2018年12月17日月曜日

練習場より 2018.12.17号 - 背中は腹筋の射影

ある一点に意識を持つことで全体が楽になる、又は、それまで痛かった場所が他へと移る。意識をどこに保つかは全体のバランスを制御するひとつの方法である。何かが変わる事で全体がガラリと変わる場合がある。これは指令基地を移動したようなものだ。

意識する場所を変えると、それに合わせて無意識の世界でも筋肉を総動員して対応するものらしい。その結果、あらゆる場所を変えざるを得ず、対応するのだと思われる。

背中のコリは、足首を伸ばすだけでも和らぐ。其々の関節は独立して動作するが、全体で見ると、関節がひとつ動くのにも、全体で呼応しなければならない仕組みになっている事を証明している。すべてが繋がっている。それを不自然に一部だけ動かそうとしたら負荷となる。椅子に座った状態は強制的に動かない部分を作る。座って楽になった分、どこかが負荷を肩代わりしているはずだ。

これは推定であるが、どうやら人間の大雑把な構造では腹筋と背中は1:1の写像になっているようである。肩を上げたいと思うならば、腹筋側の対応している場所も上がらなければならない。右に回したいなら腹筋側も背中側も右に回す運動をするべきだ。

肋骨の下側、鳩尾に丸い空間を作るように試みる。

腹筋駆動で体を動かす。どうやら腹筋の中には小さな小人が住んでいる。彼の体は、この肉体の様々な場所とワイヤーで繋がれている。彼の動きがそのまま大きな体の動きになる。腹筋を参加させないで動かそうとするのは、当然ながら腹筋が担当しなければならない力を、他で賄っているという事だ。どこかが負荷が肩代わりしている。

胸の外側、鎖骨外端のやや下、肩関節の内側の一番凹んでいるいる辺り。ここも重要な場所である。腕、肩、肩甲骨の動きの中心を背中側から腹側に移えば、全体の動きが変わる。

そのはずである。

この体の使い方がゴルフのスイングに影響しないはずがない。

2018年11月12日月曜日

ホウライカントリークラブ 2018.11.11/12号

骨盤の角度

結局、骨盤の左右のバランスに原因があるように思われる。

骨盤と背骨の角度、骨盤に対する落ち込み具合に影響される様に思われる。背骨が骨盤へ沈み込むように乗っていると、自由度が失われる。ある程度、上へ伸びている事で自由度を確保できる。浮上している感じ。人間の骨格、筋肉は重力に逆らって上に伸びる、上に上がるようになっていると考える方が安定するように感じる。そういう構造を持っているのではないか。

直腸の角度、アフリカ人とアジア人の骨盤の角度、前傾骨盤と直立骨盤の違いなど。これが人種の違いか、それとも山岳、丘陵、平原など環境への適用かは知らない。筋肉量や狩猟方法によっても適応が変わるだろう。

これらは、歩き方にも影響するはずで、どのような環境であるから、どの筋肉を主体に使うか、その歩き方はどのような環境によく適応したものか、住環境が簡単に変わる現代では意識しないといけないのかも知れぬ。

姿勢も変わるはずである。

腿裏と表のどちらを使用するか、太腿の表側の筋肉を主に使うのは足を持ち上げる方法だろう。おそらく山岳を上り下りするのに適用している。足場が悪い場所にも適している。後ろに蹴り出す歩き方は平原や草原などを歩くのに適しているだろうと思われる。

このような違いは、環境から起きるし、文化によっても形成される。それがゴルフのスイングに影響しないはずがない。

2018年10月21日日曜日

練習場より 2018.10.21号 - グリップ

構えた時、左腕とゴルフクラブは一直線上にはない。スイング中もグリップを頂点として角度が変わる。トップ位置での角度がそのままインパクトはしない。これが三次元空間(x,y,z)で変化するのでイメージは難しい。

これは手首の角度として意識されるであろう。トップの位置での角度はボールに当たる前には元に戻っていなければならない。インパクトする瞬間に最大の反力を受けるが、スイングはこれに負ける事なく加速されなければならない。

インパクトが終わって、初めて運動エネルギーは解放されるのが望ましい。力の解放はボールが飛んで行った後になるので、インパクトした瞬間はクラブは加速中である。インパクトで失うエネルギーをこの加速が抑え込むので、そうするからボールは遠くへ飛ぶ。その後にエネルギーの供給は消失し、減速、停止というアクションでフィニッシュに至る。

そうなるにはインパクトまでにスイングが完了するのがよい。イメージでは、インパクトする地点までにはエネルギーの供給はすべて完了しているイメージで、この時、土台となる下半身は安定させておき、スイングの一切によって動じないようにする。もし動けば力が分散して逃げてゆく。逆に言えば、体がきちんと立っている状態であれば、クラブの長さに応じたスイング幅も見当がつく。スイングが原則する区間もクラブの長さによってイメージできる。

テニスのサーブはラケットを90度回転させる。サーブを打つ時は最初からラケットを斜めに持つ。サーブにおける人間の関節、筋肉の構造上、そうしておかないとインパクト時にラケットの面がずれる。この一件奇妙だが、インパクト時に必要なこの動きは、他のスポーツでもあるはずである。これになじみが薄いのはメジャーなスポーツが野球で、バットが円形だからだろう。

ゴルフのスイングもどちらかと言えばテニスのラケットと同じである。人間の思い込みの形と実際のスイングは随分と違うはずだ。だから、ここはこうしておかないと実際にはうまく動かないよ、というようなコツがたくさんある。

そういう物理的、生理学的な要請に屈するのがスポーツの楽しさだろう。

2018年10月8日月曜日

練習場より 2018.10.08号 - 姿勢と視線

人間の視野には限りがある。ということは、フォーカスしている部分以外は、周辺視野として捕らえている。アメリカの警察官がフラッシュライトを頭の横に掲げるのは視線との同一性を確保するためだろう。

一方で日本でよくやる体の中央に持つ方法は、恐らく提灯という伝統に根付くものだろう。基本的に弱い灯りで足ともと照らす。目的が異なる。

姿勢と視線は強い相関関係にある。どこを見るかというのは人間の心理と深く関わっている。どこを見ていないと不安に感じるかに等しい。この心理が視線の方向を決める。視線の方向が姿勢を決める。

足元を見ようとして視線が下を向く。自然と首が前に出る。足元を周辺視野に収めるのに不安を感じるからそういう行動をする。首が前に出れば、背中側の筋肉が頭が前に落ちないように後ろに引っ張り上げようと緊張する。

背中が下方向に引っ張るなら、自然と両肩の筋肉が中央寄りに引っ張られて、右肩はより内側に、左肩は、やや後方上に位置づく。このアンバランスはコリの原因となる。当然ながら下を向くので、肋骨の上側は下向きになる。これは胸側への圧迫となって、鎖骨回りを固める。

自分の体であるが、その構造のみならず使い方まで非常に無意識下にあり、かつ、人によって様々である。それに答えられるほどの柔軟性が人間の体には備わっているが、負担が増えれば痛むのは自然である。

またロボットの存在が人間の体への思い込みを強化する。

関節で体は動くと考える。足と体の境目は、ガンダムが示す通りと思い込む。しかし実際は足の始まりを筋肉という観点でみれば、肋骨のやや下くらいから始まっている。歩く時には、その辺りの筋肉から動き始める。

腸腰筋が足であると知れば、腹側は肋骨のやや下、背中側は、湾曲の下側当たりから始まっている。歩く時、腰よりも上に歩く行為がある。かつ、筋肉の役割はひとつではない。複数の機能を担えるように設計されている。

関節で考えるのではなく筋肉の方向で考える。すると片側だけで機能が解決するはずがなく、両側を意識する。足は腰から下だけで独立はしていない。最終的には頭の重さが関係する。

首という機能は、頭から肩甲骨の下までの筋肉が参加しているし、肩は体の真横というより後側から装着されて、胸から背中まで肋骨を含めて関係している。

筋肉で体の部位を理解すると、関節による理解とは全く違った体の構造が見えてくる。これはかなり大事な事のように思われる。

肩への負担の多くは、どうも首が固定化されている事に起因するらしい。首がある方向で固定されている、首が片側にずっと傾いている、そのような場合に、それが長く続けば凝る。逆言えば、首がずっと動き続けるならばこれを軽減できるはずだ。

チェックすべきは、左右の向き、左右、前後での重心のバランス、どこかが凝っているなら、それには理由がある。そうしなければ保たれない原因がある。姿勢は総合的なものだから、部分ではない。部分だけの修正で全体がよくなるには、あまりに関係し過ぎている。

直立は腹部で保つ。そうする事で上半身に余計な力を入れない。これが出来ないと、バランスを上半身、主に肩の筋肉で保つようになる。する肩が固定されたのに併せて首も固定的になる。最も重い頭部というパーツが一番上にあるのを支え続けるために。

首の支えには、梃子とか重力が利用される。首を後ろに下げると、顎が引かれるので、筋肉を使わずとも頭部を自然と前側にロックできる感じがある。

構造物は重力向きに重さが加わるので下が強く、上ほど弱くてよい。これは直立姿勢でも同様であるはずだから、下からの支えによって上の位置関係が決まる順序がある。つまり、上を動かしたいなら、下から動き出すのが正しいと思われる。これをしない場合、上だけで解決せねばらなず、上半身の筋肉は下半身の筋肉の肩代わりまでしないといけない。この負担増が様々なコリの現認になる。

姿勢は骨格と筋肉によってなる。その目的は内臓を抱えておくためであるから、内臓の位置もよい配置と悪い配置があるはずだ。例えば、空気の流動はスムーズである方が望ましい。ならば、気管支の配置が呼吸に影響を与えるはずだ。捻じ曲がっているのが良いとは思えない。内臓の配置も同様だと思われる。

その時、横隔膜の位置付けも重要で、横隔膜は、呼吸と深く関係し、肋骨の姿勢にも関係する。また内蔵の空間とも関係するため、姿勢にも大きく影響する。これらは三次元空間なので複雑である。二次元は360度で済むが、三次元は360*360の組み合わせである。

2018年9月23日日曜日

練習場より 2018.09.23号 - バランスの中心

姿勢に対する感覚というものは、他の人には決して分からぬもので、個人が最後まで付き合うことになる一つである。どれだけ優れた人の体捌きも、その人と共に消える。そういうものは人の中にあり、決して人の外に出せないものである。

もちろん、残ってゆくものはある。理想的な体捌きや姿勢が他の人に影響し伝わる事がある。歌舞伎などの伝統芸能は子供の時分から見せてやらせてそうやって伝えてきた。それは直接的なコピーではない。あくまで真似るという形を通して伝え、少しずつ個性や年齢で違ってゆくものでもある。この伝え方はコンピュータのコピーよりも DNA に近い。

体の構造はよく出来ていて、大抵の使い方でうまく機能するものである。一通りの使い方しかできなければ人類はずっと前に絶滅していたであろう。何通りもの動かし方ができる。だからケガなどをしても乗り越えてゆく事ができるわけだ。このロバストネスは生来、備わっている機能であろう。

しかし、異なる使い方が出来る事は、その全てが同じという意味ではない。使い方が異なれば負担のかかる場所が変わったり、効率も変わるだろう。使い方の違いが、パワーの違いとしても出てくるだろう。

多く背中側の筋肉は弱い。そこを中心に使って首を支えれば、肩や背中に負担がかかるのは自然である。背中の負担が高くなれば、自然と痛くなってくるだろう。だから、そこではない部分の筋肉をもっと使うべきであろう。

そして負担が減れば、そこに自由が生まれ、その結果が他にも波及する。この全体のサイクルが他へと連動し、全体に与える影響はとても大きいだろう。ある場所の負担をなくすだけで全体が軽く感じられるだろう。

左右に偏りがあるならば、上下前後にも原因があると考えるのが妥当である。体はバランスを取る。それが出来ない場合、支えようとする。これが長く続けばコリとなって症状にでる。

基本的に常にバランスを取ろうとする状態であるべきだろう。バランスを取りづ付けるとは、負担する場所を次々と変えてゆくという事でもある。バランスを取るのに、どこかに中心を置く必要がない。というより中心を変えてゆくから動かし続ける事ができるのだろう。ならば、重心を固定しようとすることが間違いか。

人間の体では内蔵の配置が左右非対称である。障害や事故によってそうではない人もいるが。よって左右の重心の在り方は異なると考えられる。だから食事によって左右のバランスは異なるはずである。

人間は重力の影響を受ける。これによって重心の位置は、内臓全体があって、その上方に肋骨に包まれた部分が乗っかていて、その更に上に頭蓋骨という重しがある。これは垂直方向でバランスを取る基本構造である。

そしてこれら全体を骨盤が下支えてしているので、左右前後の偏りはこの部分から関係している。逆に、足の使い方がその上のバランスに影響するのも当然と思われる。

姿勢というと静的な状態と思い込む。だが実際にはバランスによって成立する動的なものである。微調節をするには動くしかない。静的な状態では微調整が行われていない。これがコリの原因となる。

バランスを取るためには動き続ける必要がある。普通は中心があるから、左右、前後、上下、斜めと方向が決められるように思う。すると中心を決めて、そこから左右前後上下のバランスを保てるように思える。そういう意識でいたが、中心を意識していると静的になる。動的であるとは中心を失う事ではないか。

2018年9月17日月曜日

練習場より 2018.09.17号 - 肋骨という三次元

一次元を生きるものは、線上を歩くのみである。その者が二次元以上の空間を想像することは可能だろうか。

直線上を生きる者は、直線上であれ、曲線上であれ、その次元内のすべてが直線として観察されるはずだ。そのため角度という概念を得ることは難しい。

しかし、一次元上で光を出せば、直線なら到達するが、曲線上ではなぜか光が届かない現象が観察されるはずである。それをどう解釈するかに苦労するであろう(光は縦波なので一次元には存在できないというのはここでは無視する)。

一次元の世界と二次元世界が交差しても一次元の者は何かが変化しているとしか認識できないはずである。三次元世界と交差した場合は、一次元の世界に、複数個所に同時に出現する変化として観測されるだろう。だがその同時出現性をどう考えるかはよく分からない。

二次元の世界に住む者は、三次元とどう考える事ができるだろうか。目の前で三次元世界が交差した場合、それはちょうど、MRIの画像のように次々と画像が切り替わってゆくように見える。

その画像が彼らの知らない方向(Z軸)に対して連続している事を発見すれば、彼らは三次元空間の入り口に立てる。だが、三次元を想像する事はできるだろうか。

一次元の者が角度を考える事は難しいように思われる。しかし、曲線があるならば、それを一次元の考えで理解する事ができる。曲線の存在は認知可能であって、それがより高次元との接点と考える事はできる。

二次元の者は角度を知っているので、もうひとつ別の角度があると考える事はそう難しくないように思われる。その角度が二次元X,Yではない方向、Zという方向を知る事はできないが、仮定する事はできるだろう。彼らは立体を組み立てる事は出来ないが、展開図を作る事は出来る。

それを組み立てたものがどういう形になるかを描く事はできるか、できないか。遠近法を二次元世界で見つける事はできるか、しかし、絵画で表現するものは二次元世界では生み出せそうである。

この話を先に進めれば、三次元空間に住む我々の世界に四次元空間が交差したらそれを観測する事は可能なはずだ。だが、それが四次元との交差であると気付く事ができるかは疑問である。四次元空間のみで観測される現象が何であるかを知らないからである。

更に上位次元の例えば五次元人から四次元空間について教えてもらった所で、どこまで理解できるものか。ただ何かがある事は認識できそうである。それを変数 x としてこの世界の中に持ち込むことは可能と思われる。それは一次元の数学でも同様ではないかと思うわけである。

というわけで、我々の体は三次元構造で出来ているが、これを無意識のうちに二次元として扱っていたとしても自然である。それが右の肩甲骨が体の中心へ引き寄せられる原因であると気付いた。

この左右のアンバランスさがコリの原因となるのは、体の中心がずれるためであって、昔から右を向くのはスムーズなのに左を向くのにはぎごちないのも同じ理由である。全体を制御するためにある部分を固定化する。

ある場所に支点を作れば、そこは動かなくなる。右の肩甲骨を中心によせて固定化すれば最初から右向きになる。そのため、右にはスムーズには動くが左には向きにくくなる。

二次元の面で全体を理解しようとすればそういう答えに辿り着くのも仕方がない。なぜ人間の体には肋骨が三次元空間を持つように存在するのか。胸骨が頑強に空洞を形成するのは、単に肺を守るためだけではない。

肋骨には上半身を制御する役割がある。腕も肩も頭も、謂わば肋骨の付属物である。その付属物にも重要な機能がある。もちろん、肺が潰れても心臓が潰れても頭が潰れても人は死ぬのであるから、重要度にそう大きな違いはない。

ただ、人間にとって大脳と手が(意識にとっては)重要すぎる、というだけの話である。

病は気からというが、全ての病気が気から起きるという意味ではない。うつ病でさえ脳の炎症であると言われる。だが、体の使い方に関して言えば、複雑すぎて何か一か所だけを意識してもうまく動かせるものではない。しかし、肋骨全体を意識して上半身を動かそうとすれば状況がかなり改善される。

これは意識というよりも無意識が、どこか一か所というよりも、全面的に、意識の刷新として起きるように感じる。

肋骨上に乗せた重心が安定すれば、クラブヘッドの動きをより意識した軌道や、腕の動き、特に右腕の二の腕の通り道をきちんと作る事ができるようになる。

この違いがスイングに影響しないはずがない。

2018年9月10日月曜日

練習場より 2018.09.10号 - 凝り固まった筋肉

血流が悪いと言われる。だが血流が止まれば筋肉は壊死するし、病臥にあれば床ずれもできる。筋肉が健全に働いている以上、血流に問題があるとは思えない。

一方で筋肉が凝り固まった状態になるのは事実であるし、マッサージすることで一時的とはいえ解消されるものである。そのような状態を血流が滞っていると比喩するのもそう間違った話ではない。

筋肉が凝り固まる状態には二つが考えられる。ひとつは常に緊張状態を強いられて、弛緩できない状況である。これは緊張状態になっている原因を取り除けばよい。筋肉は随意筋、非随意筋とあるが、いずれも脳からの指令によって緊張状態を生み出す。例えば、強い刺激が脳の発信を一時的に停止したりするのも理解できる。足つぼなどは痛い事で別の場所を緩ます。

それとは別の状況があるのではないか、これが新しい発見である。

筋肉が凝り固まるもうひとつの原因は、主に骨や他の筋肉によって塞がれて、動きたくても動けない状態になっているということだ。常に周囲から圧迫を受けた状態にある。この状況は、凝っている部分だけでは解消できない。その周囲に圧力を掛けている部位があって、この圧力を取り除く必要がある。その原因は主に物理的な配置にあると思われるので、方向、位置や距離を変えることで改善が期待できる。

サウナの後に水風呂に長く使っていると、コリのある部分が特別に感じられるようになる。これは冷たさに対する対抗力の違いだと思うのだが、その位置に対するケアを意識することで楽になる場合がある。

ケアは主に姿勢を変える事で行う。ゆっくりと方向を変える。空間を開けるようにする。距離を変えるようにする。空間が狭いから圧縮される。空間を大きくするように動く。

一般的に、原因には始発点がある。ほんの小さな力でも掛かり続けるとそれに対処せねばならず、様々な筋肉が圧迫を受ける。この連鎖が拡大して広がれば、遂には背中全体が凝り固まる状況を生む。

自分の場合は、それが鎖骨の胸骨関節面にあるようだ。ここに上からの圧迫が続いていたように思われる。上からとはつまり頭である。頭が前方向に出ていると、それを支えるために首も前のめりになる。その重さを鎖骨で下から支えることになる。

これが続けば鎖骨は常に上からの圧力によって身動きできない。鎖骨が動かなくなれば、その影響が首、肩を通して背中全体にまで波及するようだ。

この圧力を取り除くことが筋肉を弛緩させる。

と、同時に歩き方がスムーズになったように感じる。足が前に出やすくなった。もしかしたら、膝のケガと鎖骨への圧迫には因果関係があるかも知れない。

いずれにしろ、姿勢の変化がゴルフに影響しないはずがない。

2018年8月19日日曜日

練習場より 2018.08.19号 - 浮舟

浮舟といえば源氏物語の一遍であるが、ゴルフでは、芝の上での浮揚感である。

練習場では上手くいっているスイングをコース上では再現できない。何かが違う。練習場で上手くいくあの感じが得られない。

何故だろうと考えてきた。何に着目すれば打開できるか、問題が漠然としたままである。違和感が払拭できないのに、手詰まりである。そんな状況が続いた。総当たり式に試してみるしかない、どれくらいあるのだろう。

そんな中で気付いたのが芝生の柔らかさである。

練習場は少しはフカフカマットにしてあるが、その下にあるのはコンクリートであって必ず水平である。沈み込みの恐怖はないし、地球を押し込む力に十分な反力が得られる。

しかし、コースは芝であり、その下にあるのは土である。柔らかな地面で、フェアウェイでさえ完全な水平ではない。

最初の着眼は、反力の利用だった。反力が変わるなら、スイングにも影響する。期待した大きさが得られなければ、スイングも変わる。

練習場ではマットが敷いてあるとは言え、その下には堅いコンクリートがある。だから少し踏み込めば強い反力が返ってくる。そういう環境で練習を続けていると、自然とこの反力を期待したスイングが身に付いてしまう。

そしてコースに出ると違和感を感じる。期待する反力が得られないのだからバランスが崩れる。得られない力を想定するスイングがちぐはぐになるのは自然だ。

この反力の違いがどのような構造上の違いを生じさせるのかは知らない。得られない反力を期待しない代わりに、その変わりをどこかで得ているはずである。安定しない理由は理解できても、その先にある、何をどう意識すれば、意識をどう変えれば、明確な違いがフィードバックできるかは考えるだけでは分からなかった。

そう、練習場をコースのつもりでスタンスを取ってみるまでは。

練習場で、地面からの反力が低い前提で打ってみる。確かにしっくりと来ない。

足をもっと開いては、とても魅惑的な言葉であるが、これは反力が大きい事を前提としている。また、人は立脚の安定性を高めるために足幅を広くする。無意識的に。特に水平でない場合は。

これは新しい発見であった。スタンスの幅を決めるのは通常はクラブ選択である。よりパワーを発揮するクラブほどスタンスの足幅は広くする。これは大きい砲台ほど基礎も強くするのと同じ理屈だ。

直進安定性を高めるためランボルギーニのホイールベースは長く取られる。回転性能を高めたければ逆にするという。ボクスターは短い。ミズスマシがくるくる回るのは体型が円に近いからだし、トンボのしっぽが長いから高速飛行ができる。零戦が運動性能を確保するために翼面荷重を小さく設計した。それは紙がひらひらと空から落ちてくるようなもので、そのヒラヒラを自在に操作できるように操縦桿を付けた。

一方で F-104 は如何にも翼面荷重が高い。重さの割に翼面積が小さいから単位面積あたりが担う重量は大きい。さすがは最後の有人戦闘機と言われるカッコよさである。所がその戦闘機よりも現代の大型ジェット旅客機の翼面荷重は大きい。航空技術の進歩は日々止まらないのである。

さて、高い出力を要求するほど幅が広がるのは、レオポルド(28cm列車砲、全長30m)とドーラ(80cm列車砲、全長48m)を比べても納得できる。

安定性の悪さが自然と足幅を広げるのだとすれば、その影響を考慮しなければならないはずである。同じアイアンを持っても、練習場とコースでは上半身が同じでも下半身のスタンスは1クラブ程度は変えるべきという話になる。スプーンを持ちながら、下半身がドライバーの構えであったら、恐らくどこかで無理が生じ破綻する。

よって、対処法としては、それを考慮した練習を予めしておくこと、コースでは足幅を確認する事。安定性を重視してスタンスを取った場合、それは練習場とは違ったフォームになっている可能性が高い。

コースでは練習場よりも足幅を大きくしやすい。練習場では力いっぱいスイングできるので自然と足幅が大きくなりやすい。これを別に言うなら、練習場では少し足幅を狭めるべきだし、コースでも足幅は気持ち狭くする方がいいはずだ。

練習場で気を付けるのはバランス。スタンスでは重心を動かさないこと。

ちょうど、水に浮かべた舟に乗ったつもりでスイングする。これがちょうどいい例えになっている。スイングで強くは踏み込まない。なぜなら舟が引っくり返らないことを第一とすべきだからである。飛距離も加速度も力加減も優先度は二次的にする。

そのうえで最高のパフォーマンスを得るにはどうすればよいか、という別論もあり、ひとつには、腕はボールにヒットするまでに真っすぐに戻すべきというのがある。

2018年7月8日日曜日

練習場より 2018.07.08号 - コツ

コツというものは、ある日、何かの拍子に気づくものだ。どこかに力を入れる、タイミングを少し待つ、そういう何気ないものが、上手くいく理由になる。それは基本的に不思議である。何故かわからないけれど、こうしたら上手くいく。これが進化の過程で生命が見出した秘策である。

コツには、何か決まった方法があるわけではない。誰にでも通用する真実があるのでもない。そういう固定するものではない。

コツとは、最も効率よく何かを動かすためにこちらの側が向きや位置を変える事である。変えるのが目的ではない。もっとよく体を活用するのは結果がいいからだ。

よって、それは流動的であるし、微調整さえるものであるし、状況によって、体調や疲れ方によって、変わるものだ。

それでも一度コツを掴んだらあらゆる状況に対応できる。自転車に乗るのと同じである。そういう意味で、脳はコツの真実を知っているだろうが、意識は知らないのである。コツとは、脳に任せる意識の事かも知れない。

そういう意味では、こういう場合はこうすればいい、このタイミングでああすればいい、という理解ではまだ足りなくて、状況の変化には対応できないようだ。

コツを捕まえたと思ったり、また違ってみたり、スイングとは難しい。何よりも、スイングには、もっとよい形があるはずだと日々変えたちという願望、欲望、野望がある。

だから、コツを掴んだと思っても、次の日になれば、もっと他はないかと捨ててしまう。またはその上に更に何かを築こうとする。

いい事なのか、悪い事なのか、それは知らない。だけど、だから、楽しい。

2018年6月15日金曜日

練習場より 2018.06.15号 - 向きに従う

スタンスが真っ直ぐでも、トップを形づくれば、体は右側を向く。この右を向いた形を大切にする。

その位置から体を元の体勢に戻すのは簡単ではない。その位置に戻すという動きよりも、その形が持っている Smooth さを持ち込む方が良い。つまり体が最初の形通りの正面を向くことはトップからフィニッシュまでの間はないという事だ。もちろん、正面を刹那で通り過ぎる。時間を極限まで短くすれば何でも静止する。

トップで作られた向きを保ったままスイングを構成する。右腕が落ちる、右腕が十分な落下速度(重力による)になれば、スイングは邪魔されない。スイングとは、トップの後は役に立たなくなる右腕を如何に無力化するかという運動である。

トップの位置から体の向きを変える事は何の役にもたたない。それ所か、余計な力(ベクトル)を加えなければならず、バランスを崩す、必要な場所に力を振り向けられないなど、力の分散を生むだけで、役に立たない。スイングにおいて体を正面に向ける、左右に振るイメージは、何の役にも立たない。スイングが左から右に振られるのは結果であり、原因ではない。

向きに従うなら、右腕を降ろす事を意識さえしなくても、同期的に動く。たぶん、全体統合の不思議さである。

一部を修正するだけでは足りない。木を見るだけでは森を見ていない。だが森を見ても木は見ない人もいる。どちらを見ても、そこに住む虫たちには意識の行かない人もいる。

その一本の木を切り倒す事が、森にどのような影響を与えるか、前もって知る事は難しい。まして、一匹の蝶の羽ばたきが地球の反対側で嵐を起こすバタフライ効果のようなものだとすれば。

たった一筋の筋肉の動く、動かないでどれだけスイングが変わるなど人間に知れるはずもない。だから我々は統合的に理解するしかない。網羅することは最終的には不可能だ。

勝つための最善を求めるのではない。最高のパフォーマンスを追い求めている。ゴルフは結果は運に左右されるゲームだが、その極みに達したければ、完璧なスィングを身に着けなればならない。そうでなければ語ってはならぬ言葉だ。運とは。

ゴルフには、人間に達成できる精度では全てを制御できない、という前提がある。どれほど制御しても、自然の緻密さから見れば、人間はあまりにがさつで大雑把で乱暴で、出鱈目にしか見えない単位で実現しようとしているという事だ。

2018年6月3日日曜日

練習場より 2018.06.03号 - 右腕とYak-38

ロシアに Yak-38 という VTOL機がある。イギリスのハリアーに対抗してソビエトが開発した機体であるが、その目的はVTOLの技術を世界に示す事であって、実際に戦闘機として優秀である必要はなかった。本機は極めて政治性の強い動機で開発され翻弄された機体である。それでも技術的に見れば多々の興味深い点がある。どのようなものもエンジニアリングの観点からすれば面白みがあるものである。


(Yak-38)

(Harrier)

Yak-38 はハリアーとは異なり推進用とは別に垂直離昇用のエンジン(リフトエンジン)を搭載していた。このような設計では、推進用のエンジンは離着時には停止しており、リフトエンジンは推進時には停止している。止まったエンジンは、ただの重りであるから、軽量化の道を辿った鳥の進化と比較すれば、全く理解できない設計であった。

重い機体というのは、活動時間も航続距離も短くなり、速度は遅く、運動性能は悪く、搭載兵器も少なくなる。悪いことしかない見本のような機体であるが、そんな事はヤコヴレフ設計局の連中だって百も承知していたのである。そこには、そうするしかなかった理由がある。

いずれにしろ、失敗機の烙印を押された本機ではあるが、その失敗は、ゴルファに十分な示唆を与えてくれる。

我々の右腕はクラブをトップ位置まで持ってゆくのに使用される。右腕の役割はそこで終わるから、その後はただの重しである。これは Yak-38 のリフトエンジンと同様であるが、人間なので切り落とす訳にもいかない。もし簡単に腕が切り落とせるならシャイロックの悲劇もアントニオの喜劇も生まれなかったであろう。

そのため、人間はスイング時に、右腕がただの重しとならないように工夫する必要がある。腕は人体でも重い部位である。かつ長い棒状なので、重心の移動が全体に与える影響も無視できない。

そこでスイング時には右腕にも十分な加速を与える。トップ位置からスイングに以降する時には、右腕が十分に落下するのを待つ意識をする。落下は重力を使った自由落下とする。

右腕が十分に落下するのと同期して、スイングを始める。感覚的には、長いクラブほど落下にかかる時間が長くなる。それだけスイングは遅れるように感じられ、ドライバーで最大となる。体が動いた後に暫くしたら腕が通過する体感である。

PWなどでは腕主導でスイングしても誤差が小さいので大した問題は起きない。クラブが長くなるにつれ誤差は大きくなる。右腕の落下を待たずにスイングをすると右腕は右に向かう抵抗として働く。

西側からはまがい物Forgerと呼ばれた Yak-38 ではあるが、このような構造的な欠陥を抱えながらも、一応の実戦に投入できる完成度は持っていた。本機の込められた様々な工夫には驚いてもいいはずである。

2018年5月13日日曜日

練習場より 2018.05.13号 - 背中のストレッチ

姿勢が重要である。スタンスを見れば、どのようなスイングをするかも分かる、と岡本綾子も言っていた。仙人ともなれば、立った姿、歩く姿勢を見ただけでも、どのようなスイングかは分かるようになるだろう。

姿勢は静的である。だから姿勢だけでは足りない。人は歩くという動的な行為を通じて体のバランスを取り戻す。

頭の重さを下から支えるには背骨を重力に対してまっすぐに受け止めなければならない。重心は鉛直方向に下にかかるものだから、その真下に配置するのがよい。頭が傾くとしても一時的(Temporary)な状態であって通常は背骨の真上にあるのが望ましい。

首は、一般的には頭から7つまでの骨とされている。だが、機能的に見れば、頭から、もっと下、肩甲骨の下辺り、くびれ辺りまでの区間を首と呼ぶべきだと思う。

一方で、上半身全体を支えるのは腰である。肩や背中に過負荷を起こしているなら、何か問題がある。

足を屈伸したり、伸脚するだけでも背中の筋肉はストレッチされる。正座すれば足の筋肉がストレッチされる。それが、腰から背中、肩へと影響する。その時に背中を後ろに倒れるくらい反ると効果が更に高くなる。

あぐらを書いた状態で、両膝を上に上げ下げする動きもストレッチになる。

歩く時は、膝を使って歩く。膝を前に出す意識。そして、それを支えるのは腰と骨盤にある筋肉の働き。この状態を意識すると背中の緊張は緩和される。

体がリラックスするのは意識では出来ない。なぜなら緊張には理由がある。その原因を取り除かない限り、無意識はこれを働かせる。

意識が力を抜こうとしてもそれでは体を支えきれないなら無意識はその命令は上書き(Override)して無効にする。それを開放したければ、原因を取り除き、無意識の命令を停止するしかない。

その為には、別の場所でそれを肩代わりさせるしかない。弱い筋肉、弱い構造よりも、より大きく、最大の力を持つ場所に振り替えるのがいい。それを見つけるのは簡単ではない。試行錯誤して探し出すしかない。

このような姿勢の違いが、ゴルフスイングに影響しないはずがない。

2018年4月29日日曜日

練習場より 2018.04.29号 - 背骨と肩と胸骨

脊椎動物の発生は、外胚葉の表面に脊索が形成される。魚類では背骨は体の中央にあるが、陸上に進出する時、生物は重たい内容物を背骨にぶら下げるように配置した。重たいものを下から支えるよりも、ぶら下げておく方が、エネルギー効率がよいからと思う。

四つ足では問題なかったその配置だが、二足になった時、この構造物には重要な欠点が検出された。ぶら下げておくべき内容物も垂直にしなければならないので、ぶら下げておくわけにはいかなくなったのである。何か他のもので支える必要がある。そのために選ばれたのが骨盤であって、骨盤は下にあって、それより下に落ちないように配置された。

こうすることで、骨盤から背骨を上に伸ばすことができるようになった。人間の体の構造は畢竟、オタマに手足を付けたものである。全体を支える背骨が重心の真ん中を通っていない点では、ゴルフクラブともよく似た力学的配置である。

重力に逆らうように進化するのには、それなりの工夫が必要である。重力から脱出するのに、サターンロケットがどれほどの酸素を燃焼させなければならなかったか。人間の場合、これを筋肉とバランスで実現している。

直立する時、最も大きな重量物は頭であるが、併せて腕も重い重量物である。頭部はまだ背骨の直下にあるが、両腕は背骨から離れた場所に配置されている。そのため、これを支えるのに肋骨の上に乗せるように配置し、肩甲骨と鎖骨で遠隔にある両腕の操作を実現した。

骨盤が内蔵を落ちないように下から支えているのとは逆に、両腕は肋骨の上からぶら下げるようになっている。これが肩こりの原因に繋がる。

両腕を支えるために、肩甲骨と鎖骨のふたつの骨が必要とされ、これらの骨によって、腕を体の中心と結びつけている。最終的に、筋肉は背骨という中心と繋げて置かなければ、強く動けないのである。

鎖骨の根元の自由度が下がると肩や背中の動きを制限する。鎖骨と肋骨の位置関係が呼吸、特に吸い込みに影響する。手の先から鎖骨までが腕。支点、力点、作用点となって、これが複雑に絡む。作用点が次の支点になるような連続して力の伝達を行う。胸骨と鎖骨の間をストレッチし緩ます事で自由度を取り戻す事ができる。

これがゴルフスイングに影響しないはずがない。

2018年4月22日日曜日

練習場より 2018.04.22号 - 鎖骨と肩

肩を動かすのは肩である、という思い込みは間違いであると気がついた。

構造的には、もちろん肩は、肩関節に固定されている。だからといって、それを動かすのが肩と考えるのは短絡なようだ。

人体の構造は、ご存知の通り、内骨格系の生物の宿命として骨を筋肉で結びつける。本川達雄の「ウニはすごい バッタもすごい」によれば、筋肉は収縮する方向でしか力を発揮できない。よって縮めるのが力であって、伸ばす力はない。伸ばす動きの場合は、反対側で収縮が起きているはずである。

ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学(2017/2/19) - 本川 達雄 - 中公新書


意識は反対側を縮めるとは理解していないだろう。そのような考えでは意識には馴染まない。伸ばすという意識を縮めるに変換する機構がどこかにある。

コリとはこの筋肉が緩やかに長時間収縮した状態が続いた結果であろう。そのための疲労がコリである、と思われる。単純に考えるならば、縮んでいるのなら、反対側を伸ばせば伸びるではないか、と考えられる。だがそう簡単ではないようだ。

収縮は神経が支配している。これを物理的に伸ばしても、収縮信号が停止するとは限らない。伸ばしても収縮信号が流れ続けているならば、疲労が解決することにはならない。これは筋肉の問題ではなく、脳から神経へと発する電気信号の問題なのだ。

一般的にマッサージには、筋肉をほぐすと同時に、この信号を遮断する効果がある。一時的にも信号が止まれば筋肉は疲労を回復させることができるわけだ。ただし根本の原因が取り除かれなければ、再び信号は発生するだろう。またしばらくしたらコリが辛くなる。

肩を動かすには、肩と結ばれている筋肉が収縮しなければならない。人間の体はあちこちが結びついているから、類似する動作をするのにも複数の経路がある。だから、どの筋肉を主力として使いますかという話になる。

肩回りの骨に注目するならば、鎖骨と肩甲骨は外せない。これらが背骨を結びついて肩を動かす。これらのどれをどの程度参加させていますか。それによってコリ方も違ってくる。

肩とは鎖骨の先についた支点である。力点は鎖骨の胸骨側にある、という感じ。つまり、肩は鎖骨で動かす、と考える。

人体の多くはテコを利用している。だから鎖骨と肩の位置関係も直線上にはない。軸線を変えてゴルフクラブのようなトルク(回転、捩じる力)を生み出す構造がある。回転しやすくする事で関節が動かしやすくなる。

胸骨側から鎖骨を通して肩を通って腕を動かす。肩は肩関節で固定されているが、これを鎖骨を使って動かす。車のシフトノブのようなイメージだ。

胸骨側に力点があり、肩が支点となって、作用点となる腕を動かす第1種てこ。

このように意識し、鎖骨を動かすようにすることで、背中の痛みがかなり軽減できた。そして、この動きがゴルフスイングに影響しないはずがないのである。

スイングは立ち姿の姿勢を見るだけで明らかである、という理想に基づいて考えてゆきたい。

2018年4月1日日曜日

練習場より 2018.04.01号 - ロボットと首

付属を主力にするようではよい結果は得られない。本体を中心に組み立てるべきなのである。

ゴルフならば本体とは背骨である。それ以外のパーツは付属品である。人間のような体の構造をしていても、不要物を取り除けば、蛇と同じになるのである。

では蛇の首とはどこからどこまでか。学術的には、首の7つの骨の部分とするのだが、ここでは違う定義を使用する。首とは、舌の終わりから、胃の入口まで。つまり首とは食道の範囲である。我々が首と呼んでいる部分は、喉である。

食道を首とするなら、首の骨の数は7つではなく、C1-C7 から T1-T8 辺りまでである。



首を頸椎だけと考えるのではなく、もっと広く捉える。頭を支えるためには、7本の骨と周辺の筋肉だけでは足りない。もっと動員すべきなのである。

なぜこのような誤解が起きるかと推察すれば、ロボットアニメの影響が大きいと思われる。マジンガーZ はロボットの革新であったが、体の構造に対する誤った理解を刷り込んだ。

アトム、鉄人、ロボット三等兵などは、頭、首、胴の三節で構成されているが、マジンガーZ 以降、頭、首、胸、腹、腰の5節が主流となった。

このロボットの構造は、人間が外骨格生物である場合の仮想であるから、その創成には甲冑や昆虫が参考にされた。特に関節の在り方や組み合わせ方は節足動物に由来する。

その後の革新として、エヴァンゲリオンがある。体節数が増加し、首の装甲が特殊化した。胸部は小さくなり、腹部は更に3つに分節した。これはムカデなどの多足類が参考にされたものと思われる。

鉄人が甲冑をモデルとして草摺やスカートを取っ払った形状であるのに対して、マジンガーはより肉体的、生命的な形状に変わっている。デザインは次第に筋肉を鉄鋼化する方向に進んでいるように思われる。

しかし、それは外から見た形であって、筋肉の付き方をデザインしたものではない。フォルムを中心にしたデザインである。そうではなくて、我々には解剖学に基づいたデザインが求められているのである。

これは、自分の体について考える場合にも重要である。筋肉がどのようについているか、を理解することは容易い。だが、それがどのように動くか、互いにどのように連動するかを理解するのは至難である。

だから実際に動かしてみないと何も分からない。その場合に、背骨を中心に動かすという事を意識する。動きの本体は背骨にある。肩甲骨も腕も付属品なのである。

人間の体を構造的に語るならば、まず内蔵部分がある。これは骨盤が下支えして、全体を筋肉で包む。脊椎は骨盤から延びるが、先端に頭骨を付けるためである。よって、頭骨から内臓部までが構造的には首である。

だから首には次の付属品が着いていると考えるべきなのだ。頭骨の下に喉があり発声を司る。その下に潤滑系が配置されている。肺と心臓は休みなく動き続ける重要器官なので肋骨で保護している。背中側に肩甲骨を配置し、そこに腕、肩などの筋肉を取り付けている。

解剖学的に見れば、内骨格と外骨格の関節は異なる。外骨格系は関節の中に様々なものを通すが、内骨格系では、筋肉は関節の周囲を通してゆく。

2018年3月25日日曜日

練習場より 2018.03.25号 - 真ん中

目標に対してスタンスをとるとき、どのように真ん中を決めているか。

ひとつ目は深く考えずに思うままに立つ。これは感性を信じるやり方であって、感覚が正しい限り、体の傾きや左右の偏りも含めた全ての中でのベストな中点を見つけるであろう。これは複数のベクトルを合成するような方法である。

飛行線に対して平行に立つことが正しいスタンスとは言い切れない。もし平行である事が正しいのであれば、目標とボールを結んだ線上に目標物を見つける。その二点と平行になるように立てばよい。この場合、感覚は必要ない。

だが、平行に立つ事が上体の並行を保証するわけではない。体の偏りを加味した上で真ん中に置こうとするなら、両側の筋肉の力加減も同等にすべきだろう。だが人間の体は左右でも偏りを持っているものである。

原理的には骨や筋肉などの固定物の重量、腸の中にある消化物の位置なども影響する。左右で骨の重量が全く同じとは言えないし、筋肉の左右で発達の度合いも異なる。それらが左右の偏りを生む。

人間の体は前後では対象ではない(内臓も含めれば左右でも対象ではない)から、偏りが出るのは当然である。すると主に前後左右で四分割してバランスを考える事ができるが、その全体のバランスをたった0.1秒の中で取る(スイングの開始から終了までの時間)など人間の随意筋では不可能だ(神経の伝達速度は0.01秒/mだがそれ以外が間に合わない)から、瞬間にバランスを取るというよりも、予めこうすると決めた経路に従って運動していると考える(反射的な微調整をしていないという意味ではない)。

つまり、予めスイングのプランは用意されているのである。

それでも両側にかかる緊張状態を同じに意識する事は、スイングの力を抜く事に結び付く。余計な力をかけないように意識できる。必要ない筋肉は力を抜いておく。必要な時にだけ動かす。働かない筋肉の緊張は解放しておくこと。

どこをどのように、+するか―するか。これは意識がする仕事ではない。意識にできるのはただ力を抜くことだけである。余計な仕事はしない。それを最も邪魔するのが意識である。

ゴルフスイングとは動かさない方がより動くという追求である。