉も同じ方向に一斉に向く感じである。

別の言い方をするならスイングバイである。体幹を惑星とすれば、腕は衛星である。体幹を周って重力加速を得る。もちろん体幹の重力が実際に加速を生み出すわけではない。これは単なるイメージ。体の回りを通って離れてゆくイメージ。その軌道がスイングバイに類似しているだろうというイメージ。

だけれどもイメージだけでは足りない。イメージだけではスイングへのフィードバックが足りない。

そこで別のイメージも探し出す。フィードバックできる何か。

スイングの途中までは、肩が腕の回転軸として固定されている。右足を通過する頃に、固定は解除される。すると肩が抜け、スイングは更なる加速が可能になるという感じ。肩が抜けるとは、簡単に言えば肩が後ろに引かれる事だ。

スタンスでは肩は正面を向いている。フィニッシュでは左側を向いている。向きが変わるためには運動が必須である。それはどのタイミングで発生するのか。肩を引く動きは腕を通じてクラブに伝わるので、連動が悪ければ横回転(フック、スライス)を与えてしまう。

どのタイミングが最適かと問われても説明は難しい。ただ肩の解除を解いた後ならば問題はないようである。それどころかスイングの威力が増大するようでもある。

だが、このフィーリングを伝えるにはまだ不十分である。さらなる検証を期待せよ。

2015年10月25日日曜日

練習場より 2015.10.25号 - 六割の十割

「六割の十割」という言葉がある。

これはスイングを六割の力で行う事。但し、それを100%の力で行う。

では十割のスイングとはどういうものか。十割とは全ての筋肉が参加するという事だ。筋肉は収縮と伸長の働きをするが、これらは座標(x1, y1, z1)を(x2, y2, z2)の地点に移動させる運動である。

座標の移動は(x2-x1, y2-y1, z2-z1)で表現できる。その結果は正の値、負の値、0 のいずれかになる。
  1. 正 - 移動(伸長)
  2. 負 - 移動(収縮)
  3. 0 - 静止

0 の場合、(x1,y1,z1)と(x2,y2,z2)の位置関係は崩れず、体の位置が保たれる。ここで重要な事は、移動も静止もどちらの運動も筋肉を必要とする。これらの運動は骨と腱と筋肉が三位に繋がっていることで成立している。

十割のスイングをイメージして見ると、どうも全部の筋肉が収縮するイメージがある。大前提として「収縮こそ力を発揮する運動」があるようだ。そこでは「静止」の価値が見落とされている。スイングで超新星爆発の前の重力収縮をイメージするのは間違いなのである。

リラックスするのが六割の目的ではないのである。スイングのうち、全体の四割は動かないはずだという意味だ。

普段のコースでは更に六割の六割くらいでやり過ごすべだ。

フルパワーのスイングとは、打てば飛ぶようだが、逆に言えば、一切の余裕がない。それを日常の仕事に置き換えれば、タイトなスケジュール、枯渇した人材、毎日変わる仕様、止まない不具合報告。

既に破綻であり、ついに破滅である。もし満足感や充実感を得たいのであるなら、体の一部が十分に働けばよく、全体が十割で動く必要はない。恐らく7割ともなればオーバースイングだ。はあはあぜいぜいするセックスだけが充実感ではないのである。

練習場より 2015.10.25号 - システマ

世界の果てまでイッテQ!でシステマが紹介されていたが、その面白いこと。
Russian Martial Art Systema

体なんか殆ど止まっている。ただ腕を振り下ろすだけ。それなのに強力な破壊力が込められているように見える。この合気道みたいな動きがどうして可能なのかと言えば、精密に人間の動きに対して物理的だからだろう。

相手の挙動、呼吸などを丹念に観察すれば、人間の体にはどうしても取りえない方向というものがある。そこに抗えない角度の力を与えれば、それに呼応したレスポンスが発生する。それを合理的に連続してゆけば、自然とこう動かざる得ない所に追い込まれ倒れるしかないような動きになるのだと思われる。

人間の運動に万能な動きなどない。ある状態から取り得る方向は有限であり、咄嗟にどのようにでも反応できる訳ではない。ボクシングやテニス、野球の基本となる構えはなるべく自由自在に動けるよう体を固くしない。

最初の構えで重心を揺らすのは停止状態を作らないためである。体を固定化しないようにするためである。体を揺らしている時に逆方向へ動けるものではない。それでも筋肉が停止しているよりは反応が上がる。停止した所から動かすよりも、収縮や伸長を繰り返している時に、それを訂正する方が早いのだと思われる。

棒立ちよりも膝を屈伸する方が反応が早い。伸長する前には必ず収縮が必要である。棒立ちから収縮して伸長するよりも、屈伸した状態から伸長する方が反応は早いはずである。この時間差が決定的な早さに繋がる。

もちろん、体を左右に動かしている時に、逆を突かれると咄嗟の反応は出来ない。だから多くの場合、反応する瞬間は左右前後の動きも瞬間的には止めてフラットにしているはずである。これは停止ではないが、動いてもいない。そういう無重力のような状態を作り出す。それは恐らく数秒しか維持できない。

どのような状態の時にも動ける方向には制限が加わる。自由に動ける構えはあり得ない。故にスポーツであれ武道であれある状況に特化した自在さが前提となる事は間違いないだろう。ある分野では必要としない方向は切り捨てる。必要な中に最大限対応できるように構えが生まれる。そういう前提が構えの中にはあるという事だ。

そこを誤解して万能な動きがあると考えると誤ってしまうだろう。どのような時にもどうしても抗えない外部からの力がある。対応するタイミングと方向を外されれば耐えきれないベクトルがある。そのとき、例え僅かな力でもあっけなく倒されるだろう。

それはゴルフスイングも同じ。

肩を左右に回そうとする。そのとき、腕はどういう形になれば良いか。腕を高く上げるのが良いのか、両ひじを張った方が良いのか。体の横に付けるのが良いか、体の後ろに付けるのが良いか、前が良いか。

ゴルフスイングでは肩が左側を向く動きが起きる。そうしないとフィニッシュできない。その時に、肩が左を向くのは、どのタイミングで、どれくらいの力で、行うべきだろうか。そこにも最適解があるだろう。

スムーズに肩が回るためには、腕との関係が重要なはずだ。肩と腕は関節でつながっているから、肩の動きはスイング中のクラブの軌道にも影響する。

そこで思うのだが、肩がダイレクトにパワフルにクラブに力を与えるためには、理想的な位置関係があると思う。ある形を取ると肩が最もスムーズに回る。肩を回すタイミングとクラブがボールにヒットするタイミングには何か関係する。

腕が左足の前を通る時、足も体幹も腕も一直線になる。原子が同じ方向を向くことで磁力を生むように、体の筋肉も同じ方向に一斉に向く事で何かパワーを生む感じである。全てが一瞬で交わい、それぞれの軌道に離れてゆく感じ。

2015年9月30日水曜日

練習場より 2015.09.30号 - ケプラーの第二法則

ケプラーの第二法則によれば、惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である。惑星は太陽を片方の焦点とする楕円軌道であるから、太陽との距離は離れたり近づいたりする。

この時、描く面積が一定であるから、近づけば早くなり、遠くなればゆっくりと軌道を進む。これはスケートで回転する時、手を突き出せばゆっくり回転し、体に折りたためば早くなるのと同じである。ケプラーの法則は、角運動量保存の法則と同じである。





運動は通常、直線で考える。車の運転などどれほどロング・アンド・ワインディングであろうと、直線距離で考える。

回転も運動なので距離と時間に置き換わるが、回転の場合は角度 (radian) と半径 (radius) が決まれば距離が決定する。距離は円周 (2×π×r) に対する角度の比率 (r/360) で決まるので角度だけを考えれば汎用性が高い、となるようだ。なおテコも回転運動である。



ゴルフに関係する主な力とその効果
円周近くなれば軌道は短くなる遠くなれば軌道は長くなる
角運動量近くなれば速度が早くなる遠くなれば速度が遅くなる
テコ(支点との距離)近くなれば重くなり加速が悪くなる遠くなれば軽くなり加速が良くなる
空気抵抗小さければ加速が良くなる多ければ加速が悪くなる
シャフトの重さ軽くなれば加速が良くなる重くなれば加速が悪くなる

さて、ドライバーも物理学である。

スイングでは、トップからインパクトまでは体に近く。インパクトからフォロースルーは大きく弧を描く。弧を大きくすることでドライバーを減速するのである。

ドライバーではボール位置を左足の先に置くのが一般的だ。これはシャフトのしなりが関係するのであって、通常は体の真ん中で打突すると考える。打突からしなりが戻るまでの時間差の間に進む距離が左足周辺にあると考えるのが妥当だろう。

インパクトまで円弧を小さくするのであれば、肘は自分が思っているよりも体に近づけて打つことになる。殆どの場合、腕が体から離れ過ぎているのではないか。

ドライバーが十分に長いクラブである以上、腕を伸ばして更に円周を伸ばす必要はない。また円弧を大きくすれば必ずしも速度が上がり遠くへ飛ぶとは言えない。

それならば、クラブは短いほど速度が速くなるのではないかと問えばそれも違うだろう。シャフトの長さが短ければ円周が小さくなる。円周が小さいという事は移動距離が短いと言う事である。距離が短ければ加速が十分な速度に達する前に打突点を通過することになる。

短すぎれば加速に必要な距離が稼げず、長すぎれば逆に速度が遅くなる。つまりスイングが発揮する力に対して最適な長さがあると考えられるのである。

ではどの力に対してどの半径が最大速度の軌道であるかという数式が結論として必要である。ゴルフスイングはハンマー投げのように何回転もできる競技ではない。そのハンマー投げも重さと力との間で最大となる長さが算出できそうなものである。いわんやゴルフをおいておや。

適切な長さは外部から人間が与える力がパラメータとなる。そこでは加速に必要な距離と最大の速度を生み出すための円半径が求められる。それでも色々な状況がゴルフでは考えられるから常に同一のスイングは存在しない。

基本的にそういう物理学の要請は、経験則や様々な計算から現在のクラブに平均値として実現されているはずである。つまりギアとしては、大きく間違えたものにはなっていないと考えられる。

そこでプレイヤーとしては、先ずはドライバーが長いほど遠くへ飛ぶというのは思い込みかも知れない、という事から始めるべきではないか。

2015年9月25日金曜日

練習場より 2015.09.25号 - スタンスの角度定理

ドライバーというのは自分が思っているよりも小さく振るべきだ。大きいクラブをより大きく振ろうとするのは多分、間違えている。

人間の筋力はクラブによって変わるわけではないから SWも1Wも同じ筋力で振ることになる。これによりクラブに与えられる力は一定と考えられる。

よってヘッドスピードの差は筋力ではなくクラブの長さによって決まると考える。同じ速度で回転するならば半径(R)が長いほどクラブの移動距離は長くなる(2πR)。
R2πR

人間のポテンシャルは個々人で決まっているので、無制限に長いクラブが振れるわけではない。自ずからクラブの長さには物理的上限がある。その限界はクラブの重さと空気抵抗によって決まるはずだ。

クラブの飛距離には次の要因が関係する。
  1. 筋力 - 同じ
  2. シャフトの長さ - 異なる
  3. スイングの軌道距離 - 異なる
  4. ロフト角 - 異なる
  5. シャフトのしなり - 異なる

ドライバーの方が飛距離は大きいのは、軌道距離が長くなれば、ヘッドが加速に使える時間が長くなり、その分だけ加速度を上げる事ができる。ロフト角が小さくなれば、弾道が変わり飛距離に影響する。

よってドライバーを長くするのは当然の帰結である。シャフトが長くなればボールから遠くに立つ。ドライバーはもともとシャフトが長いが、飛ばそうとするので、更に長くしようと腕を伸ばそうとする。自然と遠くへ飛ばそうと大きく振ろうとする。これは正しいスイングとは言えない。正しくなければ力が正しく伝わらないので飛距離も失うだろう。ドライバーは意識して小さく振るくらいが調度いい。

速い速度のものほど力は大きい(運動エネルギー=0.5×質量×速度2)。それを支える土台もしっかりしないといけない。

つまり普段からドライバーで立つ位置は遠すぎるのではないか。逆に SW は近すぎるのではないか。

ボールとスタンスの距離はシャフトの長さだけではなく、クラブのライ角も関係する。ライ角とシャフトの長さからグリップの高さが決まる。グリップの高さが決まれば、前傾の角度とボールの位置も決定する。

1Wはクラブが長いからそれだけクラブの角度は寝かし気味になる。SWは短いので角度は大きく立てた感じになる。そこには体の長さ、腕の長さ、クラブのライ角から、スタンス時の体の傾斜角、腕の角度、ボールと体の距離を公式を使って求めることは可能である。



なお、ボールを置く位置が左右に代わるのは、恐らくクラブのしなりが関係している。しなりが戻る分だけ、ボールを左足の方に置くはずである。

2015年9月18日金曜日

練習場より 2015.09.18号 - 金魚のしっぽ

ゴルフスイングは、腕が体の左右に変化する運動である。これにとても類似した運動に魚の尾びれがある。どうしてこれまで其れに気付かなかったのか不思議だ。

アプローチの練習をしている時に、不意に、これは金魚のしっぽの動きではないかと思った。そうするともっと大きく振るのはアユの泳ぎだし、ドライバーならば、さしずめマグロの泳ぎ方ではないかと思ったのである。

例えば魚の泳ぎと言うのは、おもちゃの魚ではあるまいし、しっぽだけが左右にひらひらと振れるのではない。鰓から尾っぽまでの左右の筋肉を大きく使って鰭を動かしているのである。

これをスイングに例えれば、腕からクラブまでを尾びれと思えばいい。すると魚の体に当たる部分は足から首になる。

ゴルフクラブを金魚のしっぽと見做すとスイングの何かが変わる。ゴルフスイングは一度だけ尾びれを動かした時に最大の推力を得ようとする魚の運動と同じである。飛んでいくボールは尾っぽで跳ねた虫か小石のようなものだ。

水中で泳ぐ動物には他にクジラ、イルカ、アシカやアザラシなどがいる。鳥ではペンギンや、餌をとるために水中に潜る鳥も多い。微生物も泳ぐし、イカやタコも泳ぐ。もしかしたらゴルフスイングに応用できる運動をしている動物は他にもたくさん居るかも知れない。

魚たちの泳法は逆カルマン渦を生み出し水の抵抗を最小にするまで発達しているが、ゴルフスイングは水中でするのではないし空気抵抗を気にするほどのものではない。

尾びれの動きはどのようなものかと言えば、銀杏の葉(東京都の紋章)のような形をとる。ここで重要なのは、三角形ではないと言う事である。先に行くほどしなって円周が大きくなる。この距離を長くすることにはそれなりに意味があるはずだ。


尾びれは水の抵抗と対抗して推力を得る。そのため抵抗に対抗するだけの柔軟なしなりがあればよい。運動の主体は魚ならば胴体、同様に人間でも胴体になるはずである。

動く主体である胴体を、魚で例えてみよう。最初に右側の筋肉で尾びれを右側に引き、水を掻くために左側に動かす。この時、水のような強い抵抗をイメージした方が分かりやすい。もし可能ならサウナの水風呂で水を掻いてみれる。

いずれにしろボールが飛ぶのは結果であって因果ではない。ゴルフクラブの因果とは、推力を最大に得るような金魚の尾っぽ、フナの尾っぽ、ツナの尾っぽの動きであって、ボールはたまたまその軌道上に置いてあったゴミのひとつに過ぎないのである。つまり空気や水の分子などと同じ立場に過ぎないのだ。

背中側の筋肉をとても重視する。特に、広背筋、脊柱起立筋が主体となりそうだ。

この時、主体部分がふらふらと動くのは良くない。止めておく方がいい。その方が右から左への動きはうまくいく。魚で言えば、頭をふらふら動かして泳いでいる魚は少ないという事。頭は動かさず、更に言えば、速く泳ぐ魚は、体だってそんなに大きく動かしているものではない。

でんでん太鼓をイメージして回転を考える人もいるが、おそらく魚は、尾びれを回転させようと動かしてはいないと思う。それと同じことがスイングでも言えそうだ。

ま、マグロなのはタイガーとかミケルソンのスイングであって、我らアマチュアゴルファーは金魚のしっぽですよ。ゆらゆらと揺れる尻尾のようなスイングで十分じゃないですか。鮒の泳ぎができるならこれはもう名人です。

2015年9月13日日曜日

練習場より 2015.09.13号 - 録画機能

バイクに乗っている時、右コーナーと左コーナーでは曲がりやすさが違った。もちろん、左側通行だから右コーナーの方が視界が開けて感じるという理由もあるのだろうが、体が持っている左右差にも影響されるだろうと思った。

人間の体は左右ほぼ同形であるけれども、だからと言って、全く同じわけではない。内臓の配置、筋力差、右利き、左利き、右脳、左脳の違いがある。人間は左右で異なる二系統を連結させて動いている。そうである以上、どちらかの系統を主とし他方を従とするので、そこに差が生まれるのは不思議ない。

まぁそれがどのようにゴルフスイングに影響するのかは分からないが。

さて前回に引き続き手首の軸問題である。

親指側ではなく、小指側を腕の回転軸にする。これがなかなかに良い。もちろん、耳にタコ、狼少年の如き信頼性の欠如であろうが、良いものはよいのだ。軸を変えることで、手のたたみがスムーズになった。その代わり何か小さく畳んでいる気がしてきた。

こういうとき、録画ができれば便利。

打席にスマホスタンドが設置してあると、セルフィーを取れていい。セルフタイマーで自分のフォームを録画する。手元で操作できればぐっと便利だ。

でもね、それだけだとスマホの録画。打席にセンサーとかカメラを設置すれば、スタンスからフィニッシュまで自動で録画してくれる。センサーが打ちはじめを検出して録画を開始する。ボールが飛んだら撮影を停止する。

打席のカメラは、正面、横、後、上にある。全方向からのスイング映像がスマホにコピーされるの。

スイングを映像に取れば、いろいろと解析できそうな気がする。小一時間くらい映像を眺めれば何かの気づきもありそう。

でも自分のフォームを見たら絶望して嫌になっちゃうかも知れない。これ諸刃の剣。

2015年9月11日金曜日

練習場より 2015.09.11号 - グリップ

グリップはクラブと人間の唯一の接点であるから極めて重要である。しかし、人間の手は個人差も大きくまたクセもあるものだから一概に"こう"とは言えない。しかし大きくふたつの持ち方があることは確かのようである。

これまで左第二指の基節骨部にマメができていた。これはスイングでクラブが当たるからだが、これが改善されなかった理由がやっと分かった。

その原因は、クラブを第二指、第三指を中心に握っていたからである。クラブを手の平、手相の知能線、感情線を中心に握っていたのである。

これを改善する。

第二指、第三指ではなくて、手の小指側を使う。詰まり、第三、第四、第五指を中心に握るようにする。そうすると、手の平ではなく、手の平と指でクラブを握るようになる。これによって親指でクラブを上から抑えるのもなくなった。

手の平は平べったい。腕は完全な円柱ではない。親指と小指の方向に広がった楕円柱である。

人間の筋肉は緊張していると固定されて動き難くなる。クラブを、第一、第二指を中心に握った場合と、第三指~五指で握っている場合では、固定される場所が変わるため、腕の動きもその影響を受ける。

具体的に言うならば、指に力を入れた側が腕も固定される。

親指と人差し指で輪を作り指に強く力を入れると、手首を回す、折るなどをした時、親指側(腕の内側)を軸にして運動する。

逆に小指側に力を入れたときは、腕の外側が固定化され、そこを軸にして動く。

○小指側(尺骨神経系)×親指側(正中神経系)

手は主にふたつの神経系統で動いている。親指から中指までの正中神経と、薬指と小指の尺骨神経である。グリップは尺骨神経系を使って握る。

ではコッキングやリストターンなど腕の動きが多く必要とされる。どちらを軸に腕が回転するかはこの動きの時にとても大きく影響するだろう。

小指側を軸とした方が、スイングはスムーズになるようだ。それだけでなく、腕がきちんと下を通り、畳み込みもスムーズである。また右腕の一体感も良くなったと感じる。

2015年8月30日日曜日

練習場より 2015.08.30号 - てもみんの話

「てもみん」にはすごい人が居るものである。

首のしわを見て、どうも首を左右に曲げる時に、首の下しか動いていないらしいと指摘された。

肩こり。肩こりの原因は肩を狭めているから。なぜ狭めているかといえば、肩の両側の筋肉で首を支えていたから。

支える筋肉は主動筋と、その補助となる筋肉から構成される。主動筋が何かの理由から働かないと、他の筋肉が肩代わりして働かなければならない。主動筋と比べれば弱い筋肉に長時間に渡り負担が偏れば、そこが凝ってしまう。

なぜそこに負荷がかかっているのだろうか。それは姿勢が原因だと思う。ではどうしてそういう姿勢になるのか。その理由が分かれば改善できるだろう。

何かを支えているとき筋肉は緊張している。謂わば一本の木になっていると考えて差し支えない。そうすると、それらが自由に動けないのは自明であるし、他の運動を阻害する原因となるのも想像に難くない。

肩こりの原因を取り除く為に、首の支え方を変える。てもみんの人が曰く。首には7つの関節があるが、要はひとつの関節だけで首を左右に振っている。

すると可動域が足りないので肩も回さないと首が十分に回らない。感じで言えばマジンガーZのようにひとつだけの首になっているわけだ。

そう指摘されると確かに、肩は両側から内側に縮こまっているし、常に肩をすくめたような形になろうとしている。撫で肩になっていないというわけ。

肩の両側から首を支えているが、その筋肉だけでは足りなくて、周辺の筋肉も参加することになる。肩の周辺の全体の筋肉が緊張して首に近づこうとする。肩甲骨も外側から内側へ入ろうとする。

すべての理屈はそろった。あらゆる症状がこの Hypothesis仮説 を支えている。

どうして両側から支えなければならないのか。それは骨の上に頭が載っていないからだろうと思われる。だが、それだけなら主要筋で支えてもいいはずである。

どうやら頭を下の方から固定して支えようとする意識が高いらしい。支えるなら、首の上の方の乗せてバランスを取るようにすればいいのに。

よく分からないが、両肩を盛り上げて支えようとするのには、何らかの合理的な理由があるはずと思うのだ。

筋肉で支えるのではなく、骨を主体にして支えるのにも欠点はある。ヘルニアである。腰痛であれ、頚椎であれ、骨(軟骨)への負荷がヘルニアを起こす。かと言って骨への負荷を減らせば今度は筋肉に支障をきたすので難しい。

いずれにしろ、頭部は、首の左右ではなく、首の後ろで支える方が良いようだ。何故ならそこにあるのが主要筋だから。もちろん、そうやって何かを変えたら別の場所で症状が出るのだろう。

これまで首と肩がほとんど一体化しており、協調して回っていた。これを別々にする。そうやって肩の両側から首の間に一本の棒があった状態を解消したのだから、それがスイングに影響しないはずはない。

肩の回転が自由になった気がする。また内臓を腹筋ではなく、お腹の両側の筋肉で支えるようになった。

支えている筋肉を変えるのは、つっかえ棒を変える事と同義だから、スイングに大きな影響を与えるはずだ。

2015年8月28日金曜日

練習場より 2015.08.28号 - ウェストが細くなる理由

脊椎動物はカンブリア紀に誕生したピカイアの近縁を始祖とする。魚類は脊椎を獲得し、脊椎を中心に骨格を形成し、その周りを筋肉で覆うという運動の基本設計を完成させた。

魚類の多くが体の真ん中に脊椎を配置するが、陸上に生活圏を広げた両生類以降、脊椎は体の上側に、即ち背中側に配置されるようになった。これは当然ながら重力の影響に違いなく、体幹を脊椎にぶら下げらるのが都合が良いらしいからであろう(下から支えるのでもなく、その周りに這わすのでもなく)。

物理的な特性や生物学的な理由は様々あろうが、ひとつにぶら下げておく方が重心を下に置ける。重心は低い方が安定性は得られる。硬い脊椎の上に重量のある柔らかい体幹を配置すると、背骨を中心にひっくり返るモーメントが常に働く。

柔らかい構造を脊椎の下にぶら下げておけば、様々な運動で発生する力をしなやかに受け流し衝撃を回避できる。もちろん、怠け者はどうなのだと言う反論はあるべきだ。その返答には窮するが取り敢えず彼らもぶら下がってばかりではないと回答しておく。
ナマケモノの意外な姿がおもろいwww - NAVER まとめ

脊椎動物の基本設計は、当然ながら四足歩行を前提としたものでありヒトもこの構造を踏襲した設計である。

それまで背骨にぶら下げていたものを方向を変えて配置する。ぶら下げていたものを垂直方向に重ねて配置するのであるから大改造である。それを従来の基本設計と筋肉を使って実現する。縦への配置替えは、詰まるところ、重力で落ちようとするものを如何に骨格と筋肉で支えるかという課題であったろう。

重たい頭蓋骨から肺、消化器官を垂直方向に組み替えるために、背骨を支柱として使ったのは間違いない。そして背骨を中心に筋肉で支える基本構造は変えない。

楽な姿勢を取るというのは、結局は重たい内臓を如何に支えるかという課題である。猫背はそのひとつの答えであって、背骨を前に出す事で内臓をぶら下げようとしているのではないか。

もちろん内臓はぶら下がる形になるので、次第にお腹が出てくる。このふくらみは馬や牛のお腹が自然重力でたるむのと同様であろう。両者の描くお腹の曲線は類似していると思う。


しかし垂れ下がるお腹を腹筋で支えるのは運動への影響は大きいと思う。腹筋を体躯を支えるのに使うと、その他の運動はその仕事の余力を以って行うしかない。これは構造的にそうなるのであるからどうしようもない。

運動の時に内臓はどのような役割を果たしているのだろう。まず体全体の重心を下げる役割がある。これによって体を安定させる役割が生まれ左右のずれを小さくするだろう。

しかし体を安定させるためだけなら、重石があればよいのであって、それを腹筋で支える理由はないはずである。

ウエストと呼ばれる部分をぐーーんと上に伸ばして、上半身と下半身を分離してみる。すると重たい内臓は骨盤の上に乗る。お腹も引っ込む。これは内臓を骨盤と背骨で支えるイメージだ。


どうも腹直筋よりも腹斜筋で内臓を支えている感じがする。そして腹筋が解放されたので、上体が自由に動けられる気がする。これは内臓という重石の配置を変えたからである。

こうして姿勢を変える事で得られる自由度の拡大、配置換えがゴルフのスイングに影響を与えないはずはない。と思う。

2015年8月6日木曜日

練習場より 2015.08.06号 - せいいっぱいの想い出

思い切ったスイング、充実感を感じるスイングが今回のテーマであったはずだ。力一杯に振ったという満足感がゴルフに与える影響はずっと大きいはずだ。

処がそれを試したくても、左手は屈腱炎だし右手は小指がばね指で痛い。手首も痛い。思った以上に負傷している。

仕方ないから、ベースボールグリップに戻し(これが一番小指への負担が少ない)、力いっぱいというよりも、体への負担を最低限にするようスイングした。

すると、ふと奇妙な事に気が付いた。

スイングとはトップ位置からボールまでの加速で飛距離が決定される。力は質量×速度であり、速度は、距離÷時間であるから(加速度は速度の微分)、飛ばしたいならばボールとトップの間の距離を長くしようとするのは自然に見える。

ところが10cm距離が伸びるとどれくらい力が上昇するかを誰も知らない。まして、それが一次比例するのか、二次比例するのか、それともある距離を境に落ちてゆくのか、それも誰も知らない。

と言うかトップを短くしてフォローを大きくする方が良いスイングに思えてきた。これは物理の常識には反するように見えるが、心理的にも、生理的にも、理に叶っているように感じられる。きっと物理的にも妥当なはずである。

トップは小さく構え大きなフォローを取る。スイングの過程のどのポイントで最大速力に達するかは気にせず、ボールに当たった時が最大速度であることが優れたスイングという考えは捨てる。

普通に考えれば、ボールに当たった後にも加速するのは無駄なエネルギーに見える。その無駄なエネルギーをインパクトまでに投入できれば、更に飛距離が伸びるに違いない。この考えは正しそうに見える。

ただ、それが人間の体の構造上可能であるかという疑問がひとつ。次にボールに当たった瞬間にボールからの反動に負けないようにするためには、当たった時にエネルギーを投入する必要があり、それが最大速度をボールのインパクト後に置くという意味ではないか、と反論できそうなのである。

また、こういう考えは極めて空想的である。誰かを説得するための説明ではなく、自分が納得できればそれで良いのだから厳密性は必要としない。

さて、そこで、力一杯のスイングに話が戻る。力一杯振ったという充実感は、別にゴルフだけでなく、あらゆるスポーツや生活の中で意味を持つ。自己満足がどうであれ充実感を感じることが人が生きる意味であると結論しても存外間違いとは言い切れない。

充実感と言えばセックスが先ず挙げられるが、これも快楽というよりは充足感が先ず第一義にあって、それがどういう状況下で生まれるかは、結局の所、脳内麻薬の分泌に掛かっている。それは恐らく筋肉からのフィードバックだ。

つまり、充足感とは、体のどこかの筋肉が強烈に収縮と弛緩することで起きるのではないか。これが仮説の中核である。

力一杯のスイングをしたと感じる時、体の中のどこかの部位が働いているはずである。その場所を見つけ意識することで力一杯のスイングを体得できるのではないか、という話しである。

体の中の部位を分類する。部位と言えば、ふつうは牛であって、この牛の部位は食肉と関係しているが、運動とは関係していない。しかし、まぁ部位と言う考え方は同じである。これはにわとりでも同様である。

スポーツに関係する部位を大雑把にまとめた。
背中側
ネック頭と肩を繋ぐ部分、頚椎 C1~C7 まで。
首と肩の間の部分、おもに鎖骨の周辺。
肩甲骨背中の上側。肩甲骨とその周辺の部位。
背中肩甲骨下から腰までの間。主に肋骨のない部位。
骨盤周り
おしり大臀筋

腹側
大胸筋
腹筋腹筋中央
脇腹腹筋左右


そともも大腿二頭筋
うちもも大内転筋
すね膝から足首まで
足首より先。

軽く振ってみたり、強く振ってみたりしている間に、自分はどの筋肉の収縮を力強さと感じているかが分かった。それは右側脇腹の筋肉だ。スイングとは腕で振るのではない。体を回転させるのでもない。ただ右の脇腹を収縮させ、緊張を持続し、緩むまでのごく短い間である。それが自分のスイングであろうと発見した。

腕、左もも、左わき腹、それら全てが、右わき腹の収縮と比べればオプションである。あってもいいが無くても良い。わき腹の収縮を中心にスイングは構成されている。

他はすべて些細である。または工夫次第に過ぎない。

さてこれも練習場での検証する。探求はスパイラルというより輪廻であって、必ずしも上昇しているとは限らない。同じ繰り返しかも知れない。いつまでも抜け出せない様相をしだしているとも言える。

2015年7月19日日曜日

GOLF 2015.07.19号 - スコア

スコアになる人とならない人がいる。

その違いは何であろうか。

ゴルフの価値はスコアのみでは語れない。しかしスコアもまたゴルフである。スコア以外の何かを追い求めるもゴルフ、スコアを追い求めるのもゴルフ。どちらもゴルフである。

もしスコアよりも、充実感が欲しいなら思いっきり力んでスイングすればいい。それが上手くいった時の開放感、快感は、他の何に依っても得られまい。打感がいい、力いっぱいやったという充実感は時にスコアよりも大切である。

アスリートには主にふたつのタイプがある。先頭に立って後ろを振り返ることなく、理想に邁進する追求型の人と、ライバルが居て、背中を追いかけるにしろ、先を逃げるにしろ常に相手と切磋琢磨しあい、お互いの関係の中で決着を求める勝負型の人である。

求道者と勝負師と呼んでもいいだろう。

アルフレッド・アドラーによれば、人間は原因によって行動するのではなく、目的のために行動する動物だそうである。これは別に目的を持てという説教ではない。何ら目的もなくぶらぶらしているよ、という人でさえ、どこかに向かっているのである。つまり時間は一方通行という程度の意味でしかない。

だから因果律が正しいかは重要ではない。自分が納得するのに十分な説得力と合理性があれば、その論説は受け入れられるのである。その原因と見做されるものは心がストンと落ちるかどうかに掛かっている。

心がどう納得するかは、原因の正しさではなく、目的との一致性ではないか、という話である。そうである以上、原因とされるものは目的に合致するよう探し出されたとも言えるのだ。

ゴルフに求めるものも、その先で感じたい充足感があって、それがスコアによって得られるのならばスコアを高める努力をするであろうし、スコアにはないのなら、恐らくスコアは望めないのである。

ゴルフのスコアとは力いっぱいやったという充実感の採点表ではない。

スコアを高めるにはどういう意識でいるべきか。まずは追求型か勝負型かに自分を分類しなければならない。恐らくねっからのスコアに興味のない人は勝負型でしかありえない。よって勝負に勝つという態度が必要であろう。

相手を、穏やかに、冷静に観察すること。常に相手のスコアを数え、相手のミスに乗じ、相手のファインプレ-には食らいつく。自分との闘いなどというまやかしは相手の結果が知り得ないプロのトーナメントでの話だ。

相手に一打でも打ち勝つことを目標とするなら相手が200叩いたら自分は199で喜ばなければならない。多くの人はこれには否と答えるだろう。だからライバルとは調度よく戦える相手でなければならない。そこでお互いが切磋琢磨すればお互いのスコアが上昇する。

戦略を練ったゴルフをすべきか。それとも達成感や充足感を得るためのゴルフをするのか。だが現実はそのどちらでもないかも知れない。自分でも知らない何か別の目的に向かって目標の置き換えが発生しているかも知れない。

そうだ。俺はやつらの驚く顔が見たいのだ。ドライバーでウッドでアイアンでアプローチで。充実感はその後に生まれればよい。だのに先ずは充足感から始めようとしている。いつも充実感を得ようとして失敗する。けっか誰も驚きはしない。いったい、快感とは何か、充実感はどうすれば得られるのか。

と言う自問に悩む程の圧倒的な敗北で終わった。富野由悠季の最大の発明はシャアだ。負ける側の感情を重ねられるこの稀有なキャラクタによって少しだけ救われる。

ここで重要なのは負ける側の立場であり、それがひとりひとりの人生と重なる。それはゴルフでも同じだ。

屈辱にまみれ、汚泥をすすり、無力感の中で、現実と対面する時。

このままでは勝てない。
ええぃ!連邦軍のモビルスーツは化け物か!

どうすれば勝てるのかと意識すれば、全ての歯車が狂っているのだ。
ララァ、私を導いてくれ。

状況はどんどん悪くなってゆく。もう勝てぬのか。それがプレッシャーのせいだと気付けば。
見えるぞ!私にも敵が見える!

ここからどうすれば勝てるのか。それが分からぬ。
僕はあの人に勝ちたい

最後が惜しい。

2015年7月17日金曜日

練習場より 2015.07.17号 - 手首の角度か

左手の手首の角度を固定する。

そうすると右手の握りが自然と強くなる。何故そうなるかは分からないがそういう体の働きのようである。

右手の握りが強いのは良いと思える。しかし手の握りを強くすると、往々にして、肘が曲がったり、肩の動きが制限される。これは緊張している筋肉は棒のように固形化してしまうからだ。

何も力が入っていないが、インパクトの時に右手がきちんと強く握られるのは重要と思われる。

それには左手が重要であって、左手は強く握らなくても良いような気がする。左手首の角度によって自然と腕もその方向に動く。この動きには注意が必要そうだ。

手首を固定しておくと結局は背中の筋肉が働かなければならなくなる。背中の筋肉に新しい緊張を強いるならスイングにも影響するだろう。恐らく体全体の動きにも影響するだろう。

何れにしろ、ボールのインパクトで強く握るようスイングで手首を固定する動きには更なる研究が必要そうだ。

ドライバーはとても難しい。どうして難しいかを考えても分からない。ただ難しい事だけがはっきりしている。

もしドライバーが150ヤード飛ぶだけで良いのなら、恐らく悩みなど生まれない。それならドライバーを使う事もないが。

ドライバーの特徴はシャフトの長さ、ヘッドの大きさにある。これらの特徴は人間が扱える限界に近いはずだ。取り扱える限界に近いという事は、それだけ制御できなくなる危険性も高いのである。つまりあふれそうなコップの水だ。

クラブヘッドを早くするために回転半径を伸ばすというのは合理的なアプローチだと思う。しかし、それがしなりを大きくするし、バランスも難しくする。

逆に言えば、上手く振らないと飛ばないクラブという事になる。

2015年7月14日火曜日

練習場より 2015.07.14号 - 左腕は斜めに横切る

力をどうクラブに伝えるか。意識では遅すぎると思われる。

筋肉の働かせ方には意識して動かすものと意識はしていないが動くものがある。随意筋と不随意筋の話ではない。足を前へという意識やもう少しここに力をという時、どれかの筋肉に力が入っていることは意識で把握できる。しかし、脳の中ではその何倍もの筋肉を強調し関連付け同期さえしながら動かしている。動的平衡とでも呼ぶべき働きがある。

ここの筋肉に力を入れた、ここを収縮させたという意識的な働き掛けは、スイング時間の中では余りにも短すぎる。実際の運動には遅すぎる運動と思われる。

気付いてから動かすのでは遅すぎる。ならば予測して同調させるしかないが、これは当然ながら必ず同期できるとは限らない。不測の事態には対応不能なものがあり、失敗の Point Of No Return がある。

それでもそれ以外の手段はないと思われる。スイングは右から左へと次々と淀みなく連続して動く。僅か 300ms 程度の時間の中に、意識して筋肉を緊張させて大きな爆発力(収縮)を発揮させる場所はない。命令したところでタイミングを逸するだけである。気付いた時にはスイングは完了しているだろう。

地上部隊からの爆撃命令が着て、爆撃地を飛び立たせ、指定エリアに爆弾を投下した所で、既に地上部隊の攻略は終わっており、自軍の基地を作り、周囲の民間人に安全な生活場所を提供し始めた頃に、ようやく到着して爆弾を投下するようなものである。

幾つもの小さな筋肉が短く瞬時に緊張する運動の連続する流れがスイングであるとすれば、スイングのどこにも途中に力を入れる場所はない。その意識して加えたい力というものも、スイング前に始まり、他と同期して働くべき緊張だろうと思うのである。

大きな力を与えるというイメージの中に勘違いがある。意識された巨大なパワーの発揮など、動きの遅い、タイミングも取れない、使い道のないパワーであって、恐らく遅筋であろう。速筋は無意識、遅筋は意識くらいに思っておけば十分ではないか。

柔よく剛を制すとは、ひとつの巨大な力よりも、幾つもの小さな力の合力が勝る場合があるという喩えだろう。


さて、体に対して左腕が平行には動けないことは、人間の構造上の道理である。よって、腕が右から左に動く時、体に対して斜めに動くはずである。

これはボールの飛翔線に対して斜めに横切ると言う事である。そして斜めに横切る軌道に対してボールは斜め前方向に飛び出す。この角度から、様々な合力によって斜めに横切るクラブはボールに対してはまっすぐに衝突していると思われる(もしくは人間の錯覚)。

とかく飛翔線に対して腕も平行と考えるのは間違っている。それは生理学的に不可能である。腕は斜めに横切る。

2015年7月9日木曜日

練習場より 2015.07.09号 - クロスボウの考察

宇宙船の加速力は非常に小さくとも減速しないので、小さな加速でも長く続ければ非常な高速に達する。宇宙船はその速度を得るのに必要な時間も莫大な距離も宇宙のサイズと比べれば極めて小さいから問題とならない。

強力なエンジンには加速力が求められる。しかしどれだけ優れたエンジンでも重ければ速度が出ない。非力でも軽ければ速度は出る。

加速度 = 力 ÷ 質量 (F=ma)

速度と力の関係は、人間の直感が教えるとおり、力が大きいほど大きい。よって力を与えれば早くなると考えるのが普通である(空気摩擦は考慮しない)。

ニュートンは力を速度ではなく加速度で考えた。加速するためには力が必要である。逆に加速しなくてよいのなら力は必要ない。所で車でもアクセスを緩めれば速度は低下するし、ゴルフボールだって次第に速度は低下するのである。

このとき、速度が低下する以上、加速度は負の値になるはずである。それは何かが抵抗を与えているから、つまり逆向きの力を与えているからである。速度とは加速度の演算の結果に過ぎない。加速度を積分すれば速度が求まる。速度を積分すれば距離が求まる。

加速度が求まるとき、地上では常に重力の影響を受けている。重力と呼ばれる項を独立させてしまえば、地球の上で起きていることも、月で起きていることも、太陽で起きていることも同じ様に考えられる。という発見は、ゴルフを考える上ではあまり重要ではない。

しかし重要でない事はその影響を受けない事ではない。重力が誰にとっても公平であるから無視できるだけであって、その中でも上手に重力を使っている人と逆らっている人では結果は大きく異なるだろう。我々は知らず知らずのうちに重力を含めてモノを考える。だからそれに逆らっている事もある。スイングは、トップの位置エネルギ-と加速度だけで構成されている。

宇宙船とは違いゴルフスイングは極めて短時間の間に最大スピードに達すべきである。必要なのは瞬発力である。もし力を与え続けることでスイングスピードをアップしようとしているのならば、それは間違えたアプローチな気がする。

ゴルフスイングはロケットよりもパチンコで考える方が近いのではないか。小さなゴムよりも、大きなゴムの方がどんぐりを遠くまで飛ばせる。人間が弓を引くよりも、機械で捲くクロスボウの方がより重いものを遠くまで飛ばせるのである。

クロスボウや空気銃の仕事量は60J程度であるが、拳銃は200Jである。火薬と空気の膨張の威力は別格である。畏るべし粉塵爆発、水蒸気爆発。しかし、これらの爆発は小さい爆発が連鎖することによって莫大な力を生じるものであるから、一過性の運動であるゴルフスイングの参考にはなるまい(体中の小さな筋肉が次々と連鎖するイメージもないではないが、それを意識した運動とするのは困難と思う)。

蒸気爆発に関する研究

我々が研究すべき物理学は、弓のそれだ。

より遠くに飛ばしたいと考えるならば、長く力を与えようと考えるのは間違いではないか。もちろん、物理学は長く力を与える方が飛ばせることを教えている。しかし、それが成立する為には、時間内の力が全て加速に使われなければならない。

1+1+1 = 3 であるが、1+1-1 = 1 である。

力には正負があり、力が常に正の足し算になるとは限らない。ある時には無駄に消費され、ある時にはブレーキとなる。

力を長く与えるほど加速すると考えるのは、長い距離と同じである。時間と距離は交換可能な関係にある。石ノ上にも三年と言うが、雨粒も千年、万年と石を穿てば穴を開けるし、強い力で押し出せば瞬時に石を切るのである。

スイングは、左から右へとクラブヘッドが移動する。加速できる距離を長くするためにトップの位置を少しでも後ろにしようとする。クラブは単に後ろに引くのではなく斜め後ろに引く。斜め方向に回転する事で、より距離を延ばせるからである。

後ろに引いたものは、遂に停止する。それはスタンスが後ろに動かないからである。他の競技のように加速するために後ろに下がることもなければ、円盤投げのように同じ場所でクルクル回転することもない。恐らくそうした所でゴルフの飛距離は伸びないと思う。

ゴルフクラブはトップからあっという間に秒速40m以上に加速し、ボールに当たり、体の中心を追い抜き左側に移動する。このとても短い時間で加速から停止まで完了する。

弓矢はある瞬間から弓弦の動きを超えて飛び立ってゆく。その時、矢が弓弦から離れなければ飛ぶことはできない。ここがとても重要で、矢はスムーズに弓弦から離れなければならない。

弓弦がもとに戻ろうとする力が矢に伝えられる。矢の速度が十分に遅いときは、弦の元に戻る力が伝わるが、次第に矢は弦の速度を超える。超えれば矢は弦から離れて飛んでゆく。

弦は指から離れた最初が一番強い。そこからは弱くなる一方であろう。もちろん微細に見れば、停止した状態から加速し、どこかで最大値に達し、また弱くなり停止する。その最大値になる点は手を離した近辺にあるだろう。

ゴルフスイングもそう考える。最初に力のマックスがあり、あとは弱くなる一方と考える。そういう力の与え方を模索する。

最も有効なのは、スイングの改造よりも筋力の鍛錬である。トレーニングして筋力を上げればそれだけで飛距離は向上する。構造の改革よりも、部位の強靭化である。

慣性の法則が示す通り、止まったものを動かし始めるのが最も大変である。ゴルフスイングではここで重力を使う。クラブを高く持ち上げ位置エネルギーを与えているのはその為でもある。それからゆっくりと動き始めたクラブに一瞬で筋力を発揮しパワーを与える。

この加速する場所はどこか?

長く加速することを考えるよりも、どこで一気に爆発すべきか、その場所を探すべきではないか。

練習場より 2015.07.09号 - より飛ばしたい力の与え方

形を制限することで得られるものがある。伸ばす所は伸ばし、縮める所は縮める。そういう動きをするためには構えの最初の所で体を制限しておく必要がある。
  1. 腰を正面に向けて固定しておく事。
  2. 左脚と左腹をすり合わせるようにスイングする事。

こうしてひとつの結論を得るのであるが、そこで満足はできない。今の段階から更に力を強くするにはどうすればいいかと直ぐに悩み初めてしまう。もしかしたらゴルフがしたいのではなく悩みたいだけではないか。そう思われても仕方がない。

際限なき追及はゴルファの誰もが持っている欲望であるし、ひとつの階段を上がれば、次の改造が待っているのは、世の常である。

力の考察
よりスイングを強化するにはどうすれば良いか。それを追及するには物理学的にも生理的にも合理性がなければならない。こうすればより強くなるはずであるという考えが、もし物理学や生理学からみて妥当でないならば、その改造は基礎から崩れることになる。

例えばアニメでは機体を強化したり、新必殺技を編み出したり、新しい武器を手に入れることで強い敵を倒すことができるようになる。その状況をどう描いているか研究すれば見えてくるものがある。

通常、新しい機体や武器は以前の旧式よりも大きいものである。これはマジンガーZやゲッターロボ、ガンダムなどを見みれば分かることである。大きければそれだけで強い。

更に動きも重要である。これはパンチひとつとってみても、ジャブよりもフック、フックよりもブーメランフック、ブーメランフックよりもブーメランスクエアーとより動きは大きく派手になっているのである。

ゴルフスイングに置き換えれば、スイングの強化とは「大きく・大きく・早く」に極まる。後はこれが物理学の法則に違反していないかを検証すればいいのである。
  1. 体を大きくする - 質量を増やす。
  2. 動きを大きくする - 距離を長くする。
  3. 動きを早くする - 速度を上げる。
これらの妥結は次の方程式に極まる。
力 = 質量 × 加速度 (F=ma)

人は力を与えたい時は自然とこのいずれかを向上しようと試みるものである。体を大きくして質量が増えればそれだけ力が強くなる。距離が長くなれば加速度が同じでも速度が速くなり力が強くなる。動きが早くなれば、それだけ加速度があるので力が強くなる。

一般的にゴルフスイングでクラブを重くする人はいない。重くするなら、どちらかといえば腕を鍛えて腕力を向上させ腕の重さを上げる方がよい。重いクラブでは慣性の法則により人間の筋力では短時間に十分な速度を与えらないからである。

距離の考察
そこでスイングの強化はスピードに注目するしかない。ボールにヒットした時の速度と飛距離は比例する。上記の公式は速度ではなく加速度であるが、速度を微分したものが加速度であるので、当面は similar なものとして考える。

速度を上げるためにはどうすればよいか。
速度 = 距離 ÷ 時間

この式に従えば距離を長くするか時間を小さくするしかない。
  1. 加速できる距離を少しでも長くする
  2. 距離を移動するのに必要な時間を短くする(加速度を上げる)

ゴルフスイングでは、距離も時間も無限ではなくクラブの構造が決定する。距離を稼ぎたいドライバーではシャフトを長くして距離を稼ごうとしている(直径が長くなれば円周も長くなる!)。
クラブ長さ円周
ドライバー45 インチ7.2m
フェアウェイウッド43 インチ6.9m
アプローチ35 インチ5.6m

スイングで使用できる距離が円周の半分だとしても、3.6m, 3.4m, 2.8m である。これにシャフトのしなりが関係してくるのでスイングと速度の関係を正確に求めるのは難しい。

それでも距離はクラブによってほぼ決定する (スイングの工夫により距離を稼ぐ人もいる) のであるから、クラブの選択で距離の話は終わりである。

時間の考察
そうすると人間に出来ることは時間である。速度を向上するには、必要な時間をいかに短くするかに掛かっている。

しかし時間といってもアマチュアのゴルファーでさえ十分に短い。スイングにかかる時間は1秒未満である。この極めて瞬間の内に、停止しているクラブは加速し、ボールにヒットし、減速してから停止する。実際には加速に使える時間は 100ms もないのではないか。
  • トップで停止している位置から
  • 最初の初動で動き始め
  • 次第に加速をし速度を上昇させ
  • ボールにヒットし
  • 停止するために減速を行い
  • フィニッシュで停止する

こういうことを人は無意識に気付いているから、加速する距離を少しでも長くしようとする。それがトップを大きくするし、最初から力んで加速しようとする。一気に最高速度に達するには全力で加速すべきなのである。

当然その結果が上手くいくはずもない。

動き始めを強引にすれば軌道が乱れるのは想像に難くない。それよりも動き始めで使うべき力がある。なぜトップが高い位置に持ち上げるのか。位置エネルギーを使用するためである。つまり重力である。

アイアンがある程度の重さを持っているのは、質量があるので慣性の法則によって直進安定性がよくなるからである。重力を利用して落下されば自然と綺麗な安定した軌道を描く。更にこの重さがラフなどの不安定なライでもより直進しようとしてくれる。

ウッドなどの軽いクラブでは安定性よりも加速を意図している。同じ力であるなら軽いほうがより加速する。質量を軽くし与えられた加速度が速度となって力を生み出すように設計されている。

重いクラブは、重力を利用し安定した軌道を通すのがよく、軽いクラブは、それは筋力を使って振り回すことが前提だろう。

さて、ここで考えなければならない。一体、時間を短くするとはどういう事か。時間が短くしたければ、速度を上げるしかない。しかし、時間を短くしたいのは、速度を上げたいためであるから、この議論には、時間を短くするための具体的な議論がまだ含まれていないのである。

斥力の考察
どれほどスピードが上がっても、ボールとのインパクトで押し返されては意味がない。

もしクラブヘッドが豆腐だったら、例えタイガーウッズと言えども 10ヤード も飛ばせないであろう。ボールの斥力に押し返されずに打つ、インパクトで減速しないことは重要である。

インパクトで減速せずにボールを跳ね返すにはどうすればいいか。スイングの加速する区間の終わりにはではくその途中にボールを置いておくことである。クラブが加速を続けている(その力を受けている)ならば、ボールの斥力と与えている加速度が相殺しあうだろうと思われる。

2015年7月5日日曜日

練習場より 2015.07.05号 - 左足と左腰で捻られた形を生ず

腰を真っ直ぐに止めれば、上半身が右に動くと、相対的に、左大内転筋が緊張したのと同じ形を作る。腰を動かさないに加えて、背骨さえ左右に傾けないで、その場所に留まるように意識する。

形を作ってスイングするのは、ひとつの有効な方法だろう。だけれども、それは分かった上でやった方が効果は高い。

形を真似ても微細な所が違えば全く違うと言ってもよいほど、精妙だろう。ほんの少しの違いが、大きな差になる。それは1度の角度の差が遥か遠く離れれば、数十光年の差を生むのに似ている。同じに見えて小さな違いが全く違った結果を生み出すことは多い。技術は細部に至る。

だけれども、形を言葉で正確に説明できないことも多い。仮に説明できたとしても相手がそう受け取るとは限らない。ここの形はこう動くと言っても伝わらず、ただ、この形を見よ、と言うしかないという境地はあるだろうと思われる。

腰を真っ直ぐにしてスイングすれば、左足が内側に左腰が外側に捻じられたような形でフィニッシュする。

しかしそれは捻じって作った形ではない。捻るのが目的ではなく捻じられた形はスイングの結果。捻じってスイングするのではなく、捻じられるスイングになる。腰と左足がくっつくという感じ。左足の内側と左腰とが当たってその境界線ですれ違いこすれ合うため捻じった形が生まれるイメージ。

左足が内側に向かう、上半身が外側に行く。形としては捻られているのだが、それは捻ったから生れたのではなく、上半身が左足に当たって繋がってひとつの形を生み出したために生まれたという感じ。

2015年7月2日木曜日

練習場より 2015.07.02号 - 腰は固定して

左大内転筋を緊張させると共に、右腰を入れるよう意識する、と書いてみたはいいものの、スイングという刹那(一秒未満)に終わる動作の中で、意識的にそれを行うのは困難であることは自明であった。

意識して緊張させる、無意識のうちに自然に動いていた、これらは意識に問題があり、意識の問題として昇華させたいのは、当然ながらコントロールしたいという欲求の現れである。

ある目的を達成するのに、ひとつしか方法がないという事は考え憎く、多くのものは同じ効果を得る複数の方法があるものである。

それはスイングでも同じこと。そこで、左大内転筋と右腰をもっと簡単に望ましい状態に置く方法に何かないだろうか。

左内ももと右腰の代わりに骨盤の向きだけを意識する方法を試してみた。骨盤は一つの骨ではないが、大きく開いたり閉じたりする動きはできない。左が前に出れば右も前に出るし、左が前に動けば、右は後ろに動くという左右が一体した動きをする。

スタンスで取られた骨盤の位置を、腰の左右のラインとして考える。このラインをなるべく動かさないように意識するのである。

トップでは上半身は右を向こうとするから、それに対抗する腰の動きは次のどれかしかない。
  1. 上半身に応じて腰も右を向く。
  2. 上半身に対してそのままの場所に居ようとする。
  3. 上半身に反して、腰は左を向こうとする。

このどれかになるのは、当然ながら哺乳類には肋骨があるからであって、爬虫類型人類の場合、肋骨が腰まで続いているので、お腹を捻るような体勢は作れまい。そのため爬虫類型人類がゴルフをする場合、我々とは違ったスイングを形成しなければならぬだろう。

さて、腰の位置を固定して上半身を動かすと、まず方向性が極めて良くなる。これは恐ろしくである。また、動かさないという意識によって、スイングの時、上半身だけが左に行こうとする動きに対して、下半身が拮抗してくれる。それによって自然と左足側の緊張(動きを支えるという運動)が強いられ、左大内転筋が緊張する。

更に上半身が左に行こうとする動きに対して、腰の右側が引っ張られるので、自然と腰を入れた形状が取られる。

こうして、腰を動かさないように意識することで、最初に指摘した複雑な動きを自然と取り込む事ができるのである。

骨盤の形状は、肘掛の付いた椅子のようであり、パトレイバーのそれにもよく似ている。ここを動かさない事で、上半身が動いても、下半身の動きは制限される。この制限している力がスイングの力となって発揮されるように思われる。これはこれで理に叶っているのではなかろうか。

2015年6月25日木曜日

練習場より 2015.06.25号 - 右腰のクイッ

もっと下半身を使ってよ!そういう状況である。上半身の次は下半身は自然の流れであろう。

これまで長く上半身にフォーカスしてきたのには荷重の問題があった。自然な荷重になっていなかったことがあらゆる範囲に影響をし、長く違和感として意識され続けて来たのである。

荷重を変えることで違和感は解消され、意識が下半身もフォーカスし始めたのである。

さて左大腿の内転筋を使うことでスイングは安定する。特に、左に突っ込んだり、大きく回転することが減ってきた。回転する軸が右側で安定するようになってきたのである。

左の次は右である。トップを作る時に右側は何を意識すべきか。

それは腰である。トップの時に右側はどういう動きをすべきか。トップを作れば、上半身は右を向くのだから、その動きは腰や右足にも影響する。

この時、腰がどのように動くか、回転するのか、後ろにずれるのか、それとも静止するのかはとても重要と思う。スイングではこの動いた分だけ元に戻らなければならないのが至上命題である。

戻るという動きは当然であるがスイングに影響を与える。例えば、矢が放たれる時、もし矢と弦を接着剤でくっつけていれば、どれほど勢いよく矢を飛ばそうとしても、矢は弦と繋がっていて飛ぶことができない。

矢を重くすれば飛ぶ力はすぐに消失してしまうし、弦が余りに重いなら引っ張る力は一定なので矢を飛ばす力は小さくなるであろう。

腰という大きな重しが動くという事はスイングの回転にとって良い事ではない。それは重い弦と同じであろう。

トップの時に右腰の腸骨は動かない方が良い様だ。そしてスイングの時に左大腿の内側の筋肉が緊張するとともに、右腰がクイッと動き、腰を入れる動作をするのが良いように今は思われる。

クイッと動くとは、正面を向いている状態から、左を向くように動くという事である。

このクイッと動くためには、トップであまり後ろを向いていたり、右側に傾くのは良くない。距離が短いほど、クイッは素早くできる。

よってなるべく動かない方が時間的にも距離的にも短くなる。そしてここを動かないようにするとどうしても腰の上と下との間が伸びないといけない。

これがいい感じな気がする。これについては次回の練習でもう少しやってみる積もり。

2015年6月18日木曜日

練習場より 2015.06.18号 - 平行である必要はない

人間というものはゲン担ぎが好きである。キリのよい数字も好きである。アリストテレスが真空を嫌い、ピタゴラスは無理数を嫌った。それにも相当の根拠はあったのだが、現在は否定されている。

人間は自然の中に人間らしさを見つけたときに安心感を得るのだろう。素数が好まれるのも同様であろう。自然の中にある不自然さであったり、自然の中にある人工的なものを好むのは脳の自然な性質だろう。

角度は90や180度の方が綺麗な気がする。89や176度では中途半端な感じがする。1月1日が昨日とも明日とも変わらぬのに特別な感じがする。そういう感覚を人間は持っている。平行でないよりも平行な二直線の方が気分がいい。

いずれにしろゴルフは人間のやることであり、人間も動物である以上、スタンスが飛行線と並行であるというのは思い込みであろう。平行であるほうが良いという根拠などありはしない。

好き嫌いでしか語れない思い込みは捨てるべきだろう。人によって、また体調や、スタンスによっても、構える方向は目標に対して平行であるとは限らない。あらゆる人にとっても常に同一の角度であるはずもない。

すこし斜め気味である方が自然かも知れない。ばっちし平行である人こそ珍しいはずだ。角度にしてたった3度かも知れない。ややオープン気味であったりクローズ気味であったりする方が、殆どの人にとっては自然だろうと言う話。

  • 外足荷重によりかかとで体を支える。
  • 胸より下を腕が通るように構える。
  • 腕は自然の動きを一切妨げないよう力を抜く。
  • トップからスイングに移行するときは左足内側の収縮から始める。
  • スイングの軌道、特に腕が常に飛行線と並行に動くとは限らない。

練習場より 2015.06.18号 - 左足内転筋群

スムーズにするのは大変に難しい。それを意識して見つけ出すことは不可能ではないかと言うくらいに複雑である。それは意識的なものでは完結しないように見える。

多くの力が関係する中で、それぞれ力が独自に働き影響しあう中で、どうすれば目的とする振舞いを見つけ出す事ができるだろうか。それを計算して求めることは困難と思われる。このスイングのどこがネックになっているのか。どうすればスムーズに振ることができるのか。これは多体問題ではないか。

スイングでは人間の骨と筋肉がクラブの軌跡に影響する。そこでは内足荷重を外足荷重に切り替えるだけで見違えるほどのスムーズさが手に入れる。それが偶然なのだから世の中の幸運とは恐ろしいものである。

人間の苦悩に何の価値もない。脳髄をどれほど絞ろうと結果が得られないのなら偶然の発見に勝ることはない。まぁ脳髄を絞ってなければ偶然の発見にも気付かない、という話しでもあるのだろうが。

フォーカスすべきは左足の内転筋群(太ももの内側の筋肉)である。トップからスイングに転じるとき、初動すべきは左足のふともも内側の筋肉である。ここを緊張させることでスイングが始まるのである。それは次のような動きを体に強制する。
  1. 左足の緊張により体が左側に移動しようとする動きを制限する。
  2. 左足の緊張によりスイングの中心を体の右側に固定する。
  3. 左足の緊張により体の上半身の緊張(この場合は望ましくない緊張なので力みと呼ぶ)が起きにくい。
  4. 上半身の力みが減ることで左腕の動きがスムーズになる。

2015年6月14日日曜日

練習場より 2015.06.14号 - 外足荷重

斎藤さん、栗林さん、石井君と行った北海道のスキー場の初日。雪にスキーをとられ右膝をやってしまった。その後も大切にしなかったため、遂には膝の靭帯は伸び切り、軟骨も負傷してしまった。しまいには強盗にもあい右膝の関節をきれいにする整形手術を受けることになった。

右膝を怪我して以来、スキーはしていない。スキーは片足にかかる負荷が分散できないからである。雪山はスノーボードに変えた。これなら両足を使えるので片足だけに負荷がかかる状況を軽減できる。それでも庇うという習性から逃れられたわけでなく、常に膝に負荷が掛かる動きを避けるのが癖づいた。

右膝を庇うために、基本的には右膝は真っ直ぐにして、横からの力を受けないようにする。前後の力以外は掛からないようにし、もし掛かったらたちまちそれを回避する動きをする。そういう意識付けは強い。

これは歩き方にも影響した。膝を真っ直ぐにするので脚も真っ直ぐにする。歩き方は足のかかとから踏み込まない。かかとから踏み込むと衝撃を膝で受けることになる。そうではなく足のつま先にある足球から接地する。親指側から着地し、ゆっくりとかかと側に体重を移動する。

こうして、もし接地で膝を捻りそうになっても咄嗟に対応できるようにしておく。体重を左から右に移すのは右ひざへの負担がないことを確認しながら行う。そういう段階を踏むことでもし捻りそうになっても直に元の側に体重を戻せる。

足の構造と障害 | asics.co.jp

このようなクセが付いたために、ゴルフのスタンスでも、足を真っ直ぐにしていた。足を平行に構えるので、内足に重心を乗せていた。本来は外足荷重であったため、疲れてくると自然と外足荷重に戻っていった。

4スタンス理論で重視される内足荷重と外足荷重の違いは、本来の性質というより、つま先の向きと思われる。
  • 内側に閉じている
  • 平行である
  • 外側に開いている

更に言えば、X脚か、O脚の違いかも知れない。骨格の付き方が自然と荷重の方向を決める。

内足荷重、外足荷重は、つま先側に荷重するか、かかと側に荷重するかでも決まると思われる。つま先側に荷重すれば内足荷重である。かかと側に荷重した場合はどちらでも可能だ。
  • つま先側への荷重(内足荷重)
  • かかと側への荷重(内足、外足荷重)

人間は疲れてくると、自然とかかとに荷重するようである。そうした方が体全体の負荷を下げるらしい。これは足の内側の筋肉が疲労して、つま先を閉じていられなくなるのとも関係しているようだ。

つま先を平行にし、内足荷重、つま先荷重のスイングを、つま先を開き、外足荷重、かかと荷重に変えればスイングも大幅に変わる。

内足荷重つま先荷重つま先は平行X脚
外足荷重かかと荷重つま先は外側に開くO脚

これはもちろん、これまで庇ってきた右膝への負荷を高める可能性がある。故にどうしてもマン振りができない。すると軽く振るしかなくなる。漫画じゃあるまいし、この膝が壊れてもいい、この一球だけは300ヤードをオーバーしてくれ!という事など出来るわけない。まずは膝を保全するのが本能に刻まれた最優先事項である。

という訳で、本来の外足荷重に戻してスイングすると格段にスイングが良くなったように思える。これまでの内足荷重は様々な部分に余計な負荷やっ障害物、運動に対する反力、斥力、ブレーキになっていたようだ。それが取り除かれて、非常にスムーズに運動できるようになった気がする。

これまでのそれはまるでアトラスが地球を背負ったままスイングをしていたようなものである。それらの重石がなくなったのでとても潤滑に動くようになった。

これは上手くなったんじゃないかと自負するが、それを試すコースは7月まで延長である。

2015年5月9日土曜日

GOLF 2015.05.09号 - 右足の崩壊

練習場では失敗を練習できない。練習場で起きるのはミスであり、その訂正が練習である。しかしそれを失敗とは呼ばない。

失敗には原因がある。起きてしまったことの取り返しはつかないが、二度目が起きなくする工夫は怠らずしたいものである。しかしながら人間は失敗を繰り返す。一発でその原因を把握し、次に必ず成功させるようには生まれていない。

意識化したいという思いもこれが理由である。失敗からの訂正に上手く対処するには意識的に行うしかないと考える。もちろん、意識化が全てを把握することはないだろうし、無意識も含めたすべての感覚が正しい保障もない。左脳を使おうが、右脳を使おうが、失敗はするし、失敗は繰り返されるだろう。

それでも意識化には良い所がある。それは失敗と正面を向いて対峙できる事だ。もしこれが原因ならば次はそこに注意してチャンレンジする事が出来る。

という事を繰り返してきた。どうやら意識化という言い方に既に間違いがある。本当は問題の顕著化と呼ばねばなるまい。どこかに問題がある。それと取り組むのなら、問題を顕著に表現しなければならない。意識化とは問題の言語化でなければなるまい。

それが出来るのはコースしかない。何度やっても失敗する。さっきまで上手く打てていたものが、失敗する。練習場のスイングを思い返し、その時に取り組んでいた打ち方を意識してやってみる。それでも失敗は収まらない。

道理で言えばあり得ない。あそこで上手く打てたのにここで打てないのは物理法則が違っているのではないか。訝しく思う。見通しもなく、しかし、頼りになるのは練習場での意識化だけである。細菌学を使って黄熱病に挑んだ野口英世のようなものだ。私にはわからない。そういう言葉しか残らぬ悲しみ。

幸いにして、チャンレジは何度でも出来る。次はどうするか。

問題を究明するしかない。エジソンの如く失敗しているのではない、成功しない方法を洗い出しているのだ。何か意識されていない何かがある。失敗を再現させてみようとする。同じスイングは二度とない。だが似たスイングなら何度もある。だからゆっくりと失敗を再現させてみる。どこかに何か違和感がないかと。

疲れによってスイングが崩れることがある。一本のねじが外れただけで機械が激しく振動し壊れてしまう様に。どこかの筋肉が疲労から緩むことでスイングが狂う可能性は十分にある。

右肩が落ちるスイングは、どうも右肩が落ちる事が原因ではない。右肩が落ちるのは原因ではなく、結果としての現象らしい。そう思いスイングしてみると、どうも原因は右腰の落ち込みにある。更に試してみれば、重心が右足にずっと残っていることがその原因らしい。

右足の重心は左に移らなければならない。これが出来ない理由は疲労だろう。筋肉が悲鳴を上げる。命令しても動かない。それでも体は運動を完成させる必要がある。

まずすべきは重心の移動をやめることである。疲労しているので体はエネルギーロスを最小にしたい。右足の重心が移動しなくても構わないではないか。それしかどうせできないのだから。

その結果として右ひざが崩れ、右腰は曲がり、右肩が落ちるとしても仕方がない。スイングは実行されたのである。疲労による右足の崩壊現象である。

右足は重心を左側に移そうとするが、左足が突っぱねるので重心の移動が出来ない。左足が突っぱねてしまうのは、どうやら両膝が外側に開いてしまってからのようだ。太ももの内側が疲労から支えきれず両膝が外側に向く。そのために重心移動がスムーズに出来ていないようだ。

両膝が外側に開くとどうなるかを探ってみると、外足荷重になっていた。疲労が内足加重を外足加重に変えている。内ももが付かれて膝が外に開き外足荷重になっていた。



足裏の内側で体重を支えるのか、重心を外側に置くのかは 4スタンス理論でも紹介されているようにどちらが悪いという事はない。だが内側重心で取り組んできたスイングが外側荷重でも通用するとは限らない。外足荷重の時に内足荷重を意識したスイングをしても成功するとは限らない。確かにコースでは物理法則が変わっていたのである。

これに気づいたのは帰りの車が駐車場から来るのを待っている時だった。

2015年5月8日金曜日

練習場より 2015.05.08号 - 肩と首

トップを作るために右に腕を回せば、当然ながら上半身は右を向く。背骨も右を向く。この時、左肩と首の関係に注目する。首の上にはたいへんに重たい内容物入りのスカルがある。

人間の体は一番重たい頭部を一番上に置くことで重力を利用した効率的な運動を実現した。それにはバランス感覚が重要である。ただし、断崖を登る鹿であったり木の枝を次々と渡る猿のようなバランスとはまた別のものであろうと思われる。

トップを大きくすれば、それだけ頭も動く。頭が大きく右側に動けばスイングで元に戻る時には頭も戻る。頭のような重量物が動けば、それが反動として体に与える力は想像以上に大きいと思われる。その動きが慣性となって体全体を揺らすのは想像に難くない。

つまり、腹筋で上半身の回転を止めるにしても頭が動き続けてはスイングの安定性を乱すだろう。上半身が頭の動きでビヨンビヨンと揺れていては安定した方向性に不測の動きが加わる。

スイングで頭を動かさないのはスイングを安定させる為である。体が正中を向いたときに上半身を止める動きをすれば、頭も止まると考える。腹筋の止める動作は腹部だけでなく、頭部までつながった話である。

トップで左肩を回し過ぎて強く首を右に押し頭を右側へ追いやると元に戻す運動は遠くになるほど困難になる。肩と首の関係がスムーズになるよう頭を右に動かし過ぎないように意識することは重要と思われる。

2015年5月3日日曜日

練習場より 2015.05.03号 - 腹筋の参加

トップでは体は右側を向いている。そこから体幹を使って(ボディターン)正面を向くように戻してゆく。腕の力は完全に抜いておく。

もし、振り子とか、回転を意識したスイングなら、上半身は右から左に回転してゆく。回転するスイングでは、この回転する速度がそのままクラブ速度になると考える。

それはクラブと上半身が同期して動くイメージである。この時、クラブの速度と体の回転速度は一致しなければならず、その同期が一致せず、体が遅れればクラブを減速させるし、体が早ければクラブの軌道が変わってしまう(体が開く)。



そうではなくて、ボディターンで上半身が正面を向いた時に、腹筋が上半身を止める。それは上半身の運動を停止させる動きでもあるし、上半身の回転する運動を、下半身が受け止める動きとも言える。

そこから上半身と下半身は同調して動く。回転する力を腹筋によってロックする意識である。もちろん回転そのものを止める訳ではない。そんなことをしたら体を壊してしまう。

トップから正面までは上半身が回転する。正面を向いた時に腹筋が緊張し、上半身と下半身が一体化する。これが体の回転を減ずる。

体の動きは減速するが、クラブが左に進む運動が解消されたわけではない。クラブを減速させる動きでもない。体は停止するがクラブは加速するのである。これは釣りの時に沖にしかけを投げる動作と酷似している。釣りでは腕を止めるだろう。野球のピッチャーも腕を振り抜く時に体は一緒に回していないはずである。

釣りキチ三平を参照!

背骨としての一本の棒が伸びている。そこから二本のヒートン棒(肩)が横に出る。その先の輪っか(肩関節)に、別のヒートン棒(腕)が付く。

これに腹筋のモデルを追加する。

背骨は回転をする棒である。この棒の右側は自由に回転できるが、左側には突起が付いていて回転しないようになっている。右から左に回転させようとしても突起に当たって回転が止まるのである。



上半身が力み筋肉が緊張している状態は、腕に重りを付けているのと同じである。軽ければ小さなエネルギーで動かせる。軽い方が早く動ける。重りは速度向上の役に立たない。

これが慣性の法則(ニュートンの第一法則)である。
重いもの、動きにくいし止めにくい。軽いものは動きやすく止めやすい。クラブヘッドがむやみに重ければスイングでは必要な速度を得られないだろう。

第二法則(運動量)
力とは質量と速度の積を時間によって微分したものである。加速度は速度を微分したものであるから、単位時間当たりの力は加速度で考える。力は速度に比例する。ボールとクラブヘッドの質量は一定だからボールが受ける力は速度にのみ依存する。

第三法則(作用、反作用の法則)
ボールに当たったクラブは反作用を受ける。この時、止まらずに更に押し返す力があるほど、ボールは飛ぶはずである。


体が減速してもクラブには慣性の力が残っているから加速を続けられる。なぜ体を停止した方が加速できるのか。それはロケットが加速するために少しでも重量を軽くしようと使い終わったロケットを切り離すようなものだ。

腹筋が明確にスイングに参加することがとても重要と思われる。しかもそうすれば方向性が良くなる。体は外から見るとあまり左右、前後には動いていないように見える。しかし体の中ではエネルギーの移動、筋肉の動き、重心の動き、が起きている。

そこには振り子とかでんでん太鼓とか目に見える運動の派手さはない。それをしているのはクラブの運動である。体がクラブの運動と同じである必要はない。体の中では外からは見えない回転運動とは別の複雑な運動が起きている。そういう結論に至った。

2015年4月26日日曜日

練習場より 2015.04.26号 - モデル化の始まり

スイングについてのイメージがまとまってきたら、それを単純なモデル化するのも、何かの役に立つのではないだろうか。

モデル化は物事を理解するひとつの手法であるが、単純化する時に重要なものをネグレクト(無視)する場合もあるので注意が必要だ。

それでも理解を助けるのに有用だろうし、何が足りないかを明敏化するのにも活用できる。これはモデルの中にないものを探せばいいという話である。つまりモデル化とは考える道具として使用できる。

さてスイングのモデル化は、まず一本の棒を用意する。これは背骨のモデル化である。スイングでは15度くらい傾ける。これは前傾姿勢を表現している。

次にその棒(背骨)から二つの棒が斜め横160度くらいに飛び出す。その棒の先端には丸い穴がある。これが肩のモデル化である。

丸い穴には自在に動く長い棒が付いている。これが腕である。腕の先には一本の棒がついている。先端は若干の重り構造である。これがクラブである。

このモデル化では下半身をネグレクトしている。上半身だけを対象としている。




スイングでは、肩である棒が右方向に回転する。腕は肩の肩さまで上昇する。これがトップの構えである。




スイングでは、左腕が左肩を矢印の方向に押すように動く。すると押された左肩が逆向きに押し返す(反発する)ので、その押し返された力によって腕は自然と肩の下方向に向かう。

押されている肩もゆっくりと左側に回転しているが、腕の方が圧倒的に早いので、相対的速度の差から肩は押し返す事ができるのである。逆言えば肩が早く動くと押し返す力が利用できない事になる。

腕は肩を押し押し返される反力をクラブの動きに利用する。もし腕が力んでいると肩から押し返す力を無駄に捨てることになる。つまり腕が軽いほど回転する力に応用されるはずである。

これが腕の力を抜くである。腕の筋肉に力を入れても回転する役には立たない。逆に回転のブレーキになってしまう。

トップの位置からはスイングに移るとき、右を向いた体は背中の筋肉を使って元に戻す。これに併せて腕も元の位置に戻る。注意すべきは腕の筋肉によって戻すのではない。体が左に戻るから腕も元の位置に戻るのである。

スイングは始まっているので体が戻るよりも腕が戻る方が速い。腕は肩を追い抜くために肩を押すことになる。この時の肩が押し返す力を使って腕は下方に向かうのである。

ボディターンによって右に向いた体勢を元に戻す。この戻す力を利用して腕は肩に真っ直ぐ当たり、押し戻された力が腕を下方向に導く。

2015年4月18日土曜日

GOLF 2015.04.18号 - 勝敗の決め方

気の知れた仲間とチーム戦をするのも興味ふかいものである。チーム戦では迷惑を掛けられないという思いが新しい緊張感を生む。これがゴルフの新しい表情を見せる。

チーム戦ではスコアよりも相手に勝利する方にフォーカスが移る。そこで全員が低レベルなスコアでも、緊張感は高まるので競技としての楽しさは別格になる。緊張感をもってゴルフが出来るのでスコアの向上にも寄与しそうである。ところが不思議とスコアはあまり変わらないようである。

一般的にホールごとのスコアの合計で勝敗を決める。この方式はルールが簡単であるが、途中で誰か一人が大叩きするとそこで勝負が終わってしまう。割合早い段階で終わってしまうと少し詰まらない。囲碁ならば中押しができるが、ゴルフでは途中で棄権するわけにもいかない。チーム戦の途中で緊張感が解けてしまうのが惜しい。

そこで単なる勝ち負けではなくスコアに重みを付けて得失点差で勝負する。パー、ボギーなどに点数を付け、得失点制とする。例えば、バーディ(-3) パー(-1) ボギー(1) ダブルボギー(3) トリプルボギー(5)などと決めれば、仮に勝敗は決まったとしても、少しでも得失点差を縮めようとするので勝負を投げずに済む。

ホールごとにお互いがマークする相手を宣言する方法もある。A さんは C さんと勝負する。B さんは D さんと勝負する。対戦相手を一人に決めて雌雄を決する。勝敗の組み合わせは 2勝、1勝1敗、2敗という組み合わせになる。

この時に、組み合わせに主従を決める。そして得点は主と従では違うものにする。例えば主が勝てば 2 点、従なら 1 点というように得点を配分する。この得点とスコア差を乗算して得失点差を決める。

これらをホールごとにお互いが宣言する。ホールごとに同じ結果でも宣言の仕方次第で得点が変わる。同じ負けでも得点に差が出る。ゴルフにホールごとの勝敗の予測や戦略性が付与されると思う。

2015年4月16日木曜日

練習場より 2015.04.16号 - スイングは回転ではない

トップはクラブの位置エネルギーを獲得する。それと同時に体重を右足に乗せる。

人間は二本足であるからスイングの時には右から左へ荷重が移動する。人間の歩行が恣意的なバランスの崩れから、重力で倒れる力を利用して前に進むのと同様に、体重の移動は基本的に安定性を損なう動きである。

同様にスイング中に荷重を変える動きはスイングの方向性を悪くする因子と思われる。

方向性を重視する時は右足に乗せた体重を成るべく移動させない方が宜しい。逆に距離を稼ぎたい場合は右足から左足へ荷重を移動しパワーを生み出すのが必然だろう。

しかし体重移動がクラブと同じ方向に同じ速度で同じタイミングで起きるのは望ましくない。左に向かって加速するクラブと体が完全に一致するのは、同じ速度で同じ方向に動く物体が止まって見えるのと同じである、つまりエネルギーは与えられない。

クラブが運動するには引っ張るか押すかしかない。それを最初にするのは体であることは間違いない。しかし、ロケットが上昇するにつれ不要なものを切り離すように、体もどこかでクラブの運動から切り離されなければならない。

クラブの動く速度は秒速 40m 以上、144Km/h。それが一秒未満でトップからフィニッシュまで通り過ぎてゆく。それを体が追い駆けるのは無理である。もし追いかけるならそれはクラブを加速するどころか減速するだろう。

左足への荷重の移動は、回転力を与えるためのものではあるが、例えば、モーターが回ってクラブを回すようなものではないと思う。



体が先行してクラブを動かし始めたとする。その後にクラブは体の回転速度を遥かに凌駕し追い抜く。追い抜かれた後はクラブの運動を妨げないようにしなければならない。クラブは振り抜かれるが、体を振り抜く必要はない。

どちらかと言えば、追い抜かれた時に体の回転を止める。止まった場所で梃の支点となる。「私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう。」地球さえ動かせるのである。クラブの加速など軽い。



右脚から左脚に荷重が移動するのは、クラブの加速が始まる前ではないか。右から左に移動する体重を左足が受け止め踏ん張る。ここにクラブからの力も加わり左足は反力を返す。それがクラブの加速をさらに促す。

スイングの重心が真ん中にあるように見えたとしても、それは止まっているからではない。回転の中心が真ん中だからでもない。様々な力の合力が、真ん中でバランスを取っている結果であって、それが合力したら0になっているに過ぎない。
  1. トップでの右足への荷重
  2. スイングでの左足への荷重
  3. クラブの左へ働く力
  4. それを受けて耐え反発する左からの力

更に練習は続く。

2015年3月21日土曜日

GOLF 2015.03.21号 - パットの目覚め

そりゃ何を発見しようが今までの繰り返しに他ならない。練習場で上手くいってもコースじゃ下手なままである。それは何度も繰り返し打つ事を目的とした練習場と一度しかチャレンジできないコースの違いでもある。

それでも、これまでで一番、練習場に近い形のスイングになろうと努力したしゴルフそのものも考えてやろうとした。

そしてパットである。これまでは斜度も芝目も読めないし、読んだところでボールがどう動くかよく分からなかった。分からなかったというより基準とすべき考え方がなかったので打つ手がなかった。

だから自然とまっすぐ打つしかなかったのだけれど、新しい考え方を発見したのでようやくボールは斜面や芝目によって曲がる、曲がって転がるという事を考慮してパターが出来るようになった。もちろんそれは物理学的に正しい考えではない。だが近似値としては十分に通用しそうなのだ。

パットは打ち出した方向にボールが転がる。重力があるのでグリーン上を転がってゆくのである。そしてボールは転がりながら斜面、芝目、芝の重さ、風、ボールの回転方向などの影響を受ける。

そこに次の考え方を取り入れる。これは仮定である。

ボールは転がる勢いがある間はまっすぐ進む。


そうでないことは承知している。ボールは最初からその影響を受ける。まっずぐに転がるなどありえない。

しかしその誤りは些細な事としてネグレクト(無視)してもよい。厳密ではないが、それによって生じる誤差は僅かである。そうするとボールが斜面等の影響を受けるのは転がる勢いが弱まってきた止まる直前に限定すれば良い。

パットされたボールは芝生との摩擦によって次第に推進力を失う。転がる速度が落ちてくると周りの影響を強く受け始める。だから勢いが弱まったボールは曲がるのだ。直線で進むフェーズと曲がるふたつのフェーズを別けて考えれば話しは簡単になる。

  1. ボールは勢いが強い間は一直線に転がる。
  2. 勢いが弱くなるとボールは斜度、芝目の影響を受けて曲がる。

すると、どのあたりまでボールに力が残っていて、どのあたりから力を失うかを考えれば、曲がり始める地点が決定できる。その地点からカップまでの斜度、芝目を読めばフックかスライスか、どの程度に曲がるかが把握できる。それによってどこでボールが力を失うように打てばよいかが把握できる。

この考え方を頼みとして芝を見るようになった。あのあたりで減速して影響を受け始める。するとこれくらい曲がるだろう。そう仮定すれば、このあたりで止まるように打てばいいはずだ、と考えるのである。

K曰く、それはだいたい半分くらいの所から始まるそうである。

こちらとしてはそれだけの距離を読むのは困難だから、当面は残り 20cm だけをそう考えて打つようにしている。

こうしてパッティングが面白くなってきた。これは練習場では味わえない。コースでしか楽しめない。パッティングの上達も期待できる。

とは言ってもまだ4パットが6回もある。スコアはダメである。面白い事、楽しい事と結果は必ずしも一致しない。

でもよき一日であった。スイングに満足した、パターも楽しい。まるで、これが最後の恋である(浜田省吾/二人の絆)。

2015年3月20日金曜日

練習場より 2015.03.20号 - ボディターン

スイングの時に、スタンスからトップまで体は右を僅からながらに向くことになる。この時、手から腕、肩も合わせて右を向いている。

スイングではこれを元に戻す必要がある。この時に、腕で戻すなら手打ち、体幹を使って戻すならそれをボディターンと呼んで差し支えないだろう。

トップは手首から動いて作る。手首がまず動き、次第にそれだけでは足りなくて、前腕、肘、上腕が動く具合だ。これは遠くなるほど長い距離を動くという理屈で、太陽系の惑星の軌道をイメージすれば分かりやすい。

もちろん、最初に手首だけが動いているときでもクラブヘッドは動き出しており、もっとも遠い起動をもっとも長く移動している。

スタンスでは腕は体のずっと下にある。

トップは手首から順次に動けばよい。よって小さくトップを作るならば肩はそれほど動かない。

その時でも、体は若干であれ右側を向いているわけだから、これを戻すのに腕ではなく体幹で戻す。要は体を左に戻す動作である。

スイングの力は左腕と体の左端の部分、左わき腹に集約するようだ。それがあたかも一直線で交差する。

これは体の左側で交差する。最初に体の全体は右を向いており、そこから左肩から、わき腹、腰という風に左側を向かなければスイングにならないが、左腕が体を追い抜く時に、体の全体が既に左に開いていては力が減衰してしまう。

追い抜くのは加速しながらが望ましい。体が先に左を向いているとそれだけ体が移動できる距離が短くなる。それは加速する距離が短い事を意味する。だから体が先に開いていてはいけない。これが左の壁である。

さて、明日はゴルフである。芝生でこの考えが通用するのか。それともその他の理由で朽ちるのか。さて春を試してみようではないか。

2015年3月16日月曜日

練習場より 2015.03.16号 - 胸より下

スタンスを決める時には次の言葉をお経のように唱えながら構えなさい。

「胸より下、胸より下。」

両腕が胸の横(サイド、側)を通って胸の下で構えられるのであって、胸の上を取ってはいけない。「わきを締める」とはそういう形のことである。体の横に腕をくっつけるという意識とは少し違う。わきを締めるスポーツはおそらく全部だと思うが、上体が前傾姿勢になる。

両腕を体の横につけると腕も上体の構えに沿って斜めになるとしたものだが、そうはならない。腕は前に出る必要がある。そのときの構えが、わきを締める、つまり、胸の横を通っているという姿だと思う。

この最初の構えがもつ重要性がとても大きい。ここを間違えば、そのあとをどのように修正してもスイングの取り返しがきかない可能性がある。

第二回電聖戦の対 CrazyStone で石田芳夫24世本因坊が放った白59手の敗着が最後まで取り返せなかったように。

正しい位置に腕を配置できたなら、スイングはずっとやり易くなる。またそれでやり易いスイングこそが理に叶っているのだと思う。どのように力を与えるのが最大のパワーになるかと意識すれば「力む」が最上ではない。

更にはパワーの調整もイメージできるだろう。腕はクラブと比べるとずっと短い距離しか動かないことも体感で分かってくる。

こうした試行錯誤が練習の面白さだと思う。

練習場より 2015.03.16号 - 力は波で左足が反射する

物質とは何であるか、粒子であるのか、それとも波であるか。

観測結果に基づく考察は、物質とは波であるが、確率によって粒子として観測できる。という辺りで落ち着いているらしい。

さて運動が伝わるのも波である。波以外の伝わり方はあるのだろうか。それは知らないけれど、力が伝わるものである以上、スイングでも波として伝わっているはずだ。

アドレスしてスタンスを取りトップをつくり、そこからスイングする過程で、力は体の中を波となって伝わる。

所で、音を消すのに反対の波をぶつける方法があったり、津波に対して防波堤を設置する。波は色々な方法で消すことが出来る。

津波が海岸に近づくにつれて高くなるのは、ひとつに津波の速度が遅くなり後ろの波が追いついて合わさるからだ。

さらに海底との距離や横幅が短くなり、周りを押す力がはね返されて上方向の力となる(津波の波高は水深の4乗根と水路幅の2乗根に反比例)。二重スリット実験にもあるように波は重なると強く現れる。

AM波は振幅変調(波の高さ)を変えることで情報を伝える。FM波は周波数変調(波の幅)を変えることで情報を伝える。

波は伝わるものだけど、同時に屈折、回折、反射、透過、減衰するものでもある。スイング中に体の中を伝わる力は、それがクッションによって減衰するのか、透過してどこかに消えるのか、それとも足が地面に伝え、そこで反射されて、再び体の中に戻ってくるのか。それがスイングに合力されることもあるのではないか。

力を有効に使う点で波として考えるのはとても大切だと思う。スイングの時、左足がどのように力を受け止めるのか。左足はとても重要な働きをしている。力を逃がさぬよう地面を踏み体の中に戻す。

左足はクッションではない。

閑話休題、これ面白い。
Nikon|技術・研究開発|重力波検出(1/3)

これも。
石心の譜 - 読書日記 その4

2015年3月5日木曜日

練習場より 2015.03.05号 - じょうご、スイングプレーン、力み

円錐の頂点に手首がありゴルフクラブが円錐面を動く。この円錐がスイング面のイメージである。漏斗のような形。ロケットのノズルと同じ形。クラブは手首を中心として円錐上に軌跡を描く。スイングプレーンは円盤上ではない。

クラブは手首よりも後ろには行かない。重さは手の前にあり、重力の影響を受ける。クラブを下から支えてるのではない。常に斜め前にあるものを支えているのだ。

肩甲骨は上下に動く。トップで右の肩甲骨が上がりスイングで下がる。

思いっきり振ると言うのは、力みではない。思いっきりは、どこに掛かるのか。マン振りというのは、腕にかかる力だろうか、腰の動きだろうか、背中だろうか。

優れたスイングは下半身が微動だにしない。それがマン振りであってもだ。故に思いっきり力を入れるべきは下半身である。下半身を動かぬように固定することが乃ちマン振りである。力みは速度には役に立たない。しかしスイングの安定に必要と思われるのである。

両足が動かない事。そのように固定する事。両足を筋肉で縛る。スイングの軌道に力みはいらない。