2015年8月6日木曜日

練習場より 2015.08.06号 - せいいっぱいの想い出

思い切ったスイング、充実感を感じるスイングが今回のテーマであったはずだ。力一杯に振ったという満足感がゴルフに与える影響はずっと大きいはずだ。

処がそれを試したくても、左手は屈腱炎だし右手は小指がばね指で痛い。手首も痛い。思った以上に負傷している。

仕方ないから、ベースボールグリップに戻し(これが一番小指への負担が少ない)、力いっぱいというよりも、体への負担を最低限にするようスイングした。

すると、ふと奇妙な事に気が付いた。

スイングとはトップ位置からボールまでの加速で飛距離が決定される。力は質量×速度であり、速度は、距離÷時間であるから(加速度は速度の微分)、飛ばしたいならばボールとトップの間の距離を長くしようとするのは自然に見える。

ところが10cm距離が伸びるとどれくらい力が上昇するかを誰も知らない。まして、それが一次比例するのか、二次比例するのか、それともある距離を境に落ちてゆくのか、それも誰も知らない。

と言うかトップを短くしてフォローを大きくする方が良いスイングに思えてきた。これは物理の常識には反するように見えるが、心理的にも、生理的にも、理に叶っているように感じられる。きっと物理的にも妥当なはずである。

トップは小さく構え大きなフォローを取る。スイングの過程のどのポイントで最大速力に達するかは気にせず、ボールに当たった時が最大速度であることが優れたスイングという考えは捨てる。

普通に考えれば、ボールに当たった後にも加速するのは無駄なエネルギーに見える。その無駄なエネルギーをインパクトまでに投入できれば、更に飛距離が伸びるに違いない。この考えは正しそうに見える。

ただ、それが人間の体の構造上可能であるかという疑問がひとつ。次にボールに当たった瞬間にボールからの反動に負けないようにするためには、当たった時にエネルギーを投入する必要があり、それが最大速度をボールのインパクト後に置くという意味ではないか、と反論できそうなのである。

また、こういう考えは極めて空想的である。誰かを説得するための説明ではなく、自分が納得できればそれで良いのだから厳密性は必要としない。

さて、そこで、力一杯のスイングに話が戻る。力一杯振ったという充実感は、別にゴルフだけでなく、あらゆるスポーツや生活の中で意味を持つ。自己満足がどうであれ充実感を感じることが人が生きる意味であると結論しても存外間違いとは言い切れない。

充実感と言えばセックスが先ず挙げられるが、これも快楽というよりは充足感が先ず第一義にあって、それがどういう状況下で生まれるかは、結局の所、脳内麻薬の分泌に掛かっている。それは恐らく筋肉からのフィードバックだ。

つまり、充足感とは、体のどこかの筋肉が強烈に収縮と弛緩することで起きるのではないか。これが仮説の中核である。

力一杯のスイングをしたと感じる時、体の中のどこかの部位が働いているはずである。その場所を見つけ意識することで力一杯のスイングを体得できるのではないか、という話しである。

体の中の部位を分類する。部位と言えば、ふつうは牛であって、この牛の部位は食肉と関係しているが、運動とは関係していない。しかし、まぁ部位と言う考え方は同じである。これはにわとりでも同様である。

スポーツに関係する部位を大雑把にまとめた。
背中側
ネック頭と肩を繋ぐ部分、頚椎 C1~C7 まで。
首と肩の間の部分、おもに鎖骨の周辺。
肩甲骨背中の上側。肩甲骨とその周辺の部位。
背中肩甲骨下から腰までの間。主に肋骨のない部位。
骨盤周り
おしり大臀筋

腹側
大胸筋
腹筋腹筋中央
脇腹腹筋左右


そともも大腿二頭筋
うちもも大内転筋
すね膝から足首まで
足首より先。

軽く振ってみたり、強く振ってみたりしている間に、自分はどの筋肉の収縮を力強さと感じているかが分かった。それは右側脇腹の筋肉だ。スイングとは腕で振るのではない。体を回転させるのでもない。ただ右の脇腹を収縮させ、緊張を持続し、緩むまでのごく短い間である。それが自分のスイングであろうと発見した。

腕、左もも、左わき腹、それら全てが、右わき腹の収縮と比べればオプションである。あってもいいが無くても良い。わき腹の収縮を中心にスイングは構成されている。

他はすべて些細である。または工夫次第に過ぎない。

さてこれも練習場での検証する。探求はスパイラルというより輪廻であって、必ずしも上昇しているとは限らない。同じ繰り返しかも知れない。いつまでも抜け出せない様相をしだしているとも言える。

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