2018年6月15日金曜日

練習場より 2018.06.15号 - 向きに従う

スタンスが真っ直ぐでも、トップを形づくれば、体は右側を向く。この右を向いた形を大切にする。

その位置から体を元の体勢に戻すのは簡単ではない。その位置に戻すという動きよりも、その形が持っている Smooth さを持ち込む方が良い。つまり体が最初の形通りの正面を向くことはトップからフィニッシュまでの間はないという事だ。もちろん、正面を刹那で通り過ぎる。時間を極限まで短くすれば何でも静止する。

トップで作られた向きを保ったままスイングを構成する。右腕が落ちる、右腕が十分な落下速度(重力による)になれば、スイングは邪魔されない。スイングとは、トップの後は役に立たなくなる右腕を如何に無力化するかという運動である。

トップの位置から体の向きを変える事は何の役にもたたない。それ所か、余計な力(ベクトル)を加えなければならず、バランスを崩す、必要な場所に力を振り向けられないなど、力の分散を生むだけで、役に立たない。スイングにおいて体を正面に向ける、左右に振るイメージは、何の役にも立たない。スイングが左から右に振られるのは結果であり、原因ではない。

向きに従うなら、右腕を降ろす事を意識さえしなくても、同期的に動く。たぶん、全体統合の不思議さである。

一部を修正するだけでは足りない。木を見るだけでは森を見ていない。だが森を見ても木は見ない人もいる。どちらを見ても、そこに住む虫たちには意識の行かない人もいる。

その一本の木を切り倒す事が、森にどのような影響を与えるか、前もって知る事は難しい。まして、一匹の蝶の羽ばたきが地球の反対側で嵐を起こすバタフライ効果のようなものだとすれば。

たった一筋の筋肉の動く、動かないでどれだけスイングが変わるなど人間に知れるはずもない。だから我々は統合的に理解するしかない。網羅することは最終的には不可能だ。

勝つための最善を求めるのではない。最高のパフォーマンスを追い求めている。ゴルフは結果は運に左右されるゲームだが、その極みに達したければ、完璧なスィングを身に着けなればならない。そうでなければ語ってはならぬ言葉だ。運とは。

ゴルフには、人間に達成できる精度では全てを制御できない、という前提がある。どれほど制御しても、自然の緻密さから見れば、人間はあまりにがさつで大雑把で乱暴で、出鱈目にしか見えない単位で実現しようとしているという事だ。

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