練習場では失敗を練習できない。練習場で起きるのはミスであり、その訂正が練習である。しかしそれを失敗とは呼ばない。
失敗には原因がある。起きてしまったことの取り返しはつかないが、二度目が起きなくする工夫は怠らずしたいものである。しかしながら人間は失敗を繰り返す。一発でその原因を把握し、次に必ず成功させるようには生まれていない。
意識化したいという思いもこれが理由である。失敗からの訂正に上手く対処するには意識的に行うしかないと考える。もちろん、意識化が全てを把握することはないだろうし、無意識も含めたすべての感覚が正しい保障もない。左脳を使おうが、右脳を使おうが、失敗はするし、失敗は繰り返されるだろう。
それでも意識化には良い所がある。それは失敗と正面を向いて対峙できる事だ。もしこれが原因ならば次はそこに注意してチャンレンジする事が出来る。
という事を繰り返してきた。どうやら意識化という言い方に既に間違いがある。本当は問題の顕著化と呼ばねばなるまい。どこかに問題がある。それと取り組むのなら、問題を顕著に表現しなければならない。意識化とは問題の言語化でなければなるまい。
それが出来るのはコースしかない。何度やっても失敗する。さっきまで上手く打てていたものが、失敗する。練習場のスイングを思い返し、その時に取り組んでいた打ち方を意識してやってみる。それでも失敗は収まらない。
道理で言えばあり得ない。あそこで上手く打てたのにここで打てないのは物理法則が違っているのではないか。訝しく思う。見通しもなく、しかし、頼りになるのは練習場での意識化だけである。細菌学を使って黄熱病に挑んだ野口英世のようなものだ。私にはわからない。そういう言葉しか残らぬ悲しみ。
幸いにして、チャンレジは何度でも出来る。次はどうするか。
問題を究明するしかない。エジソンの如く失敗しているのではない、成功しない方法を洗い出しているのだ。何か意識されていない何かがある。失敗を再現させてみようとする。同じスイングは二度とない。だが似たスイングなら何度もある。だからゆっくりと失敗を再現させてみる。どこかに何か違和感がないかと。
疲れによってスイングが崩れることがある。一本のねじが外れただけで機械が激しく振動し壊れてしまう様に。どこかの筋肉が疲労から緩むことでスイングが狂う可能性は十分にある。
右肩が落ちるスイングは、どうも右肩が落ちる事が原因ではない。右肩が落ちるのは原因ではなく、結果としての現象らしい。そう思いスイングしてみると、どうも原因は右腰の落ち込みにある。更に試してみれば、重心が右足にずっと残っていることがその原因らしい。
右足の重心は左に移らなければならない。これが出来ない理由は疲労だろう。筋肉が悲鳴を上げる。命令しても動かない。それでも体は運動を完成させる必要がある。
まずすべきは重心の移動をやめることである。疲労しているので体はエネルギーロスを最小にしたい。右足の重心が移動しなくても構わないではないか。それしかどうせできないのだから。
その結果として右ひざが崩れ、右腰は曲がり、右肩が落ちるとしても仕方がない。スイングは実行されたのである。疲労による右足の崩壊現象である。
右足は重心を左側に移そうとするが、左足が突っぱねるので重心の移動が出来ない。左足が突っぱねてしまうのは、どうやら両膝が外側に開いてしまってからのようだ。太ももの内側が疲労から支えきれず両膝が外側に向く。そのために重心移動がスムーズに出来ていないようだ。
両膝が外側に開くとどうなるかを探ってみると、外足荷重になっていた。疲労が内足加重を外足加重に変えている。内ももが付かれて膝が外に開き外足荷重になっていた。
足裏の内側で体重を支えるのか、重心を外側に置くのかは 4スタンス理論でも紹介されているようにどちらが悪いという事はない。だが内側重心で取り組んできたスイングが外側荷重でも通用するとは限らない。外足荷重の時に内足荷重を意識したスイングをしても成功するとは限らない。確かにコースでは物理法則が変わっていたのである。
これに気づいたのは帰りの車が駐車場から来るのを待っている時だった。
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