2018年9月17日月曜日

練習場より 2018.09.17号 - 肋骨という三次元

一次元を生きるものは、線上を歩くのみである。その者が二次元以上の空間を想像することは可能だろうか。

直線上を生きる者は、直線上であれ、曲線上であれ、その次元内のすべてが直線として観察されるはずだ。そのため角度という概念を得ることは難しい。

しかし、一次元上で光を出せば、直線なら到達するが、曲線上ではなぜか光が届かない現象が観察されるはずである。それをどう解釈するかに苦労するであろう(光は縦波なので一次元には存在できないというのはここでは無視する)。

一次元の世界と二次元世界が交差しても一次元の者は何かが変化しているとしか認識できないはずである。三次元世界と交差した場合は、一次元の世界に、複数個所に同時に出現する変化として観測されるだろう。だがその同時出現性をどう考えるかはよく分からない。

二次元の世界に住む者は、三次元とどう考える事ができるだろうか。目の前で三次元世界が交差した場合、それはちょうど、MRIの画像のように次々と画像が切り替わってゆくように見える。

その画像が彼らの知らない方向(Z軸)に対して連続している事を発見すれば、彼らは三次元空間の入り口に立てる。だが、三次元を想像する事はできるだろうか。

一次元の者が角度を考える事は難しいように思われる。しかし、曲線があるならば、それを一次元の考えで理解する事ができる。曲線の存在は認知可能であって、それがより高次元との接点と考える事はできる。

二次元の者は角度を知っているので、もうひとつ別の角度があると考える事はそう難しくないように思われる。その角度が二次元X,Yではない方向、Zという方向を知る事はできないが、仮定する事はできるだろう。彼らは立体を組み立てる事は出来ないが、展開図を作る事は出来る。

それを組み立てたものがどういう形になるかを描く事はできるか、できないか。遠近法を二次元世界で見つける事はできるか、しかし、絵画で表現するものは二次元世界では生み出せそうである。

この話を先に進めれば、三次元空間に住む我々の世界に四次元空間が交差したらそれを観測する事は可能なはずだ。だが、それが四次元との交差であると気付く事ができるかは疑問である。四次元空間のみで観測される現象が何であるかを知らないからである。

更に上位次元の例えば五次元人から四次元空間について教えてもらった所で、どこまで理解できるものか。ただ何かがある事は認識できそうである。それを変数 x としてこの世界の中に持ち込むことは可能と思われる。それは一次元の数学でも同様ではないかと思うわけである。

というわけで、我々の体は三次元構造で出来ているが、これを無意識のうちに二次元として扱っていたとしても自然である。それが右の肩甲骨が体の中心へ引き寄せられる原因であると気付いた。

この左右のアンバランスさがコリの原因となるのは、体の中心がずれるためであって、昔から右を向くのはスムーズなのに左を向くのにはぎごちないのも同じ理由である。全体を制御するためにある部分を固定化する。

ある場所に支点を作れば、そこは動かなくなる。右の肩甲骨を中心によせて固定化すれば最初から右向きになる。そのため、右にはスムーズには動くが左には向きにくくなる。

二次元の面で全体を理解しようとすればそういう答えに辿り着くのも仕方がない。なぜ人間の体には肋骨が三次元空間を持つように存在するのか。胸骨が頑強に空洞を形成するのは、単に肺を守るためだけではない。

肋骨には上半身を制御する役割がある。腕も肩も頭も、謂わば肋骨の付属物である。その付属物にも重要な機能がある。もちろん、肺が潰れても心臓が潰れても頭が潰れても人は死ぬのであるから、重要度にそう大きな違いはない。

ただ、人間にとって大脳と手が(意識にとっては)重要すぎる、というだけの話である。

病は気からというが、全ての病気が気から起きるという意味ではない。うつ病でさえ脳の炎症であると言われる。だが、体の使い方に関して言えば、複雑すぎて何か一か所だけを意識してもうまく動かせるものではない。しかし、肋骨全体を意識して上半身を動かそうとすれば状況がかなり改善される。

これは意識というよりも無意識が、どこか一か所というよりも、全面的に、意識の刷新として起きるように感じる。

肋骨上に乗せた重心が安定すれば、クラブヘッドの動きをより意識した軌道や、腕の動き、特に右腕の二の腕の通り道をきちんと作る事ができるようになる。

この違いがスイングに影響しないはずがない。

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