2015年11月7日土曜日

GOLF 2015.11.07号 - おともだち

おともだちルール。アメリカ軍のトモダチ作戦とは関係ない。

チーム戦はこれまでもやっていた。チーム同士でスコアの合計を競うものである。しかし、そのルールはぬるいらしい。

おともだちルールでやってみないかという誘いである。これはもう覚醒剤とか連帯保証人への誘いと同じくらいに怪しい。きな臭さプンプンである。

でやってみた結果。

いい。これはいい。何故ならホールアウトするまで緊張が尽きないから。

一打の行動が自分に跳ね返ってくる。自分のスコアが勝敗に影響する。仮に悪いスコアでも気は抜けない。差を小さくするために最後まで諦めてはダメだ。まるで新垣結衣ちゃんと一夜するくらいの緊張感である。彼女に何と言われようと成功も失敗も受け入れ最後まで進まねばならない。

おちもだちルールが強いる緊張は真にゴルフをがらっと変える。本当に心理とは分からないものだ。状況が行動を強いる。決して緩まない緊張感。

パーを取るよりも、両者の差が縮まった時の安堵感。まるで半目勝ちこそ至上の勝利とする囲碁のようだ。

呉清源の調和という考え。調和しながらも決着する辺りが、僕にはよく分からないのだけれど、調和の中にこそ本当の勝負がある、という慧眼ではないかと勝手に敬っている。一方的な勝利など低俗な趣味に過ぎない。弱い相手を選べば簡単に手に入るそんなものに何の価値が認められると言うのか。

互いに気を緩められない、気が抜けない。相手の全力に自分の全力で対抗する。拮抗する力でなければそのような調和は生まれない。そうして得られた勝利しか勝負とは呼べないのではないか。

だが、そういう境地に自ら入り込むのは難しい。人はすぐに安心してしまう。気が緩んでしまう。自らを強く律することは棋士でさえ難しい。だから人は自分を追い詰めるための何かを必要とするのかも知れない。

あの大山倍達でさえ山籠もりの時は眉毛をそり落とさねばならなかった。それと同じものがおともだちルールにもありそうだと言えようか。

顔を紅潮させねばならぬほどの緊張は本当に久しぶりである。たったチロルチョコ一つからさえも、そのような体験ができる。まずそれに驚いた。これは今までにない新しい経験、緊張だった。

ところで、おともだちルールではゴルフのスコアさえ気にしない、このルールでの勝利だけを戦略とする人もいるそうである。それは多分にその緊張が忘れられなくてギャンブル依存症に陥っているのだろう。それはもうゴルフではないだろう。

しかし、まぁ、破産して終わる程度ならば所詮は遊び、その範疇がお前の限界!とかってカイジには言われそうだ。違うだろう、たとえ地球を滅ぼしても、ギャンブルから抜け出せないのがギャンブルなのだ。まだ引き返せるのならギャンブルとは言えない。そうまでして自分の運を試したいとは、これはもう神への信仰に等しい。

神がいる、ならばこの勝負には勝たしてくれるはずだ。もし勝てないならば信仰が足りないのだ。そういう依存性がギャンブルにはある。あの瞬間の、カードをめくる、運を白日にする、神からの信託を受け取る瞬間が忘れられない。

そういう人にはもうじきいい薬が見つかるだろう。覚醒剤よりも安全な脳内麻薬をコントロールする薬が生まれるだろう。そうすれば薬で神を見られるようになるのである。ギャンブルさえ必要とせず人生の充実が得られるわけだ。そうなった時に、刺激で得られた快楽とか、自分の運にどのような価値が見いだせるだろう。

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