2014年12月26日金曜日

練習場より 2014.12.26号 - 風邪にご注意を

肩甲骨を立てる、グリップは左手のV字が右肩を向くよう右に深めに握る。このふたつが 2014 年の結論とあいなりました。

さらにゴルフクラブはボールに当たる時に下から上に方向を転換する。ヘッドの動きはそこを最下点として跳ね上がり上向きに変わります。ここに意識すればダフリも減少されるようです。

ウッドのような長いクラブでは、手が支点となりシャフトを軸としたヘッドが螺旋の如き動きをするようです。

しかし冬の練習にはご注意を。寒すぎて風邪を引いた。

温泉にでも行くのが宜しいようだ。

2014年11月30日日曜日

練習場より 2014.11.30号 - 肩甲骨

練習場だけが練習場ではない。どこに居ても練習場となる。そこに気付きがあれば。

その日は葬式だった。僕は長く椅子に座っていた。居心地が悪い。もぞもぞと動いたり体を揺らしたりしながら体勢を整える。そして不意に気付いた。

肩甲骨を背中に立てるようにすれば体が楽になる。長く座っても苦痛にならないと。これはゴルフのスイングにも影響を与えるだろうと直感した。

「体の前」が正面の事か、ゴルフのような横向きスポーツでの進行方向である左側を指すのか、と同様に「立てる」も紛らわしい言い方である。上の方向であるのか、体に対して垂直であるのか。もう少し説明を要する。


「肩甲骨を背中に立てる。」
  • 肩甲骨の下側を背骨側に引く。
  • 座った状態で肩甲骨の下側を背中の筋肉に載せるようにする。
  • 肩甲骨の下側を背中の筋肉と背骨の間に入れ込むようにする。

人間は骨盤から背骨が伸びている。背骨から肋骨が伸び、背中側には肩甲骨が配置されている。肩甲骨は肩から靭帯でぶら下がっている。関節ではないので動く自由度が高い。肩からぶら下がっていると見るか、背中の筋肉の上に載せているかで感じが違う。
  1. 肩甲骨
  2. 肋骨
  3. 骨盤

胸を張るとか、背中をまっすぐに伸ばすと言う。これを言葉通りにしようとすれば、胸を張るは背中の筋肉を縮める動きであるし、背中を真っ直ぐにするのは背骨を伸ばす動きに思える。でもこれは正しくないと思う。背中の筋肉でどうこうするものではない。

能の立ち姿は、胸をはり、お尻を出し、膝を曲げるという形をとる。これは肩甲骨を背中の上に立てている形だろうと勝手に思っている。

ボクシングではガードのために両腕を前に出す。すると猫背のような形になりやすい。猫背は肩甲骨の上側が背中とくっつき、下側が浮いた状態だと思う。肩甲骨が背中に対して斜めである。

腕は魚の鰭から進化した。もともとお腹側の側面にあったものを体の両側に移動したのが腕の進化である。四足歩行の馬の足は前後に動く。体の側面に肩甲骨があり、肩甲骨に胴体をぶら下げている。鳥は細長い肩甲骨で羽の上下の動きを支えている。

肩甲骨は魚類にもある由緒正しい古い骨である。それが多くの生物で多様な進化をしてきた。それだけ腕を動かすのに重要な役割を果たしてきたのだ。ということは使い方は様々で重要であるので、使い方が下手であっても十分にその機能を果たすように進化してきたはずだ。もっと上手な使い方をすれば高い潜在能力を引き出せる可能性が高い。

肩甲骨には肩を動かす筋肉が繋がっている。筋肉は必ずふたつの場所と繋がる。その繋がる場所は骨と決まっている。つまり骨と骨を繋ぐものが筋肉である。筋肉が運動の力を生み出す。それを支えるのが骨であるなら、自由度の高い肩甲骨の存在は、スイングに与える影響も高いに違いない。

この考えの正しさは保証できない。またこの先で全く違うことを書くかも知れない。しかし、これに気付けたのは普段とは違う場所へ行ったからであり、普段とは異なる経験をしたからであり、その体験での気づきなのでここに書いておきたい。

@seealso
肩甲骨~‘つなぎ’の骨~(その1)- Olivia's Room
日本理科美術協会 -2014.2.1『細長い肩甲骨・・・鳥とモグラの前足の話』松本晶

2014年11月16日日曜日

練習場より 2014.11.16号 - もっと右に深く

どうやらグリップで左腕が浅かったようである。左手の親指と人差し指が作る V 字が右肩を向くのなら、グリップは手首をもっと右に回すべきだった様である。

恐らく違和感があるはずである。グリップを変えればスイング全体に影響を与えるからである。そしてその違和感をなくすにはスイングの方を変えるしかない。

スイングの中にグリップがあると言うより、グリップがスイングを規定している。スイングに違和感があるなら、グリップがスイングと合っていない可能性がある。逆に言えばスイングを変えれば新しいグリップを受け入れられる可能性がある。

グリップで違和感がないようにするには、スイングの方を見直すか、スイングに合ったグリップを探す、という事であろうか。

2014年11月13日木曜日

練習場より 2014.10.13号 - 手首を小指側に曲げると腕は伸びる

グリップを変えた理由はばね指であった。指を痛めるのはスイングがおかしいからである。根拠はないがそう確信している。

インターロッキンググリップに戻した。すると左人差し指にマメができて潰れてしまう。シャフトがおかしな形で指と擦れてに違いない。

とあるサイトによればグリップの基本は次の形である。人それぞれの骨格や長さなどにより違いはあるとしても。

  • グリップした時に左手の人差し指と親指の間の V 字が右肩を向く
  • 右手のそれは右肩を向く

【ゴルフ】韓国代表監督が伝授する「正しいグリップの握り方」

さてスイング、指に無理な負担を与えているのはスイングのどの時か。恐らくインパクトからフィニッシュまでのクラブが方向転換する時、減速をする時だと思う。この時にクラブが指に当たって方向転換をしているのだと思われる。

ゆっくりと振ってみる。クラブはどのような動きをするだろうか。クラブの動く方向に人差し指がないのはどういう動きの時かを探してみる。

するとインパクト時に手の角度を変えてみればいいのではないかと気付いた。ボールのインパクト時には手首を小指側に折る、親指側を伸ばす、そうすることで人差し指と親指の間をクラブが抜けていくのではないか、と思ったのである。

手首を伸ばせば、腕も伸びる。これは肩から腕までが最も長い (伸びた) 状態になる。手を伸ばして人差し指と親指の間の V 字部分をクラブが通るようにする。ここならばクラブと当たるものがない。別の言い方をすれば、手の甲の向きを意識するものかも知れない。

それから注意してスイングをしている内に不思議な現象に気付いた。スイングが全く変わってきた。左腕を伸ばすという事が、クラブの軌道も、打つ時の感覚も変えたのである。それは、斯くある以上は斯くあるべし、という自然さを伴った変化であった。

更には気付く。もっとも腕を伸ばす場所はボールと当たる瞬間ではない。脳が信号を出すのに 0.02 秒が必要だと言う。その分の差だけ前もって始めなければならない。でなければ実際の物理動作に間に合わない。意識的にはボールに当たる前には伸ばしきっているつもりでないと、クラブのスピードに追いつけないのである。

腕を伸ばす事に注意すれば次に体幹が左右に動かなくなる。左右に動かすと腕を伸ばせないからだ。

こうして腕の伸ばし方にフォーカスしたスイングを始めると、体の下側をクラブが通らないといけないし、体の直ぐ近くを軌道にする必要が出てくる。また左肩から手までを伸ばしきるには左肩が動いてはできない。手が伸びると左手の上を右手が抜けやすくなる。これは右手が左手を追い抜くタイミングとも一致するだろう。

バネ指になってから軽く握って、軽く振ろうとする。今まで固く握りすぎていたのかも知れない。スイングもゆっくりとなる。しかしゴルフたるもの、思いっきり振った、という満足感がなくて、何のアマチュアであろうか。それでスコアも目指す、そういう自己満足が欲しいのである。

するとバネ指は更に悪化するかも知れない。そうならないと僕は考えを改めないのであろうか。これを愚か者と呼ぶのであろうか。

2014年11月9日日曜日

練習場より 2014.11.09号 - 傷めないグリップ

グリップを変えたのは指にマメがよく出来るからであってベースボールグリップはその解決策であった。その結果、今度はバネ指になってしまった。

こうなると原因はひとつしかない。スイング中の手の動きがおかしい。少なくともクラブの動きに対して指に余計な圧力が掛かっている。フィニッシュに向かいクラブが減速したり軌道を変える時に指で受けていると思われる。

指がそれらの力を受けているという事は、力を減速させたり、方向を変えたりする時の障害物になっていることでもある。

それは今のスイングでは力を上手に逃がしていないという事も意味する。

いずれにしろベースボールグリップは止める。

グリップを軽く包み込むように持つ。クラブをゆっくりと振ってみる。どこで余計な力が指に掛かっているのか。

すると左肩を十分に開いていない事が分かった。開きが弱いために指がクッションとしてスイングの力を受け止めていた。

更にはスイング中の手とクラブの角度、クラブの動きがどのように方向転換しているのか。

この辺りが上手くないために指に余計な力が掛かっているのだと思われる。

これが今週の課題である。

2014年10月19日日曜日

GOLF 2014.10.18-19 II - 真剣師の立ち振る舞い

誰かが打った弾道を見る。球筋を見るという事がこんなにも大きな効用はもたらすとは。こう打てばいいんだ、というのを子供は自然と身に着ける。見る事でそれが当たり前になる。見ることで考えられなかった世界が広がる。子供のうちから触れた方がいい世界は確かにある。もちろん、それは囲碁だけではない。将棋も同じだ。

そういう自然と身に着くものがどういう所に表れるかと言えば、それは立ち振る舞いである。

立ち振る舞いを見ただけで出来るかどうかが分かる。上手に為ればなるほど、立ち振る舞いだけでどのような所にいるかも見抜くものであろう。逆に身に着いていない人というのは、仮に実力があるとしても何かが欠けている。ある意味、才能だけでやっているのであって、それはまた恐ろしい人なのである。そういう人は無意識にやっている可能性が高く、それを崩す方法は幾らでもあるとも思われる。

この立ち振る舞いの洗練さは見る時の指針になるだろう。そして人の立ち振る舞いは伝播するものらしい。良い人のも悪い人のも周りの人に伝播してゆく。

そういう前提に立てば下手と付き合うなと言うのは正しい。もちろんそういう付き合い方では脆くなる。下手を避けている人には下手を混ぜておけば勝手に自滅するのである。簡単に打ち崩す事ができるではないか。

自ら律すると言う言葉は己の立ち振る舞いが他の人に伝播するし、他の人からも伝播する。その事を昔の人は言ったのだろうし、それは今も同じ話である。突出した才能と才幹にだけ頼る無頼漢も魅力的だが、立ち振る舞いから身に着けてゆくのが上手への近道だと思う。

升田幸三が言った言葉があるじゃないか。

「わしはプロだよ。あんたは所詮アマだ。」

尾ひれ背びれとは言え小池重明は強かったのは間違いない。それはリーグ戦ではなく一発勝負の世界かも知れないが。

どうよ、立ち振る舞いのしっかりした正統派を、自己流の無頼派が破るのは其れはそれでロマンである。

2014年10月18日土曜日

GOLF 2014.10.18-19号 - 上手

ゴルフに行ってきた。上手い人がいた。

上手とはどういう事か、が間近で見られたのは非常に幸運な体験だった。

気付きと言うものは、実際に見る迄は分からない。百聞は一見に如かずと言う。ゴルフであれば上手な人のプレイである。

何かが違う、それが何であるかを言葉にするのは難しい。ボールがまっすぐに飛ぶ、カップの近くに寄る、ミスをしても、それをいつの間にか取り返している。言葉にすると何と簡単だ。

何かがある。そこにはゴルフに対する執念があったり、取り組み方がプレイに現れる。立ち姿や待っている姿、構え、そういう姿勢に出る。言動ではない。

上手な人と一緒なら上手くなる。姿勢が乗り移るから。上手に真似たのだ。下手な人と一緒なら下手が移る。下手に真似たのだ。上手い、下手は自分だけでは済まない。

上達の極意は真似る事にある。これは上手い人に師事せよと言う意味である。

「僕はあの人に勝ちたい」。これがガンダムを成長物語にした。そういう気持ちは相手と対峙してみなければ分からないものである。それは戦ってみなければ分からないものである。

上手さとはスイングでもなければ、ボールの飛翔でもない。スコアである。もちろん、これはゴルフのひとつに過ぎない。スコアとは関係しないゴルフもある。

スコアになるゴルフの代表はプロである。しかし、プロはスコアになるゴルフを見せているのではない。プロはゴルフで魅了しなければならない。スコアは重要だがスコアが至上ではない。スコアだけを追及するゴルフはトップアマチュアの方であろうか。そのレベルを超えた人だけがプロへと進むのであろうか。そして、ゴルフの神様を100とすれば自分は4か5である、という話をするのだろうか。

100のうち1しか見えなくても、見えているものがあれば、それだけ上手くなる。何も見えていないのと比べれば遥かに有利だ。見えている事が、自分の中にある妄想であったり、漠然としたコンプレックスや、思い込みを吹き払う。開眼だ。

見えればある方向へとまっすぐに進む。見えていない人がうろうろしている横をはっきりとある方向へと歩いてゆく。そして自分の見えていない所で立ち止まり、そこでうろうろするのだ。

子供の自由な発想から学ぶと言う話をよく聞く。これは子供を褒めているのでない。自分を如何に高めるかという意識の人はあらゆる所から学ぼうとする。子供の中に何かを見つけた。それは子供も知らぬ事だろう。そういう人は可能なら路傍の石からさえ何かを学ぶ。

スコアと結び付くゴルフがあって、その上に理想のスイングを追究したり理想の弾道が存在する。ばらばらでは意味がない。スイングの探求とは意識の具現化である。自分の体の動きを制御する事でゴルフをしたい欲求がある。この意識化というものが、ゴルフとどう結びついてゆくかが課題である。これがゴルフに対する自分の野望らしい。

ゴルフを自分でコントロールする、安倍信三の言う所のアンダーコントロールを目指す。コントロールとは、理想を追う事でもなければ、無意識でやる事でもない。現状を認識し、状況を理解し、判断し、選択する。ここに対話がある。対話を通じて自分で決めてゆく。

上手い人のプレーを見た経験があれば、相談がより具体的に、冷静に、客観的に、見ることができる。それは比較するに足る比較対象があるからだ。強い人、上手い人とプレーした経験がレベルを上げる。それが自分をガラッと変える。何かにこだわってなどいられない。勝敗は明白である。スタイルも考え方も改めなければとても勝てない。

決断しないゴルフはしない。

2014年10月15日水曜日

練習場より 2014.10.15号 - 若干後傾、右肩の立ち

このタイトルは若槻千夏とも読めそうだ不思議。

人間は足の上に乗っかっている動物である。これには重力がまずある。重力は質量によって生まれる。質量はヒッグス粒子から生じるが小さすぎてゴルフとは直接的には関係しない。

二本足(スフィンクスのクイズによれば時に三本である)の安定性のない上に腰が乗っている。人間には障害がない限りは優れたバランスが備わっている。重心の高さをバランスによって制御する。だから倒れる事は少ない。

動きに少々の崩れがあっても人間は立っている事ができる。それでも立ち方が違えば動きに関係するだろう。

こころもち後ろに乗るようにするのが良いスタンスだと思う。これが上半身の動きや崩れに対して安定性が高くなると思われる。

トップを作った時に右肩は開く。開くという感覚は、上に向かって立っているとも言える。

一般的にゴルフスタンスは前傾姿勢である。これは体幹が前傾姿勢になっているという事だ。

しかしスイングでは右肩が開き、立っている所を立ったままにさせる事が大切である。

トップの状態からどのように腕が通り抜けばスムースかを把握する。その途中にボールがあるのであって、ボールがある所を打つわけではない。

スイング速度を阻害するものに、左肩の開き、右腕の畳みがある。左肩がフォロースルーできちんと開かなければ、左腕が右から左に移動する動作を左肩が邪魔をする。それによって左腕は減速する。併せてスイング速度も低下する。

また左に移動する左腕を右腕が右から引っ張ればこれも減速の要因になる。

右肩の立った状態から、立ったままのスイングをすれば、右腕が邪魔する事も起きにくいようである。せっかく立った状態にある右肩を再び寝かせれば、右腕が左側に抜けなくなる。それが左側に向かう右腕の進路を右肩が邪魔をするようだ。

右肩は立ったままにして少し前傾した左肩を開く。それと連動するように両腕がスイング軌道を通る。このような動きを可能にするには、少し足の後ろ側、かかと側に重心を置いて体を安定させておく必要がある。

この安定性があると、両足で体の重心がある内側に向って押す感じで立つことができる。

さて、合宿間近である。練習場の人工芝にのホウライの池が重なって見えて来るのである。

2014年10月3日金曜日

練習場より 2014.10.03号 - 上に伸びる

トップする感覚は、体の下を通って、木々が空に伸び上がる様にクラブが上に向かう感覚だ。

そうすると、此れまでとは違った力が使えるような気がしてきた。

体の前から後ろに横を交差してクラブが後ろに通り抜ける時、背骨が反り返る感じがする。

背骨の反り返った形が体幹の向き、クラブが体の横を通り過ぎた後の形がクラブの軌跡。こうして板バネのような形を形成する。

すると、肩が開く感じがする。両側にある肩甲骨が近付くという方がより近いか。この方がパワーを生み出せるようだ。

何かがバネのような動きをする気がする。これがどういう骨と筋肉の働きによるメカニズムかは研究不足。

何かの反動を利用するのか、それともテコがどこかに働いているのか。

上に伸ばした方がクラブは重力の力をよく使えるようだ、自然に倒れようとする力をスイングに活かせる感じがする。

2014年9月28日日曜日

練習場より 2014.09.28号 - 松葉ぼうろ

スイングプレーンは、クラブのスイング軌跡を円とし、体を軸に見立て、クラブヘッドが面上を移動すると考える。スイングプレーンを二次元の平面と考えるのは理解しやすいが、実際に三次元の空間をクラブが二次元の平面上で動いているかは分からない。

クラブヘッドは円軌道ではないと思う。体の右から体を横切って左に移動する。ボールの位置まで下がりそこから上昇する。上から下へ、下から上へ。

トップに位置付ける時、クラブは背中を「(」の字にする様にのけ反らせる。これは横の捻転というより縦の捻転と思う。円と言うよりも、どちらかと言えば松葉ぼうろのお菓子の様である。これは8の字である。

松葉ぼうろは足を組み、長い線が両端で交わった形をしている。この形のようにトップまでのクラブの軌跡は8の字のようになる。縦に長く横幅の短い8の字。そういうイメージだ。

スタンスを構える。クラブヘッドが右(後方)に動く。体とクラブの軌跡が8の字。体のすぐ近くを横切り、クラブは後ろではなく、上に伸びてゆくイメージ。

8の字の軌跡により、トップで構えたクラブと体の間には捻転にも似た緊張関係が生まれる。そこにある力が瞬発力となってスイングの開始力となる。

2014年9月23日火曜日

練習場より 2014.09.23号 - 肘の畳み方

スイングを妨げるもっとも大きな場所はどこか、それは人やスイングによって異なるだろう。例えば左肩の可動域。ここの可動を固定するとスイングの力の逃げ場が失われブレーキになる。

更にブレーキとなるのが左ひじである。肘がまっすぐなままフォロースルーに入ると力を逃がす事ができない。するとそれがブレーキとなりスイングを減速する。故にスイングとは左肘の畳み方である。

どう肘を畳むか。

アプローチ、ウエッジは、左肘が左脇に付いた時に、左肘がテコの支点のようになり、左脇を蹴るようなイメージで畳み込む。どのクラブでも、左肘を左側で畳む。大切な事は、畳み方によってボールはフックもする。

あくまでボールを打ってから肘を畳むのであってその前ではない。しかしその前から畳む準備をしておかなければ、おそらくボールを打つ前から減速を初めてしまうのである。つまり畳む準備はボールに当たる前から始まっている。

拳銃の機構は Bullet を撃ち出すためのものではない。その変遷は火薬に火を着ける方法の改良や発明ではない。如何に次のバレット(弾丸)を準備するための機構である。cartridge を如何に排出するか、次の弾丸をどう装填するか。打ち出すだけの機構なら単純である。しかし次をスムーズに用意するための仕組みは複雑である。

これはゴルフスイングのフォロースルーと同じだろう。ボールを撃ち出すだけではなく、如何に打ち出した力を解放するか。それが如何に左肘を畳むかにかかっていると思う。

まずスタンスからトップの時に、どの角度で腕が軌跡すればよいかを感じ、これがしっくりとする場所を見つける。それは自分が思うよりもずっと下、かなり下の方を通る。自分が思うよりずっと鋭角である。二の腕は体にまとわり付くように動く。それは惑星のすぐ近くを衛星が通るようなものである。

意識すべきは二の腕、と言うより二の腕の内側、体に近い側である。左肘を折り畳むとは、二の腕の内側が内側から外側に向かう、内側にあった手が外側に行こうとする、左肘を支点として、腕が内から外に開こうとする。その過程で腕は畳み込まれるものと思われる。

この畳み方、畳む位置、畳むまでの軌跡がスイングである。

2014年9月20日土曜日

練習場より 2014.09.20号 - 横田真一 プロゴルファーがやっているスコア作りのコツ!

なにも打ちっ放しだけが練習場ではない。今日の練習場は、紀伊国屋である。みかんではない。本屋だ。

この本にはだいたい次のような事が書いてある。
  • ティショットは厚いインパクトを意識する
  • パターではボールを鉛と思って打つ

紹介
実はプロゴルファーは、アマチュアゴルファーよりも簡単な打ち方をしている。

ドライバーでの飛ばしから、アプローチ、パット、メンタルコントロールまで、

常にやさしい打ち方、やさしい状況作りを考えている。

それは、たとえば次のようなものだ。

◎ティショットは「直角インパクト」でドロ~ンと飛ばす

◎アプローチは「さばき」を使ってピンに寄せる

◎バンカーからは「目玉焼き打法」で簡単に脱出する

◎パッティングは「ボールが鉛できている」と思って打つ

◎緊張する場面で打つときは「意識しない深呼吸」を使う

――etc.

こうした打ち方は、いわばプロが現場で培ってきたもの。

トーナメントの現場では、難しいことをすればミスをしやすくなり勝てなくなるので、

プロゴルファーは常に簡単に打つことを考えているわけだ。

本書は、こうした「プロの現場」で使われているコツを取り上げた。

理論派として知られる著者による選りすぐりのコツの数々を、

わかりやすい解説とともに伝授する。

ティショットではボールに垂直に当たる事を意識する。ボールに垂直に当てるのは小手先でクラブを操作して出来るものではない。だからスイングとして作らなければならない。

ボールに垂直に当たる方が飛ぶのは道理だ。それだけパワーがロスすることなくボールに伝わっているからだ。もし垂直でなければボールは滑った事になる。

滑った以上はパワーが逃げたはずである。その逃げた分だけパワーは落ちる。もちろん無回転では空気の影響を受けて飛ばない。

これは納得である。

更にはボールの重さを意識しろとある。「鉛球と思って打て」と言われたら何か分かるような気がする。ボールを軽いとは思わない。

これも納得である。

2014年9月6日土曜日

GOLF 2014.09.06号 - 練習場の最低がコースの最高である。

練習場での最高のショットがコースで出る事はない。どちらかと言えば練習場のミスショットばかりである。

練習場の素晴らしいショットがコースでも出れば、結果はまるで違うものになるだろう。

何故こうも違うのか分からない。コンクリートの練習場と芝のコースでは地面からの反力が違う。これはアスファルトと砂浜を走る時の違いと同じかも知れない。また練習場とコースでは平らさと斜面の違いも考えられる。

練習場でやったことを再現しようとするが、どうも違う。練習場ではここまで酷いショットはなかったはずである。どうやら手首を曲げると肘も曲がっていたようだ。手首を曲げる事に意識が行って、腕を伸ばす感覚を失ったらしい。

この感覚のずれがなぜ起きるのか。時間も場所も気持ちも違う。練習場にはまっすぐな方向に向かってラインが引いてある。コースにはそれがない。コースには魔物が棲むと言われる。練習は人を裏切らないと言うがゴルフコースでは平気で裏切るのである。

恐らく芝なのだろう。芝の上で歩く事も動く事も練習する場所がない。コース以外に(公園はあるが)慣れる場所がない。

  • コンクリートの固い床
  • 平らな床
  • クラブが滑る人工芝
  • 打ち出す方向のライン
  • 何度も打てる球数

さてコースでは3オンを目指している。3オンと言う事は18ホールで18*3、合計54。パターは18*2=36、90が目指すスコアである。

だが実際はこのスコアにはならない。もっと悪いのである。バンカーに入れれば1打+、ラフや林に入れれば戻すために1打+である。距離が足りなければ1打+。これでは3オンなぞ未達必至である。

1打のミスを1打で取り戻せば0である。しかしそうはならない。1打のミスを取り戻すのに少なくとも1打+である。都合2打である。それで済めばスコアはそこまで悪くはならない。

何がスコアを悪くするかと言えば、ミスが多い事ではなく、ミスが続く事である。ひとつのミスが次のミスを呼び込んでいるに違いない。負の連鎖である。これが問題である。

ミスは無くならない。しかしミスをする事とミスが続く事はたいぶ景色が違う。これが由々しき事態である。ではどうすればミスを断ち切れるのだろうか。さらに言えばミスを失くす事がゴルフなのか。

精密機械と呼ばれる人が強いのは、どの業界でも同じである。ならば人間は将来にはコンピュータに駆逐されるのだろうか。

もちろんプロはそうであろう。しかしアマチュアは少々違うと考える。チャレンジして成功すべきがプロなら失敗はアマチュアの特権である。アマチュアは一位は駄目だが二位を狙うと言う考えはしなくてよい。オールオアナッシングで困らないのである。

ではこのミスはチャレンジした結果かと問えば違うのである。何んら難しい事をした訳ではない。困難なショットに挑んだ訳でもない。

普通に打って、普通にボールが曲がって、普通に林に飛んでゆき、フェアウエイに乗らず、グリーンに乗らず、普通にパターが外れたのである。

不思議である。どうしてこうも上手くないものか。集中力と言えばその通りだろう。緊張感がないと言えばその通りだろう。だとすればメリハリの付け方が下手なのだ。ずうっと漠然なのである。

オンオフの切り替えである。スイッチを入れると言うやつである。それでも次回もまた同様のミスをするだろう。そしてスコアも悪いだろう。僕は本当にゴルフを知らずにいる。果たしてそれはゴルフだけなのだろうか。

2014年9月4日木曜日

練習場より 2014.09.04号 - ボールを見てはならない

ゴルフにもメカニズムがある。これを探求することは、例えば、障害者がゴルフをやることのサポートにもなるだろう。

優れた義手や義足の出現で 10 年以内にその機能性は生身の手足を凌駕するだろう。そうなれば障害者もゴルフなどのスポーツを広く楽しめるようになるだろう。

こういう機器の発展によって問題になるのはプロの世界である。19世紀の蒸気の時代、馬車業者がスチームロコモーティブに挑んだ時から、人間は機械に負けっぱなしである。

人間の肉体が機械に凌駕されたのが 20 世紀であったろう。それは戦争の悲惨さとも比例する。そして 21 世紀は知的活動が凌駕される。オセロ、チェスは既に、そして将棋はもはや、囲碁も時間の問題である。

もちろん、こういう新しい活動は人間にフィードバックされ、オセロは置石の工夫を生み出したし、チェスは知らないが、将棋がコンピュータから新手を編み出しているのも間違いない。

20代の名人などありえない。坂田栄男がそう言ったのが 1965 年。現在の囲碁界の帝王は井山祐太で 24 才。これが新しい時代の流れなんだと思ったらとんでもない。算砂が名人になったのが 20 才である。初心忘るべからずである。

なぜ人は年を取ると弱くなるのか。それが脳の衰えと関係するのは間違いないだろう。記憶、読み、などの衰えは、経験、勘、大局観などで補う。長い時間をかけて研いたもの、蓄積したものでどこまで対抗しうるか。

では若い時の利点、記憶力、活動スピード、持続力、経験はないが思い込みもない。これが年を重ねた事の利点とどう対するものか。

かつて最強であった趙治勲が今もリーグ戦で戦っている事は偉大だ。しかしあれほどの強者が挑戦者にもなれないのは何故だろう。力の衰えは経験を重ねる事だけでは挽回できぬものか。

コンピュータと人の戦いでは疲労がひとつの争点になる。コンピュータは疲労しない。これではフェアではない。人は疲れてミスを犯す。コンピュータのミスは仕様(バグ)である。修正すれば次はミスはしない。このミスの発生率はとてもアンフェアと感じる。

さて、ゴルフである。

スイングの基本はボールを打たない事ではないだろうか。もちろんボールは打つのである。だがボールを打とうと意識しない。ボールはスイングの軌道上に配置されている。だからスイングでボールを意識する必要はない、軌道を通ればいいのである。

別の言葉で言えば「ボールを見てはならない」である。そう思い、僕は目を瞑ってスイングしてみた。この考えが正しいとすれば、目の見えない人でもゴルフをする上でのハンデにはならないのである。これは障害者にとっても朗報ではないか。すると案の定、空振りである。

なぜ目を開けておく必要があるのか。目を瞑ると人は平衡感覚を失うからである。平衡感覚を失わないように目を開けておく。するとボールが目に入る。でもそれは対して大切ではない。意識はスイングである。トップからフィニッシュまで振り切れば十分である。

トップで手首を曲げる。スイングの前半で重要なのは右手である。右手の軌道によってスライスにもトップにもなる。ボールを意識することなく、トップからフィニッシュまでのクラブの軌跡を意識する。

2014年8月17日日曜日

練習場より 2014.08.17号 - 背骨

骨と書いて「コツ」と読む。

おそらく、骨への意識がコツである可能性は高い。体を動かすのは筋肉である。しかし筋肉は軟体である。それはウミウシを見ればわかる通りだ。

骨の進化は、機能の獲得である。もちろん進化に方向性はあっても目的はない。より環境に適応した形状が残り、そうでないものは失われる。否、再び環境が変れば獲得し直される可能性もあるので隠されたと書く方が適切か。

生物は獲得された形質を利用、応用するのみであって、形式を自由に獲得できる訳ではない。見事に適応したと思われる形姿ではあっても、それは意識の具象化ではない。形質の巧みな利用のはずである。

さて、骨、ここでは内骨格の事であるが、骨の力学的利用には次のものがあると考えられる。

  • テコ
  • 振り子
  • 重心移動
  • 方向転換
  • 回転
  • 井桁

テコは小さな力を何倍にも増幅したように見せるものであり、地球でさえ動かせられるこの働きを利用しないはずがない。振り子は安定性と位置エネルギーの利用である。やじろべえのようにバランスを取るにも使われる。

骨は重さを持ち、また固定されているので重心の移動は関節を中心とした円軌道になる。また持ち上げた所から落す事で位置エネルギーも利用する。

複数の骨が協調する事で、向き、方向を変える。方向転換も回転運動であろう。またパンダグラフ(井桁)のような伸縮構造もある。

これらの運動は全て筋肉だけでは難しい。硬い骨を利用するから出来る事である。

さて、スイングにおける骨の重要性もまた同じである。ゴルフスイングは立って行う。これは位置エネルギーをより多く獲得するためであろう。その為には足の骨から背骨までがこのエネルギーを支えなければならない。

トップからスイングに移行する時、クラブは振り子として振舞う。振り子として動く方が安定性は高いと思われる。

振り子として動く場合、頭がフラフラすると重量があるため他の動きに強く影響する。どちらかと言えば、頭はカウンターウェイトとして働く。

トップでは背骨の左側を意識する。この意識はスイングによって背骨の右側に移動する。左側の緊張が右側に移るだけの感覚である。背骨(高さは肩甲骨と同じ当たり)はその場所に留まり、左から右に移動するだけの感じである。これと対称して右から左へクラブは移動する。フォロースルーもスムーズになる気がする。

思えば女の背中が魅力的なのも背骨があるからである。背骨はこれほど迄に大切な骨である。魅力的なのである。

2014年7月27日日曜日

練習場より 2014.07.27号 - ルーティンワーク

久しぶりに練習場で行うスイングは、恐らく生まれ持った最も自然なスイングである。それが最高のスイングであるかどうかは別としても。

そこには自然にもっているクセが表れる。それは当人がそうありたいと願う意識と体の自然な無意識の反応の合成であり、混合物である。意識のコントロールに対して無意識がどうリアクションするかによってスイングは組み立てられる。

故に意識したものと実際はかなり違うはずである。また意識が常に正しいとは限らない為、体の方で物理学や力学の合理性と折り合いをつける必要がある。

いずれにしろ、自分の中で、ある程度のルーティンワーク化をしておく作業は、意識しなくとも自然とある形が作れるようにしておく、そうクセ付けしておく事は大切と思える。

スタンス
  1. クラブのフェースの向き。
    ⇒ 立て気味にして構える、寝かせ気味で構える
  2. 重心の位置
    ⇒ 重心がつま先側か、踵側か
  3. 腹筋
    ⇒ お腹は引っ込んでいるか、出ているか

トップ
  1. 手首の曲がり
    ⇒ トップ時に手首は折れているか、折れていないか
  2. クラブの高さ
    ⇒ 高すぎないか
  3. クラブの位置
    ⇒体の背中側にあるか、前側にあるか
  4. クラブの軌道
    ⇒ 縦回転系か、横回転系か

スイング
  1. クラブの軌跡
    ⇒ クラブはボールの後ろからヒットするか、横を通るようにヒットするか
  2. 左肩
    ⇒ 左肩はスムーズに動いて開いてフィニッシュをとるか

  3. ⇒ 動きに軸、または回転する点は存在するか、しないか

2014年6月21日土曜日

GOLF 2014.06.21号 - なぜ超えるのを恐れるのか

さて下手である。スコアが伸びない。まるでゴルフ下手である。

原因が分からない。後から振り返れば、まるでその通りである。全ての失敗は妥当であり、実力通りであり、後悔するものではない。

このスコアから伸びる気がしない。そうやって自分を許容している。分からないのだからどうしようもない。

ゴルフとは意識化するスポーツである。意識せずに何かをする事はない。

しかし人間は意識だけの存在ではないから、ゴルフ中にも当然、無意識が表出する。(人間が意識だけの固まりではない証拠として、食べたものを排泄するまでのプロセスを意識だけでは出来ない事が挙げられる。それを脳と腸は協調して行っている事からも意識と無意識の関係付けは明らかである)。

僕のゴルフ脳は丸で低能である。意識はダブルボギーで良しとする戦略しか組んでいないのである。失敗の数は雑多で多い。

ゴルフで悪いのは失敗ではない。問題なのは失敗が続く事だ。しかもその失敗が恐らく毎度同じなのだから、意識は失敗している事にも気付いていないと思われる。

問題は、では何が、という研究にある。そして研究の結果、ひとつだけ改善の余地に気付いた。

アプローチである。これが常に、必ず、絶対と言っていい程、弱いのである。恐らく一打から二打で済む所を二打から四打にしているのである。その理由は簡単で、アプローチが弱いのである。狙った半分にしかボールを運べていないのである。

これはとてもよくある話だ。どこかでホームランを打った時の記憶が鮮明に残っているのである。その時の恐怖がアプローチを弱めさせている。あの時にどれ程の力で打ったのかの記憶も既に残っていないくせに。

これはある意味、脳の働きのくせであろう。印象が残るとは、脳内のニューロンが結ばれてしまったという事だ。その神経回路がいつも刺激してくる。新しく結ばれたニューロンは簡単には切れないのである。PTSD もそういうものだろうか。

強い刺激であればあるほど、それは長く残り強烈なバイアスとして働きかけてくる。それが無意識からアプローチの度にもっと弱く打てと命令してくる。

この無意識からの命令は、同じ失敗をさせない重要な働きである。強く打って失敗したなら、次は弱くすれば同じ失敗はしない。

所が問題なのは、僕の意識と無意識は、弱く打って距離が足りなかったケースを失敗と認識していないのである。打ち過ぎたものより刺激として弱い。だから距離が足りなかった失敗を無意識は失敗と認識していない。

無意識は否定を受け入れない。強く打ち過ぎてしまったを無意識は受け入れるが、弱く打ってはならないは、弱く打つと無意識は理解する。弱めではダメ、ではなく、強く打てと意識する必要がある。

強く打ってグリーンを超えてしまった失敗は強烈に脳内に回路を作るのに、ちょろったり半分しか打てなかった失敗は脳内に回路を作らない。これは意識が打ち過ぎは失敗だが、弱いショットは失敗と認識していないからだ。

ゴルフはカップを超えてはならないというゲームではないのに。何故超えたものは失敗で超えていないものは失敗ではないのか。超えたら引き返さなければならない、しかし超えていないのなら、方向を変えれば辿り着けると、こう盲信しているのか。

こうして強く打っては駄目という無意識のみが残り、もっと強く打たねばならないという無意識は作られない。無意識はもっと弱く打てと働きかけるがもっと強く打てとは働きかけてこない。これでは何時まで経っても距離は調節されない。

自分の中で、ホームランする一打とチョロる一打の重みが全く違っていたわけだ。

2014年6月20日金曜日

練習場より 2014.06.20号 - 手首を内側に曲げる

左腕は「一本の棒状にすることが重要」で、これをするには筋肉を延ばす必要がある。腕の外側の筋肉を延ばしたければ手首を内に曲げるとよい。

もちろん構造的には手首を曲げても肘は自由に動くが、ゴルフのフォームでは、左腕を棒状にすることで、トップ位置から左腕を押し出せば左肩も自然と押し出されて回るイメージになる。

トップを形作る時にクラブを軽く感じる事は大切かも知れない。軽く感じるのは、左腕と右腕が良く釣り合って協調しているからである。二つの腕が強調しなければクラブはもっと重く感じられるであろう。

雰囲気として「ゴルフスイングは縦回転」である。横回転という感じはない。横回転とは体を廻す事だが、体を廻すと当然クラブも体と同じ方向に動く。それではクラブが動いて左肩を追い抜かすことが出来ない。

クラブが横移動に見えても、体は縦移動をしているイメージである。左肩付近に回転の中心にあり、その位置がスイング中は変わらない。これは外からの観察で動いていないのではなく、意識では中心として動かしていないという事。そこで無理に体を止めてクラブに追い抜いてもらうというトリックが必要になる。縦回転なら体が左右に動かないのだから追い抜くイメージも必要ない。

スイングは、重さを感じないようにトップを作る。それから次の動作に移る。これは腰の切り替え、足の切り替え、左肩への切り替え、意識の切り替えとして発動するようだ。この動作が正しいどうかはよく分からない。
  1. 腰の切り替え
  2. 足の切り替え
  3. 左肩への切り替え
  4. 意識の切り替え

切り替えをするとは、後ろに向う力が一度0になる事だ。力のグラフを見れば、マイナス方向に動いているものが一度0になってプラス方向に転じている。

ここで後ろに行く力をもし前に行く力に加算できれば、パワーは更に増すはずである。この考え方は未だスポーツ科学より古武術系の影響が強いと思われるが、正しいかは分からない。

「1、2」と切り替わるスイングよりも「1、」で切り替わりのないスイングの方が効率は良さそうに思われる。しかし、それがどういう動きであるかは全く分からない。

古武術系の動きは、モーションを出さないのが基本だそうである(自分の動きが相手に読まれるから)。組んだ時に相手の力を利用するのも独特らしい。格闘技としては確かにそうであろう。

しかしながらゴルフは平和のスポーツである。打つぞというモーションがどれほどあっても良いし、誰かと組み手になる事もない(ケンカしているなら別)。

井桁理論にしろ、浮き足にしろ、古武術の話しは抽象的過ぎる。ボクシングのパンチとの比較さえなく、では何がどう違うのかがさっぱり分からない。

テコや、捻り捩じりがダメと書いてあって、その感覚には同意できたとしても、ではどうするのかが分からない。人間の骨格であったり、虫や動物の生態にもテコや捩じりはたくさん活用されていそうである。

古人の伝説を大袈裟な話ではなく、本当にそうであったと信じる所から始まるのだと思われる。その我々には分からない奥儀、口伝を読みに読み、練りに練り、実演を続け試行錯誤をして読み解いてゆくしかない訳で、それを言葉で伝えるのは難しいものとも思われる。

2014年5月12日月曜日

練習場より 2014.05.12号 - 左腕と手首の曲げ

BabySteps にとても重要な事が書いてあった。フォームを大きくするほどパワーは増すが、精度は落ちてゆく。このふたつは反比例の関係にあるので、フォームを大きくすれば精度を向上するための何かを欠落させねばならない。

そこでパワーとコントロールの両方を成立させる(バランスを取る、最適解を見つける、合計値を最大にする)には、コントロールは、スイングを出来るだけコンパクトにしてコントロール力を高める。一方でパワーは、道具、技術、知見の発展、筋力の強化によって実現する。そこで重要となるのが体幹、インナーマッスルである。云々観々。

さて、このような言葉が散りばめられた BasySteps であるが、この漫画はまずい。面白いので延々とコミックスを買い続けてしまう。そこで僕の慧眼は10巻で買うのを止めた。これは全く正しい判断であって、もしも買い続けていたら、どこまでも~♪限りなく~♪、状態になっていたに違いない。

と最近まで思っていたのだが、11巻に手を出してしまった。まるで麻薬患者の依存性である。不意に手を出してしまったために、依存症が再発するのである。自分がコントロールできない。これが BabySteps の恐ろしさである。あれよあれよという間にこの無間地獄に落ちて行き、気が付けば30巻までが本棚に揃っているのである。

さて、ゴルフである。

問題は、左腕である。

トップを作る時の左手首である。この手首を曲げる事が思った以上に重要であって、その理由が幾つかある。

  1. トップの時に手首は自然に折れ曲がる。
  2. 折れ曲がる方向は「内側」であり左右ではない。
  3. 手の甲が曲がる感じである。
  4. この手首の曲がりによって左肩から手の甲までがピンと張った状態になる。
  5. これは筋肉の緊張で起きたのではない。
  6. 内側に曲げる事で、腕の外側の筋肉が伸びた状態になったからである。

この状態がスイングにとって大切なのは、スイングの途中で左腕が緩まないからである。

左腕が緩まないからスイングが安定する。重要なのはスイングの時に左腕が張った状態になっている事であり、手首を内側に曲げるのは、そのための方法のひとつに過ぎない。

手首の曲がりはインパクト時のフェースの動きとも関係しているようで、その結果としてボールのスピン量とも関係するようである。

たったわずか数cmの手首の曲がりが、左腕の伸張となり、スイング中の軌道を安定にする。また左腕が固定化される事で、スイングを、手打ちから体全体を使うスイングに変えるようである。

手首もスイングのコツには違いない。少なくとも効く。

2014年4月5日土曜日

春ゴルフへの誘い - お誘いテンプレート

雪の降る長く冷たい冬が終わればもう春ですね。

さて、4月です。今年の春がまた来ました。

桜が少しで咲き始めています。

もちろん、だからゴルフなのです。

古人いにしえびとは、この頃を啓蟄と呼びました。

春の蠢動とともに、桜開のもと。

ゴルフをするのです。

恋だの愛だの領土だの論文など馬鹿にかまけている場合ではないのです。

今年の開催は桜の開花頃を予定しております。

ホウライから案内も届きました。

6月頃には行くのはどうですか?

皆様のご都合をお聞かせください。

敬具

2014年3月29日土曜日

練習場より 2014.03.29号 - スタンスの斜め方向

横向きのスポーツは、横向きであろうとする。そこでは、なんの理由もなく全てが横向きでなければならぬと考える。これが人間に備わっているフェアネスの証左である。横向きである以上は全て横向きでなければ正しくないと思いこむ。

ところで人間は横向きであるよりも縦向きであるほうが自然である。これがスキーの方がスノーボードよりも早く発明された所以である。しかもスキーの方が応用は広く、スピードも上である。安定度が違うのである。蟹ではあるまいし、横になるのには理由がある。

ゴルフは横向きスポーツの代表である。だから、ボールを横から叩くのである。横向きのスタンスはクラブの移動距離が長くなるからするのである。野球のピッチングでも横を向くのはそこで加速するための距離を作り出すためである。だが横を向くからと言って最後まで横向きである必要はない。

トップの位置で、クラブのフェースは自分の正面を向く。ボールの飛翔線に対して平行である。ここからフェースは90度回転して、ボールに対して垂直に当たる。だからボールは左側に飛ぶ事ができる。

所で体感で言えば、クラブフェースは、ボールに対して垂直に回転するのではない。自分の体が斜め前に向かって開き、その過程でクラブが当たる感じである。体が斜めになる、クラブも斜めに回転する、その合成が90度になる。

体は横と言うよりも斜めである。横向きのスポーツの実際は「斜め」だ。

それくらいで調度、垂直になるようだ。テニスのサーブが斜めに打つのと同じである。クラブはボールの左後方から右前方に当たる感じがする。これは体感だが、これで調度よい方向に実際はなっていると思われる。

実際の体の動きと頭の中での体の動きは異なると言う事だ。

2014年3月20日木曜日

練習場より 2014.03.20号 - カゴ入れ

練習場には 40 ヤード付近にカゴが置いてある。

何度打ってもそこに入らない。

近くに飛んだのに入らない。

数十 cm 近くになら幾つも飛んだ。

カゴの周りに当たったのもある。

だのに入らない。

ワンバウンドでも入らない。

確率で言えばどうなのだと。

もしこれが宇宙人と地球の命運を掛けての勝負だったらどうなのだと。

お前ら、ボールがカゴに入らないせいで地球が爆破されてもいいのかと。

風よ、重力よ、飛んでいる虫よ、お前らそれで本当にいいのかと。

地球が破滅してもいいのかと。

「おまんらの力を!」

でも入らない。

そうゴルフはゴルフに対してのみフェアであるのだ。

ここまで入らないとは、神様は意地悪である。

ニーチェではないが、そんな神様は殺してしまうべきである。

2014年3月16日日曜日

練習場より 2014.03.16号 - 無重力感

スイングでは体を回すなかれ。回すとスライスかフックになる。回さないように打つ。どうするか。恐らく、外から見ている人には回しているように見えるであろう。しかし打っている本人には回している意識はない。

スイングは2つに大別できる。
  • スタンスからトップまで
  • トップからフィニッシュまで

ボールにヒットした瞬間を意識する事は有益かも知れない。しかしそこでスイングは停止する訳ではない。意識することでフォロースルーが疎かになる事は有益ではない。これは流れの中で打つと言う事を意味する。

ボールがクラブに当たり離れた後のクラブの軌跡がどう変わろうとも、ボールの飛翔には影響を与えない。だからボールに当たる迄が重要である。故にフォロースルーはスイングとは何も関係がない。

ボールが離れた瞬間にクラブが停止するのであればフォロースルーは不要だ。ただそれは人間技ではない。最大のパワーを伝えた後もクラブは停止できない。プレイヤーの体を壊さない為にも上手にパワーを解放する必要がある。

だからと言って当たる迄だけを意識しおけばよいというものではない。これはスイングを点と考えるか、それとも線と考えるか。ボールに当たる点を考えるか、通過点にボールがあると考えるか。バンカーショットはボールを打つものではない。砂を外に出すように打つ。その砂の中にボールも含まれている。


左腕がトップからどういう軌道を通り、畳み込まれるかは重要だ。

人間の体はとても多くの部品の組み合わせで構成されている。だから、右腕を上げて反対側の左手を右肩に置くと、単に右腕を上げているのとは違った体の状態を生む。

左手を右肩に置く方が体が捻られる感じが強くなる。柔軟性が高くなる。こういう発見は古武術による体躯の見直しから次々と発見されている。腕の高さや肘の前後が、反対側の腕の動きに影響する事は自明である。ただどのように影響しているのかは分からない。


左足がトップでどうなっているかも重要だ。

左膝は体の少し前に出て曲がっている。これを強く曲げ過ぎるのと体を支え切れない。伸びすぎるのも良くないようだ。これは新しい気付きだ。

さて、スイングの途中で体が無重力のように浮かぶ事に気付いた。右足が蹴って浮かぶのか、それとも、地面からの反発力を体が受けているのかは分からない。ただ、足の支えが無くなり、どっかに倒れそうになる恐怖感がある。

練習場は 2F にあるから落ちるんじゃないかという恐怖心が起きる。無重力感を感じるのは良いのやら、悪いのやら。しかし、面白い感覚なので、少しばかり注目したい。

こうして足の動きに少しばかり意識が向き始めたわけである。

2014年3月3日月曜日

練習場より 2014.03.03号 - 左腕の軌跡

Q:トップに違和感を覚えます。どうすればよいでしょうか?

A:スタンスを取った時に両腕が前側に覆い被さっている可能性があります。猫背ぎみになっていないでしょうか?

上から覆い被さり過ぎたスタンスだと両腕が閉じ過ぎてしまいます。もう少し両腕の間を開き、体の脇(サイド)に置く事を意識します。そうすると自然と上体が起き上がり上から被さらなくなるでしょう。

また重心がどこにあるかを確認します。つま先すぎませんか。どこに置くのが理想かは人によって違いますが、前過ぎる可能性があります。

Q:スイングで動く筋肉は胸でしょうか、背中でしょうか?

A:肩甲骨にある筋肉を意識すべきか、大胸筋を意識するかは、よくわかりません。練習場でどちらも試してみるのか良いと思います。

Q:クラブはボールに対してどうなるのが理想でしょうか?

A:理想とは追求するものであり到達するものではありません。クラブを構えた時に、フェースが少し開きスライス気味になるのが良いか、少し立ててフック気味になるのが良いかを選ぶことはできます。どちらが良いかは決めかねます。

Q:左腕の畳み方はどうすれば良いでしょうか?

A:スイングでは最終的に左腕の畳み方が重要です。しかしスイングは高速なので意識して閉じることは困難です。

ではどうするか。その場合は左脇腹を延ばす様に意識します。トップの時には閉じていた左脇腹は、クラブがボールにヒットし、フィニッシュに向かうに連れて伸びて、腕は閉じられます。これは腕を閉じるよりも、左脇腹が開いて、伸びる事で自然に起きるようです。

2014年2月3日月曜日

練習場より 2014.02.03号 - 左手首の重要性

左手首の話し。

手の延長上に何かしらの道具を持つ運動というもの、ゴルフ、野球、テニス、やり投げなど、手首が重要な役割をしていると思うのだ。

手首は体の中ではどちらかと言えば弱い部分である。そこは自在を得るための構造であって、重いものは体の中央で支えるのが道理であって、手首や足首は、物との接点として柔軟さや角度などが求められる。

さて、それでも筋肉が与えたパワーを何倍にも増幅して(道具がもつ重さやしなりが生み出す力)、ある運動をするのが道具である。それが正確にかつ十分なパワーを伝導するには幾つかの大切な部分がある。

今回、思ったのはそれのひとつが手首という事だ。手首の角度を変える事で腕の筋肉は伸びたり縮んだりする。

雰囲気として伝えるなら、スイングは、肩と手首の間(腕)が十分に伸び切る事が重要であり、腕が伸び切る事で、後ろにあったクラブは、まるで手首を中心点のように回転をして前に出る。

腕が十分に伸びていなければ、固定化されないため方向性があやふやになり、また腕がサスペンションとなって力を吸収するのでパワーが伝わる前に削がれてしまうのではないか。

テニスや野球ではボールの位置が打つたびに変わるので常に肘が伸び切った状態で打てるわけではないだろう。だが手首の重要性は少しも変わらないと思われる。

スイングは筋肉でやる仕事ではない。十分な加速が与えられた道具はもはや筋肉で止めたり加速できるような運動ではないので、ただ軌道を狂わせず減速させずに打ち抜くよう努めるだけである。

打ち抜くのは短いショットでも同じだろう。クラブは振り抜かなければならない。そこが面白い。距離と方向を正確にしたければ、手でボールを持ってその場所に置くのが最も確かだ。

だがその感覚で打つのは止めた方がいい。打ち抜かなければ正確さが落ちる。置く様に打とうとすればスピードが落ちボールに当たった衝撃に負けてしまい軌道が狂うだろう。打ち抜くなら、置く様に打つなど出来ない。

経験は重要だ。この程度で打てばあの辺りに落下する。転がりはこの程度というのを知っておく必要がある。ボールを手にとって置くなら経験など必要ない。しかし打ち抜くなら経験から距離を知っておく必要がある。

さて、コースにはコースでの楽しみがある、練習場には練習場の楽しみがある。そのどちらも面白い。ゴルフは面白く、そして上手く行かないように出来ている。