ゴルフのスタンスからフィニッシュまでは3つに分割できる。
- ① スタンスからトップまで
- ② トップからボールに当たるまで
- ③ ボールを打った後からフィニッシュまで
このうち、スイングと呼んでいいのは ③ だけである。
ではスンタスからトップまで、そこから打ち下ろす区間(①, ②)は何であるか。走り幅飛びで言えばそれは助走区間である。踏み切り線はボールの直前にある。ゴルフスイングとは、クラブがボールに当たってから始まると思えば丁度いい。
それは少し(可也?)おかしく聞こえるかも知れない。大統領が撃たれてから警護を開始してどうするという理屈は最もである。
しかし、それでもスイングはボールと当たった所から始まると考えて良い。それは大統領の警護を狙撃された所から考えるようなもので、逆算することで見えてくるものがある。これはスイングはフィニッシュだけを意識するという話である。
岡本綾子が「フィニッシュはスイングの通知表」と語っていたと記憶するが、よいスイングは自然とよいフィニッシュを取るという考えだ。だが通知表では飽くまで意識はボールとクラブのヒッティングの方にある。
そうではなくて、よいフィニッシュを作ることだけをスイングの目標とするのである。
勉強を頑張ったからテストで良い点が取れたと考えるのは間違っている。テストで良い点を取ることから考えるべきである。それでは子供の教育に良くないと考えるのは当然至極である。努力の結果がテストの結果として現れるのであって、テストのために勉学に励むのは目標を間違えている。テストで良い成績を取るために勉強するのではない。善き人生のために勉強をするのだ。
テストは、飽くまで自分の苦手を見つけ、何に納得できないかを把握するためにするものだ。苦手とは何か考え方に納得できていない所がある。それを見つけし克服することは望ましい事だ。
それは考え方としては正しそうだ。だが考え方を変える。それは方法論としては間違えている。人生はテストで決まるものではない。しかしテストを避けることも困難なのだ。そうであればテストに明確な目標を定めそれを達成すれば十分と考える方が単純である。
テストにターゲットを定め克服すれば学力も向上するだろう。60点、70点、80点というそれぞれが目標を決め、そのためだけの勉学をすればよい。もし明確な目標がなければどれほどの力を注ぎこめば良いかが分からないだろう。
不足だけを恐れるべきではない。過剰もまた恐れるべきなのである。目標がなければ無制限の努力が要求されてしまうのである。それは人間には不可能だ。もし cross the line をしているにも係らずまだ足りぬと思う者をどうやって止められようか。
フィニッシュは目標である。そこに定めればよい。なぜそれで十分かと言えば、フィニッシュを良くするには、その途中も良くなれけばならないからだ。
良いスイングと良いフィニッシュの関係は次のいずれかになるだろう。
- 良いスイングで良いフィニッシュ
- 良いスイングだが悪いフィニッシュ
- 悪いスイングだが良いフィニッシュ
- 悪いスイングで悪いフィニッシュ
良いスイングであればフィニッシュはどちらでも良いという考えがひとつ(i, ii)。この考えは全く正しい。たが問題がある。良いスイングは非常に困難なのだ。
次に良いフィニッシュであれば、スイングも良いという考えがひとつ(i)。この場合 (iii) は極めて起きにくいという推定である。
そこで良いスイングと良いフィニッシュのどちらが御しやすいかを考える。良いスイングを作り上げることは非常に困難だが、良いフィニッシュはそんなに難しくない。第一、ボールは飛んだ後だから気が楽だ。
良いスイングにはゴルファーの数だけあるだろう。しかし良いフィニッシュはそんなに難解なものではない。安定して立っており、肩が十分に開かれ、腕が正しく畳み込まれていれば十分だ。
しかも、フィニッシュだけで形が作れるはずもなく、スイングからそういう形になるよう運動しなければ出来ない。よって良いフィニッシュはスイングにも影響するのである。フィニッシュを変えればスイングも変わる。
良いスイングを目指すのに、トップから順を追って時系列にスイングを構築するのではなく、フィニッシュから逆向きに作り上げる。フィニッシュをよくするためには、どう動くべきか。
走り幅飛びなら助走をあれこれ考えるより飛んだ後の姿勢に注目する。その姿勢が飛距離に直結する。ならば飛行姿勢が良ければ遠くまで飛べそうである。しかしそれでは助走速度が遅くなっても構わないという誤った結論にならないか。
その疑問は当然である。しかし良い飛行姿勢をするためには自ずと助走も影響する。美しい飛行姿勢を取るためには、それなりの助走が必要である。逆に言えば、助走は美しい飛行姿勢から逆算されるべきであって、助走は過剰でも不足でも及ばないはずである。助走が早い程に遠くに飛べると考えるのは(正しいが) F-15 の離陸を見過ぎであろう。
こう考えてくると、打つ前にワッグルをする理由も明らかになる。あれは小さな素振りでもなければ、ボールにクラブをどう当てるかを意識するものでもない。フィニッシュがどう取られるかをイメージする動きと考える。
ボールに当たった所からスイングを始める。それくらいで丁度いい。意識がイメージする形と実際の動きは違う。実際の瞬間を捉えるのは人間の神経ではほぼ不可能だ。良いフィニッシュは完璧なフィニッシュである必要はない。もちろん完璧なフィニッシュに意味などない。それはゴルフの中のひとつである。
因果があって結果となる。ならば結果が変わるならば、それ以前に影響を与えないはずはない。目的地への経路は幾通りもある。西回りするもの、東回りするもの。南、北、南南西、東南西…球形ならどちらに向かおうが目的地には到着できる。ただ道中の苦労が違うだけだ。
だから、その中でも最も簡単な道から考えよう。まずふたつの地点を直線で結ぶ。この線を基準として考える。もっといい方法があるかも知れない。何か見落としがあるかも知れない。それには注意、警戒しておく必要があるが、基本的には見つけた時に留意すればよいとする。
目的地も知らずに目的地に到着することはほぼ不可能である。逆に、目的地から逆算すれば、だいたいの事は明らかになる。これは量子力学の観測結果から光子の過去が変わったとしか解釈できないような不思議な話(今はまだ)ではない。
もちろん、目的のために手段がある。手段のための目的ではない。手段のために本末転倒したり、目的が目標に置き換わらないよう注意は必要だろう。同時にその目的が他のあらゆる全てに優先するなどと思わないことも大切だろう。
目標地点を定め、通過点を定め、逆算する方法で経路を見い出す。意識ではボールが当たった所からスイングを始めればそれで十分である。それでも間違いなくそれ以前のスイングに影響を与えずにはおかない。
そういう地点が得られた。
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