誰かが打った弾道を見る。球筋を見るという事がこんなにも大きな効用はもたらすとは。こう打てばいいんだ、というのを子供は自然と身に着ける。見る事でそれが当たり前になる。見ることで考えられなかった世界が広がる。子供のうちから触れた方がいい世界は確かにある。もちろん、それは囲碁だけではない。将棋も同じだ。
そういう自然と身に着くものがどういう所に表れるかと言えば、それは立ち振る舞いである。
立ち振る舞いを見ただけで出来るかどうかが分かる。上手に為ればなるほど、立ち振る舞いだけでどのような所にいるかも見抜くものであろう。逆に身に着いていない人というのは、仮に実力があるとしても何かが欠けている。ある意味、才能だけでやっているのであって、それはまた恐ろしい人なのである。そういう人は無意識にやっている可能性が高く、それを崩す方法は幾らでもあるとも思われる。
この立ち振る舞いの洗練さは見る時の指針になるだろう。そして人の立ち振る舞いは伝播するものらしい。良い人のも悪い人のも周りの人に伝播してゆく。
そういう前提に立てば下手と付き合うなと言うのは正しい。もちろんそういう付き合い方では脆くなる。下手を避けている人には下手を混ぜておけば勝手に自滅するのである。簡単に打ち崩す事ができるではないか。
自ら律すると言う言葉は己の立ち振る舞いが他の人に伝播するし、他の人からも伝播する。その事を昔の人は言ったのだろうし、それは今も同じ話である。突出した才能と才幹にだけ頼る無頼漢も魅力的だが、立ち振る舞いから身に着けてゆくのが上手への近道だと思う。
升田幸三が言った言葉があるじゃないか。
「わしはプロだよ。あんたは所詮アマだ。」
尾ひれ背びれとは言え小池重明は強かったのは間違いない。それはリーグ戦ではなく一発勝負の世界かも知れないが。
どうよ、立ち振る舞いのしっかりした正統派を、自己流の無頼派が破るのは其れはそれでロマンである。
- GOLF 2014.10.18-19 II - 真剣師の立ち振る舞い
- GOLF 2014.10.18-19号 - 上手
- GOLF 2014.09.06号 - 練習場の最低がコースの最高である。
- GOLF 2014.06.21号 - なぜ超えるのを恐れるのか
- 春ゴルフへの誘い - お誘いテンプレート
2014年10月19日日曜日
2014年10月18日土曜日
GOLF 2014.10.18-19号 - 上手
ゴルフに行ってきた。上手い人がいた。
上手とはどういう事か、が間近で見られたのは非常に幸運な体験だった。
気付きと言うものは、実際に見る迄は分からない。百聞は一見に如かずと言う。ゴルフであれば上手な人のプレイである。
何かが違う、それが何であるかを言葉にするのは難しい。ボールがまっすぐに飛ぶ、カップの近くに寄る、ミスをしても、それをいつの間にか取り返している。言葉にすると何と簡単だ。
何かがある。そこにはゴルフに対する執念があったり、取り組み方がプレイに現れる。立ち姿や待っている姿、構え、そういう姿勢に出る。言動ではない。
上手な人と一緒なら上手くなる。姿勢が乗り移るから。上手に真似たのだ。下手な人と一緒なら下手が移る。下手に真似たのだ。上手い、下手は自分だけでは済まない。
上達の極意は真似る事にある。これは上手い人に師事せよと言う意味である。
「僕はあの人に勝ちたい」。これがガンダムを成長物語にした。そういう気持ちは相手と対峙してみなければ分からないものである。それは戦ってみなければ分からないものである。
上手さとはスイングでもなければ、ボールの飛翔でもない。スコアである。もちろん、これはゴルフのひとつに過ぎない。スコアとは関係しないゴルフもある。
スコアになるゴルフの代表はプロである。しかし、プロはスコアになるゴルフを見せているのではない。プロはゴルフで魅了しなければならない。スコアは重要だがスコアが至上ではない。スコアだけを追及するゴルフはトップアマチュアの方であろうか。そのレベルを超えた人だけがプロへと進むのであろうか。そして、ゴルフの神様を100とすれば自分は4か5である、という話をするのだろうか。
100のうち1しか見えなくても、見えているものがあれば、それだけ上手くなる。何も見えていないのと比べれば遥かに有利だ。見えている事が、自分の中にある妄想であったり、漠然としたコンプレックスや、思い込みを吹き払う。開眼だ。
見えればある方向へとまっすぐに進む。見えていない人がうろうろしている横をはっきりとある方向へと歩いてゆく。そして自分の見えていない所で立ち止まり、そこでうろうろするのだ。
子供の自由な発想から学ぶと言う話をよく聞く。これは子供を褒めているのでない。自分を如何に高めるかという意識の人はあらゆる所から学ぼうとする。子供の中に何かを見つけた。それは子供も知らぬ事だろう。そういう人は可能なら路傍の石からさえ何かを学ぶ。
スコアと結び付くゴルフがあって、その上に理想のスイングを追究したり理想の弾道が存在する。ばらばらでは意味がない。スイングの探求とは意識の具現化である。自分の体の動きを制御する事でゴルフをしたい欲求がある。この意識化というものが、ゴルフとどう結びついてゆくかが課題である。これがゴルフに対する自分の野望らしい。
ゴルフを自分でコントロールする、安倍信三の言う所のアンダーコントロールを目指す。コントロールとは、理想を追う事でもなければ、無意識でやる事でもない。現状を認識し、状況を理解し、判断し、選択する。ここに対話がある。対話を通じて自分で決めてゆく。
上手い人のプレーを見た経験があれば、相談がより具体的に、冷静に、客観的に、見ることができる。それは比較するに足る比較対象があるからだ。強い人、上手い人とプレーした経験がレベルを上げる。それが自分をガラッと変える。何かにこだわってなどいられない。勝敗は明白である。スタイルも考え方も改めなければとても勝てない。
決断しないゴルフはしない。
上手とはどういう事か、が間近で見られたのは非常に幸運な体験だった。
気付きと言うものは、実際に見る迄は分からない。百聞は一見に如かずと言う。ゴルフであれば上手な人のプレイである。
何かが違う、それが何であるかを言葉にするのは難しい。ボールがまっすぐに飛ぶ、カップの近くに寄る、ミスをしても、それをいつの間にか取り返している。言葉にすると何と簡単だ。
何かがある。そこにはゴルフに対する執念があったり、取り組み方がプレイに現れる。立ち姿や待っている姿、構え、そういう姿勢に出る。言動ではない。
上手な人と一緒なら上手くなる。姿勢が乗り移るから。上手に真似たのだ。下手な人と一緒なら下手が移る。下手に真似たのだ。上手い、下手は自分だけでは済まない。
上達の極意は真似る事にある。これは上手い人に師事せよと言う意味である。
「僕はあの人に勝ちたい」。これがガンダムを成長物語にした。そういう気持ちは相手と対峙してみなければ分からないものである。それは戦ってみなければ分からないものである。
上手さとはスイングでもなければ、ボールの飛翔でもない。スコアである。もちろん、これはゴルフのひとつに過ぎない。スコアとは関係しないゴルフもある。
スコアになるゴルフの代表はプロである。しかし、プロはスコアになるゴルフを見せているのではない。プロはゴルフで魅了しなければならない。スコアは重要だがスコアが至上ではない。スコアだけを追及するゴルフはトップアマチュアの方であろうか。そのレベルを超えた人だけがプロへと進むのであろうか。そして、ゴルフの神様を100とすれば自分は4か5である、という話をするのだろうか。
100のうち1しか見えなくても、見えているものがあれば、それだけ上手くなる。何も見えていないのと比べれば遥かに有利だ。見えている事が、自分の中にある妄想であったり、漠然としたコンプレックスや、思い込みを吹き払う。開眼だ。
見えればある方向へとまっすぐに進む。見えていない人がうろうろしている横をはっきりとある方向へと歩いてゆく。そして自分の見えていない所で立ち止まり、そこでうろうろするのだ。
子供の自由な発想から学ぶと言う話をよく聞く。これは子供を褒めているのでない。自分を如何に高めるかという意識の人はあらゆる所から学ぼうとする。子供の中に何かを見つけた。それは子供も知らぬ事だろう。そういう人は可能なら路傍の石からさえ何かを学ぶ。
スコアと結び付くゴルフがあって、その上に理想のスイングを追究したり理想の弾道が存在する。ばらばらでは意味がない。スイングの探求とは意識の具現化である。自分の体の動きを制御する事でゴルフをしたい欲求がある。この意識化というものが、ゴルフとどう結びついてゆくかが課題である。これがゴルフに対する自分の野望らしい。
ゴルフを自分でコントロールする、安倍信三の言う所のアンダーコントロールを目指す。コントロールとは、理想を追う事でもなければ、無意識でやる事でもない。現状を認識し、状況を理解し、判断し、選択する。ここに対話がある。対話を通じて自分で決めてゆく。
上手い人のプレーを見た経験があれば、相談がより具体的に、冷静に、客観的に、見ることができる。それは比較するに足る比較対象があるからだ。強い人、上手い人とプレーした経験がレベルを上げる。それが自分をガラッと変える。何かにこだわってなどいられない。勝敗は明白である。スタイルも考え方も改めなければとても勝てない。
決断しないゴルフはしない。
2014年9月6日土曜日
GOLF 2014.09.06号 - 練習場の最低がコースの最高である。
練習場での最高のショットがコースで出る事はない。どちらかと言えば練習場のミスショットばかりである。
練習場の素晴らしいショットがコースでも出れば、結果はまるで違うものになるだろう。
何故こうも違うのか分からない。コンクリートの練習場と芝のコースでは地面からの反力が違う。これはアスファルトと砂浜を走る時の違いと同じかも知れない。また練習場とコースでは平らさと斜面の違いも考えられる。
練習場でやったことを再現しようとするが、どうも違う。練習場ではここまで酷いショットはなかったはずである。どうやら手首を曲げると肘も曲がっていたようだ。手首を曲げる事に意識が行って、腕を伸ばす感覚を失ったらしい。
この感覚のずれがなぜ起きるのか。時間も場所も気持ちも違う。練習場にはまっすぐな方向に向かってラインが引いてある。コースにはそれがない。コースには魔物が棲むと言われる。練習は人を裏切らないと言うがゴルフコースでは平気で裏切るのである。
恐らく芝なのだろう。芝の上で歩く事も動く事も練習する場所がない。コース以外に(公園はあるが)慣れる場所がない。
さてコースでは3オンを目指している。3オンと言う事は18ホールで18*3、合計54。パターは18*2=36、90が目指すスコアである。
だが実際はこのスコアにはならない。もっと悪いのである。バンカーに入れれば1打+、ラフや林に入れれば戻すために1打+である。距離が足りなければ1打+。これでは3オンなぞ未達必至である。
1打のミスを1打で取り戻せば0である。しかしそうはならない。1打のミスを取り戻すのに少なくとも1打+である。都合2打である。それで済めばスコアはそこまで悪くはならない。
何がスコアを悪くするかと言えば、ミスが多い事ではなく、ミスが続く事である。ひとつのミスが次のミスを呼び込んでいるに違いない。負の連鎖である。これが問題である。
ミスは無くならない。しかしミスをする事とミスが続く事はたいぶ景色が違う。これが由々しき事態である。ではどうすればミスを断ち切れるのだろうか。さらに言えばミスを失くす事がゴルフなのか。
精密機械と呼ばれる人が強いのは、どの業界でも同じである。ならば人間は将来にはコンピュータに駆逐されるのだろうか。
もちろんプロはそうであろう。しかしアマチュアは少々違うと考える。チャレンジして成功すべきがプロなら失敗はアマチュアの特権である。アマチュアは一位は駄目だが二位を狙うと言う考えはしなくてよい。オールオアナッシングで困らないのである。
ではこのミスはチャレンジした結果かと問えば違うのである。何んら難しい事をした訳ではない。困難なショットに挑んだ訳でもない。
普通に打って、普通にボールが曲がって、普通に林に飛んでゆき、フェアウエイに乗らず、グリーンに乗らず、普通にパターが外れたのである。
不思議である。どうしてこうも上手くないものか。集中力と言えばその通りだろう。緊張感がないと言えばその通りだろう。だとすればメリハリの付け方が下手なのだ。ずうっと漠然なのである。
オンオフの切り替えである。スイッチを入れると言うやつである。それでも次回もまた同様のミスをするだろう。そしてスコアも悪いだろう。僕は本当にゴルフを知らずにいる。果たしてそれはゴルフだけなのだろうか。
練習場の素晴らしいショットがコースでも出れば、結果はまるで違うものになるだろう。
何故こうも違うのか分からない。コンクリートの練習場と芝のコースでは地面からの反力が違う。これはアスファルトと砂浜を走る時の違いと同じかも知れない。また練習場とコースでは平らさと斜面の違いも考えられる。
練習場でやったことを再現しようとするが、どうも違う。練習場ではここまで酷いショットはなかったはずである。どうやら手首を曲げると肘も曲がっていたようだ。手首を曲げる事に意識が行って、腕を伸ばす感覚を失ったらしい。
この感覚のずれがなぜ起きるのか。時間も場所も気持ちも違う。練習場にはまっすぐな方向に向かってラインが引いてある。コースにはそれがない。コースには魔物が棲むと言われる。練習は人を裏切らないと言うがゴルフコースでは平気で裏切るのである。
恐らく芝なのだろう。芝の上で歩く事も動く事も練習する場所がない。コース以外に(公園はあるが)慣れる場所がない。
- コンクリートの固い床
- 平らな床
- クラブが滑る人工芝
- 打ち出す方向のライン
- 何度も打てる球数
さてコースでは3オンを目指している。3オンと言う事は18ホールで18*3、合計54。パターは18*2=36、90が目指すスコアである。
だが実際はこのスコアにはならない。もっと悪いのである。バンカーに入れれば1打+、ラフや林に入れれば戻すために1打+である。距離が足りなければ1打+。これでは3オンなぞ未達必至である。
1打のミスを1打で取り戻せば0である。しかしそうはならない。1打のミスを取り戻すのに少なくとも1打+である。都合2打である。それで済めばスコアはそこまで悪くはならない。
何がスコアを悪くするかと言えば、ミスが多い事ではなく、ミスが続く事である。ひとつのミスが次のミスを呼び込んでいるに違いない。負の連鎖である。これが問題である。
ミスは無くならない。しかしミスをする事とミスが続く事はたいぶ景色が違う。これが由々しき事態である。ではどうすればミスを断ち切れるのだろうか。さらに言えばミスを失くす事がゴルフなのか。
精密機械と呼ばれる人が強いのは、どの業界でも同じである。ならば人間は将来にはコンピュータに駆逐されるのだろうか。
もちろんプロはそうであろう。しかしアマチュアは少々違うと考える。チャレンジして成功すべきがプロなら失敗はアマチュアの特権である。アマチュアは一位は駄目だが二位を狙うと言う考えはしなくてよい。オールオアナッシングで困らないのである。
ではこのミスはチャレンジした結果かと問えば違うのである。何んら難しい事をした訳ではない。困難なショットに挑んだ訳でもない。
普通に打って、普通にボールが曲がって、普通に林に飛んでゆき、フェアウエイに乗らず、グリーンに乗らず、普通にパターが外れたのである。
不思議である。どうしてこうも上手くないものか。集中力と言えばその通りだろう。緊張感がないと言えばその通りだろう。だとすればメリハリの付け方が下手なのだ。ずうっと漠然なのである。
オンオフの切り替えである。スイッチを入れると言うやつである。それでも次回もまた同様のミスをするだろう。そしてスコアも悪いだろう。僕は本当にゴルフを知らずにいる。果たしてそれはゴルフだけなのだろうか。
2014年6月21日土曜日
GOLF 2014.06.21号 - なぜ超えるのを恐れるのか
さて下手である。スコアが伸びない。まるでゴルフ下手である。
原因が分からない。後から振り返れば、まるでその通りである。全ての失敗は妥当であり、実力通りであり、後悔するものではない。
このスコアから伸びる気がしない。そうやって自分を許容している。分からないのだからどうしようもない。
ゴルフとは意識化するスポーツである。意識せずに何かをする事はない。
しかし人間は意識だけの存在ではないから、ゴルフ中にも当然、無意識が表出する。(人間が意識だけの固まりではない証拠として、食べたものを排泄するまでのプロセスを意識だけでは出来ない事が挙げられる。それを脳と腸は協調して行っている事からも意識と無意識の関係付けは明らかである)。
僕のゴルフ脳は丸で低能である。意識はダブルボギーで良しとする戦略しか組んでいないのである。失敗の数は雑多で多い。
ゴルフで悪いのは失敗ではない。問題なのは失敗が続く事だ。しかもその失敗が恐らく毎度同じなのだから、意識は失敗している事にも気付いていないと思われる。
問題は、では何が、という研究にある。そして研究の結果、ひとつだけ改善の余地に気付いた。
アプローチである。これが常に、必ず、絶対と言っていい程、弱いのである。恐らく一打から二打で済む所を二打から四打にしているのである。その理由は簡単で、アプローチが弱いのである。狙った半分にしかボールを運べていないのである。
これはとてもよくある話だ。どこかでホームランを打った時の記憶が鮮明に残っているのである。その時の恐怖がアプローチを弱めさせている。あの時にどれ程の力で打ったのかの記憶も既に残っていないくせに。
これはある意味、脳の働きのくせであろう。印象が残るとは、脳内のニューロンが結ばれてしまったという事だ。その神経回路がいつも刺激してくる。新しく結ばれたニューロンは簡単には切れないのである。PTSD もそういうものだろうか。
強い刺激であればあるほど、それは長く残り強烈なバイアスとして働きかけてくる。それが無意識からアプローチの度にもっと弱く打てと命令してくる。
この無意識からの命令は、同じ失敗をさせない重要な働きである。強く打って失敗したなら、次は弱くすれば同じ失敗はしない。
所が問題なのは、僕の意識と無意識は、弱く打って距離が足りなかったケースを失敗と認識していないのである。打ち過ぎたものより刺激として弱い。だから距離が足りなかった失敗を無意識は失敗と認識していない。
無意識は否定を受け入れない。強く打ち過ぎてしまったを無意識は受け入れるが、弱く打ってはならないは、弱く打つと無意識は理解する。弱めではダメ、ではなく、強く打てと意識する必要がある。
強く打ってグリーンを超えてしまった失敗は強烈に脳内に回路を作るのに、ちょろったり半分しか打てなかった失敗は脳内に回路を作らない。これは意識が打ち過ぎは失敗だが、弱いショットは失敗と認識していないからだ。
ゴルフはカップを超えてはならないというゲームではないのに。何故超えたものは失敗で超えていないものは失敗ではないのか。超えたら引き返さなければならない、しかし超えていないのなら、方向を変えれば辿り着けると、こう盲信しているのか。
こうして強く打っては駄目という無意識のみが残り、もっと強く打たねばならないという無意識は作られない。無意識はもっと弱く打てと働きかけるがもっと強く打てとは働きかけてこない。これでは何時まで経っても距離は調節されない。
自分の中で、ホームランする一打とチョロる一打の重みが全く違っていたわけだ。
原因が分からない。後から振り返れば、まるでその通りである。全ての失敗は妥当であり、実力通りであり、後悔するものではない。
このスコアから伸びる気がしない。そうやって自分を許容している。分からないのだからどうしようもない。
ゴルフとは意識化するスポーツである。意識せずに何かをする事はない。
しかし人間は意識だけの存在ではないから、ゴルフ中にも当然、無意識が表出する。(人間が意識だけの固まりではない証拠として、食べたものを排泄するまでのプロセスを意識だけでは出来ない事が挙げられる。それを脳と腸は協調して行っている事からも意識と無意識の関係付けは明らかである)。
僕のゴルフ脳は丸で低能である。意識はダブルボギーで良しとする戦略しか組んでいないのである。失敗の数は雑多で多い。
ゴルフで悪いのは失敗ではない。問題なのは失敗が続く事だ。しかもその失敗が恐らく毎度同じなのだから、意識は失敗している事にも気付いていないと思われる。
問題は、では何が、という研究にある。そして研究の結果、ひとつだけ改善の余地に気付いた。
アプローチである。これが常に、必ず、絶対と言っていい程、弱いのである。恐らく一打から二打で済む所を二打から四打にしているのである。その理由は簡単で、アプローチが弱いのである。狙った半分にしかボールを運べていないのである。
これはとてもよくある話だ。どこかでホームランを打った時の記憶が鮮明に残っているのである。その時の恐怖がアプローチを弱めさせている。あの時にどれ程の力で打ったのかの記憶も既に残っていないくせに。
これはある意味、脳の働きのくせであろう。印象が残るとは、脳内のニューロンが結ばれてしまったという事だ。その神経回路がいつも刺激してくる。新しく結ばれたニューロンは簡単には切れないのである。PTSD もそういうものだろうか。
強い刺激であればあるほど、それは長く残り強烈なバイアスとして働きかけてくる。それが無意識からアプローチの度にもっと弱く打てと命令してくる。
この無意識からの命令は、同じ失敗をさせない重要な働きである。強く打って失敗したなら、次は弱くすれば同じ失敗はしない。
所が問題なのは、僕の意識と無意識は、弱く打って距離が足りなかったケースを失敗と認識していないのである。打ち過ぎたものより刺激として弱い。だから距離が足りなかった失敗を無意識は失敗と認識していない。
無意識は否定を受け入れない。強く打ち過ぎてしまったを無意識は受け入れるが、弱く打ってはならないは、弱く打つと無意識は理解する。弱めではダメ、ではなく、強く打てと意識する必要がある。
強く打ってグリーンを超えてしまった失敗は強烈に脳内に回路を作るのに、ちょろったり半分しか打てなかった失敗は脳内に回路を作らない。これは意識が打ち過ぎは失敗だが、弱いショットは失敗と認識していないからだ。
ゴルフはカップを超えてはならないというゲームではないのに。何故超えたものは失敗で超えていないものは失敗ではないのか。超えたら引き返さなければならない、しかし超えていないのなら、方向を変えれば辿り着けると、こう盲信しているのか。
こうして強く打っては駄目という無意識のみが残り、もっと強く打たねばならないという無意識は作られない。無意識はもっと弱く打てと働きかけるがもっと強く打てとは働きかけてこない。これでは何時まで経っても距離は調節されない。
自分の中で、ホームランする一打とチョロる一打の重みが全く違っていたわけだ。
2014年4月5日土曜日
春ゴルフへの誘い - お誘いテンプレート
雪の降る長く冷たい冬が終わればもう春ですね。
さて、4月です。今年の春がまた来ました。
桜が少しで咲き始めています。
もちろん、だからゴルフなのです。
古人 は、この頃を啓蟄と呼びました。
春の蠢動とともに、桜開のもと。
ゴルフをするのです。
恋だの愛だの領土だの論文など馬鹿にかまけている場合ではないのです。
今年の開催は桜の開花頃を予定しております。
ホウライから案内も届きました。
6月頃には行くのはどうですか?
皆様のご都合をお聞かせください。
敬具
さて、4月です。今年の春がまた来ました。
桜が少しで咲き始めています。
もちろん、だからゴルフなのです。
春の蠢動とともに、桜開のもと。
ゴルフをするのです。
恋だの愛だの領土だの論文など馬鹿にかまけている場合ではないのです。
今年の開催は桜の開花頃を予定しております。
ホウライから案内も届きました。
6月頃には行くのはどうですか?
皆様のご都合をお聞かせください。
敬具
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