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2010年10月23日土曜日

GOLF 2010/10/23 - 水木しげる

水木しげるさんは、南方の戦場で腕を失うほどの大変な苦労をされた。そこで多くの戦友とも辛い別れをしただろう。現地の優しい人達の看病で無事に帰国することもできたが、そこは辛い思い出の地でもあったろう。後年、そこを訪れた水木さんはどう思ったか。

亡くなった戦友たちの事を思って塞ぎこむかと思えばそんなことはないんです。違うんです、笑ってしまうんです、もう愉快になってきて笑いが止まらんのですよ。生き残ったというだけで愉快でたまらんという気持ちになるもんなんです。

たしか、そんな話を読んだ記憶がある。

Golfも同じだ。

すぐそばで友人がチョロったりミスったりしたらどう思うか?可哀そうで同情してしまい僕も落ち込むと思いますか?もうね、愉快になってきて笑いが止まらんのですよ。のらくろが言っていましたね、「ああ、愉快、愉快」、そのセリフがぴったりなんですよ。


さて、そんな自分たちのゴルフで、相手のミスに本気の雄叫びをあげ、ミスしませんように、成功しますように、と祈るようなGolfをする日が来るとは思いもしなかった。

僕の目標は90台前半、これを達成したかったが少し苦しそう、だけど90台は固い。前半が終わって4人の合計が200ジャスト、残りもこの調子なら4人で400を切るという目標が達成できそうだ。400切りはいつもいっしょに周る4人の共通の目標であった。全員で400以内のスコアにしながらも、各々、相手には勝ちたい、という面白い話になってきた。大叩きはするな、しかし、俺よりも少し悪いスコアでいてくれ、という訳だ。

後半も順調に進んで6ホールが終わって+2、他のみんなも調子がいい。このまま行けばハーフ40も切れるし、全員で400切りも達成できそうだ、と思っていた。

そう思っていたのだ、残り3ホールをダブルボギー、ボギー、ダブルボギーで終わらなければ。結局あと1打が足りなかった。たったの一打である。これは誰か一人の責任にしてよい話ではなく、全員に問題があるのだ。誰か一人が空振りをしなかったりパットを成功させていれば達成できたのだから。

またKのスコア計算が非常に精度が悪いことがわかってきた。どうも老齢により、加減算というよりも計算式の立て方そのものが怪しいのだ。だから彼のアドバイスに従ってここはダボでも十分だよというのを聞いていると、後で計算してみると想定とは違ったスコアになる。

とりあえず自分としては、
・私のゴルフクラブには私の100%のスイングを受け止める能力はない
・スィングの基本は手首の固定にある

この二つを忠実に守ろうと最後まで努力したし実現もした。その点はスコアも内容も満足している。ただ、笑いのこみあげてこない、全員でスクラムを組むようなゴルフも楽しいもんだという事を初めて知った一日であった。

One for all, All for one.

2010年9月30日木曜日

GOLF 2010/09/30 - ホウライよ、汝の敵は、ゴルフなり

もうあれから数日経っているのに、僕は練習場に通い続け、目の前には、木々の群れ立つ林がある。左側には池があり、右にフェアウェイをおき、目の前は枯れかけた芝生が拡がっている。その奥に見えるのは、フラッグ揺らめくグリーンだ。

あれだけ人を不快にさせておきながら、2万もの大金をむしり取るとは、許せぬ。

ホウライよ。汝の敵はゴルファーと知れ。いつか征服した暁には、燃やし尽くしちゃる。

スィングがなんだ、気持ちの持ち方がなんだ。そんなものを弾き、跳ね返し、打ちのめし、地べたに屈服だ。芝生と傾斜だけの存在のくせに、とんでもないことしてくれやがる。

攻略?

攻略することに価値があるんじゃない、屈服させなければ許しやしない。正面から、中央の芯を打ち破らなければ、どうして立ち直れようか。

スィングを磨くか、メンタルを鍛えるか、体力を付けるか。それがなんだ、そんな練習して打ち勝った所で何になろう。なろう、なろう、あすなろうなんかじゃないんだ。あのコースに潜む魔物を、それを隠している、芝生を、林を、丘陵を、池を、枯葉を、砂を、風を、空を、全てを白日のもとに晒し、打ちのめしてやる。

ホウライこそは許さん、決して許さん、必ず許さん。


「希望の橋は地獄へと続く、絶望の橋は家路へと続く。」


利根川橋を越えてホウライへと向かった、利根川橋を渡り家路についた。次こそは、絶望に落ち込まぬ、せめて、悔しいとか、惜しいとか、その辺りで・・・

2010年7月10日土曜日

GOLF 2010/07/10 - 筑波国際 - パタリロ

golfに行ってきました。

天気はかなり良くて汗をかきながらのプレイ。でも、時折の風が涼しかった。

このゴルフ場は、アップダウンがあり平坦な位置からのショットもあれば、右足上がり、下がりのショットも体験できる。次のショットのために、今のこのボールをどう打つかは考えなければならない。

R&A(Royal and Ancient Golf Club of St Andrews)のルールに抵触し強制的に支払うだけがペナルティではない。自発的に一打を損しなければならない。自ら進んで払うペナルティとしての一打は、実に貴重だ。

ライが悪いから、これをペナルティとしてどの方向に打つか、このままグリーンを狙うのか、それともライの良い場所を探すのか。次に打つライを探し回る、というのがもしかしたらゴルフの本道かもしれない。


今回はアイアンの改善が体感できてよい内容だった。勿論スコアは悪いしパターやドライバーはえばれたものではないんだが。それでも最重要課題であるアイアンのその方向性については改善できた。Best ではないが Better であった。

最悪なスコアでもゴルフをする。OBとウォーターハザードなら池を、池とバンカーならバンカーを。悪い選択肢の中から Best を choice してゆく。

さて、練習場ではボールの正確性とミスヒットにおけるぶれの小ささを目指した。アイアンは正確に飛ぶ事、ミスしてもその被害が小さい事、この二つが目標である。

ミスヒットしても方向が正しく、距離が少しだけ短かったり長かったりするのなら許せる。方向が明後日ではこれは救いようがない、どうしようもない、打つ前から対策ひとつ打てない。

勿論、距離も方向もどちらも Best なのが理想だが、ミスから逃れられないのであれば、方向が正しく距離でミスする方が許容できる。

ピッチで正確性を出すためのコツは、なるべくスタンスで腰を高くする、ということにある。ボールに近く立ち、垂直鉛直線に近い軌道になる方がスィングが縦振りとなりぶれが小さく抑えられる。シャフトが短いのだからボールに近づくのは当たり前だが姿勢を低くしないよう注意も肝要だ。


スコアは重要だ。だが、スコアだけではない。同伴者に勝つ。それも、圧倒的に勝つ。相手の最高の GOLF に勝つ。そのためには、スィングの時に近くに立ったり、話かけたり、自分の前のホールのスコア申告が違うんでないかと喋り続けてきたとしても、勝つ。

私は勝つ。相手に地団駄踏ませて勝つ!相手の最高の斜め上を行く。そうでなくてはならない。そういう心構えで勝つ。なんとしても勝つ。

そう、僕はパタリロになりたいのだ。

2010年6月12日土曜日

GOLF 2010/06/12 - 筑波国際CM


(ボールを)打ちっぱなし、
(ティーを)差しっぱなし、
(フェースを)開きっぱなし、
(相手の意見に)流されっぱなし

小さなようで大きな話
シャンクばかしじゃスコアも悲しい

ぱなしはなしって話です



というわけで、前回よりもさらに悪いスコア。
パーの数は増えたがバーディの数は減り。

Kにパットのコツを習い気に入った。

コツンといういい音をさせなさい。
振り切りなさい。

という教えだ。これはいい。

だが、スコアは標準偏差がひどい事になっている。パーの値を0として、二乗平均平方根を取ってみると、標準偏差が求まるはずだが、これを計算したらひどいばらつきになるだろう。

sqrt( (x-par)^2 + ..... )


さて、スィングする時というのは、関数 f(x) に似ている。方向と距離、バンカーや風などの状況を入力したら、後はスィングのみに集中しなけらばならない。

集中とは新しいパラメータを受け付けない、という事だ。これは、集中している時は無防備であるワープ前のヤマトと同じである。だが、それで本当によいのか、という疑問はあるだろう。

実行を開始すれば終了するまで応答を返さず反応もなくなる同期関数よりも、常に現在の状況を監視でき必要ならキャンセルする事もできる非同期呼び出しの方がより良いではないか、は当然の疑問だ。

そこで、ゴルフのスィング中に変更を加える事が可能であるかを考えてみよう。スィングスピード 40m/秒。時速にして 144 km/h。スィングに必要な時間はスィングの孤の長さを 3m(打球に当たるまで)とし 40m/s が 1m の移動に要する時間は 25ミリ秒、速度 0 km/h からの加速を考慮し 150ミリ秒 で 3m 移動するとしよう。

人間の神経の反応は、神経の伝達速度に依存するから Aα線維の速度が 120m/秒(120cm/1ミリ秒)、体の中を入力、反応、出力に必要な伝達距離を 1.5m としても 10ミリ秒 もあれば 1反応できそうだ。しかし実際に測定してみると1回の反応に 100 - 200ミリ秒 程度らしい。

詰まり、反応速度が 200ミリ秒では、1回のスイングの途中で反応するのに間に合わない。反応できるとしても、打ち始めのわずかな瞬間だけである。

これらの時間計算から、ゴルフのショットではスィングを行っている間に新しい情報を入れる必要はない、という結論に達する。理由は入れてもフィードバックする時間的余裕がないから。

集中力は、情報に臨機応変に反応し続けるとともに、情報をシャットアウトする能力でもあるわけだ。要は集中して打ったのなら後悔も少ないはずだろう?という話になる。

こうなるとあらかじめ入力する値が必要なわけで、スィングすると決める前に必要な情報は収集しておけ、という当然の帰結に至る訳です。
It is no use crying over split milk.
and, do my best next time.

2010年5月15日土曜日

GOLF 2010/05/15 - 筑波国際ヤシマ作戦

「7番アイアンを持っているじゃないか。」
「ドライバー…。どこ狙えっていっているんですか、こんなところで。」
「それはこっちのせりふだよ。どこに打とうといっているんだ、7番アイアンで。」
「僕は、僕はもうドライバーを持たないって決めたから…そう決めたから…」

「そうか…ティ区域外が公になったんでね。フェアウェイに俺の居場所はなくなったんだ。以来ここでパター練習している。」
「こんな時にですか?」
「こんな時だからだよ。チップインもいいが、やはり最後はパターで決めたいからね。」
「最後…」
「そうだ。ティ区域の外にティを立てれば、人は全て2ペナルティするといわれている。R&Aゴルフルールで。それを止められるのは、ティ区域からショットできるドライバーだけだ。」

「スプーン!?ティも立てずに!」
「自爆する気!?」
「スプーン!」
「トップ、全開…」
「う、ぐっ!」
「ボールは…」
「スプーンっ!」

ズドーーン!

「何てこと…」

「ドライバー、俺はここでパット練習することしかできない。だが、君には君にしかできない、君にならできることがあるはずだ。誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ。自分が今、何をすべきなのか。ま、後悔のないようにな。」

「バンカーに、直撃!」
「パーオン、融解!」
「まずい、トリプルボギーが丸見えだわ!」
「ドライバーはまだなの?」
「ティー、拒絶。」
「だめです、ボールがもうありません!」

「続けて。次の方から打ってください~。」
「打たせてください!僕を、僕をこのドライバーで打たせてください!キャディさん…」

「なぜここにいる。」

「僕は…僕はウッド初号機のパイロット、アマチュアゴルファーです!」


というわけでゴルフに行ってきた。ゴルフってのは、なんとも難しいものでまた駄作なスコアを作ってしまった。

スィングは前よりもずっとよくなっていて、幾つかは今の自分としては完璧なものを打つ事ができた。それがスコアに結びつかないのは、それより多くのミスをしているからである。

ショットのミスは、本当はどこかで取り返さないといけない(リカバリ)。その取り返し方には色々な方法がある。が、それについてはまたの機会に考えるとして今回の反省すべきはショットが上手くいかない理由である。

今回のコースは、山あり谷ありのコースで前足上がりだのつま先あがりだのそういう難しさがあった。しかし、それだけではない。自分の心持に反省がある。

最終ホールにてスコアに期待するものはないし、最後のホールだから好きなように打ってみよう。オーバーしようが、スライスしようが構わないや。納得のいくショットになればいいや、と打ってみたらこれが上手くいって2オンしてイーグルトライだ。

このイーグルチャンスはトライしたが失敗しバーディで終わったがとっても清々しい爽快感で終わった。この結果はショットが2回連続して満足いくものが打てそれがスコアになったのだ。

ゴルフのスイングは、結果によって成功かどうかが決まる。幾ら気持ちよく振れてもボールが明後日の方向に飛ぶなら、ミスをしたのだ。狙った方向に思った距離だけ飛んだのならそのスィングは成功したのだ。

この最後のコースで初めて知ったのだ。僕のそれまでのショットは「自分から遠慮して打っているショットだった」という事を。

何かに遠慮して打っているショット、というのは飛びすぎないで欲しいとか、失敗しないで欲しいとか、そういう否定的な願いで出来ているんだろう。何かに遠慮している、その何かを問題にしているのではない。遠慮していては、よい結果は残せない。踏み込め、ぎりぎりまで。

自信などと言うあやふやなものを持てという事ではない。自信と言うものは誰にも実は正体なんかないもので自信があるように見えるのは、ただ見えているだけの事なのだ。

もし自信があるというなら、それは、どこまで踏み込んでいいかを知っている、それより先に行ってはいけない場所を知っている、でなければならない。

ここまでなら安全、その先は危険、だから何処からどう引き返せばいいかを知っている、それを自信という。それが、根拠のない思い込みであっても自信と言う。だから自身の正体は知識なのだ。

では、遠慮しないとは何か、それは相手の懐まで踏み込む事であり、ゴルフのショットならば、打つ方向、距離を決めたならスィングだけをする、だと思う。

何かに、誰かに遠慮して考えることやめない限り、それは遠慮している状態と言える。自信を持つ必要はない、自信など知らないなら知らないでもいい。だが、遠慮はするな。

恐らく気付けば何かに遠慮している自分がいる。ずうっと考え続け悩んでいる自分がいる、それを止めなさい。それに気付いたら、ただ遠慮せずに打てとだけ言い聞かせたい。