2015年7月19日日曜日

GOLF 2015.07.19号 - スコア

スコアになる人とならない人がいる。

その違いは何であろうか。

ゴルフの価値はスコアのみでは語れない。しかしスコアもまたゴルフである。スコア以外の何かを追い求めるもゴルフ、スコアを追い求めるのもゴルフ。どちらもゴルフである。

もしスコアよりも、充実感が欲しいなら思いっきり力んでスイングすればいい。それが上手くいった時の開放感、快感は、他の何に依っても得られまい。打感がいい、力いっぱいやったという充実感は時にスコアよりも大切である。

アスリートには主にふたつのタイプがある。先頭に立って後ろを振り返ることなく、理想に邁進する追求型の人と、ライバルが居て、背中を追いかけるにしろ、先を逃げるにしろ常に相手と切磋琢磨しあい、お互いの関係の中で決着を求める勝負型の人である。

求道者と勝負師と呼んでもいいだろう。

アルフレッド・アドラーによれば、人間は原因によって行動するのではなく、目的のために行動する動物だそうである。これは別に目的を持てという説教ではない。何ら目的もなくぶらぶらしているよ、という人でさえ、どこかに向かっているのである。つまり時間は一方通行という程度の意味でしかない。

だから因果律が正しいかは重要ではない。自分が納得するのに十分な説得力と合理性があれば、その論説は受け入れられるのである。その原因と見做されるものは心がストンと落ちるかどうかに掛かっている。

心がどう納得するかは、原因の正しさではなく、目的との一致性ではないか、という話である。そうである以上、原因とされるものは目的に合致するよう探し出されたとも言えるのだ。

ゴルフに求めるものも、その先で感じたい充足感があって、それがスコアによって得られるのならばスコアを高める努力をするであろうし、スコアにはないのなら、恐らくスコアは望めないのである。

ゴルフのスコアとは力いっぱいやったという充実感の採点表ではない。

スコアを高めるにはどういう意識でいるべきか。まずは追求型か勝負型かに自分を分類しなければならない。恐らくねっからのスコアに興味のない人は勝負型でしかありえない。よって勝負に勝つという態度が必要であろう。

相手を、穏やかに、冷静に観察すること。常に相手のスコアを数え、相手のミスに乗じ、相手のファインプレ-には食らいつく。自分との闘いなどというまやかしは相手の結果が知り得ないプロのトーナメントでの話だ。

相手に一打でも打ち勝つことを目標とするなら相手が200叩いたら自分は199で喜ばなければならない。多くの人はこれには否と答えるだろう。だからライバルとは調度よく戦える相手でなければならない。そこでお互いが切磋琢磨すればお互いのスコアが上昇する。

戦略を練ったゴルフをすべきか。それとも達成感や充足感を得るためのゴルフをするのか。だが現実はそのどちらでもないかも知れない。自分でも知らない何か別の目的に向かって目標の置き換えが発生しているかも知れない。

そうだ。俺はやつらの驚く顔が見たいのだ。ドライバーでウッドでアイアンでアプローチで。充実感はその後に生まれればよい。だのに先ずは充足感から始めようとしている。いつも充実感を得ようとして失敗する。けっか誰も驚きはしない。いったい、快感とは何か、充実感はどうすれば得られるのか。

と言う自問に悩む程の圧倒的な敗北で終わった。富野由悠季の最大の発明はシャアだ。負ける側の感情を重ねられるこの稀有なキャラクタによって少しだけ救われる。

ここで重要なのは負ける側の立場であり、それがひとりひとりの人生と重なる。それはゴルフでも同じだ。

屈辱にまみれ、汚泥をすすり、無力感の中で、現実と対面する時。

このままでは勝てない。
ええぃ!連邦軍のモビルスーツは化け物か!

どうすれば勝てるのかと意識すれば、全ての歯車が狂っているのだ。
ララァ、私を導いてくれ。

状況はどんどん悪くなってゆく。もう勝てぬのか。それがプレッシャーのせいだと気付けば。
見えるぞ!私にも敵が見える!

ここからどうすれば勝てるのか。それが分からぬ。
僕はあの人に勝ちたい

最後が惜しい。

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