2017年11月23日木曜日

練習場より 2017.11.23号 - 足の杭

腕の力はできるだけ抜いてスイングする。

力をどこで発揮させるか。腹筋。特に左側を意識する。

すると体の軸は左右にほとんと動かず腕だけが稼働する感じのスイングになる。

だが、バランスが悪いらしく、右足が大きく後ろに引かれるようになった。

フィニッシュ時に体が倒れそうになるくらいにバランスが崩れる。これにも何らかの原因があるはずだ。

ある時、もっと、左から引っ張られる様な感じで打ってみた。悪くない。だがどうしてかそう感じるかは分からない。

しかし、その感じを続けていると、両足の荷重方向に気が付いた。

両足からどの方向に向かって力を掛けているか。

足の裏から10cm程度の杭、ペグのようなものが飛び出ている。それをスタンスのどの方向に打ち込むか。

まっすぐ下に垂直に落とす人もいれば、前から後ろにする人もいるだろう。

自分の場合は、後ろから前方向打ち込むように立てばよい事に気が付いた。

その時のバランスは左右1:1。

そうやってしっかりと両足荷重のバランスにしておく。

これがよいスイングを生むらしい。少なくとも、右足を大きく引くことはなくなった。

2017年10月18日水曜日

練習場より 2017.10.18号 - 腹筋

姿勢はスイングに通ず。昔の剣豪たちは、自分の筋肉一本一本までも意識した最も理想的な動かし方を見出していたであろう。それは歩くときの姿勢さえ変えるものであったろう。剣聖を言われる人たちは、相手のたった一歩の歩きを見ただけでも、その剣の腕前を見抜いたと思われる。

しかしわたしは辛いのだ。姿勢がよくなってなんになろ。この肩こりが解消されるわけじゃなし。というわけで良い姿勢は肩こりを雲消霧散するはずである、と信じている。最近ではスイングの練習と肩こりの軽減は同じ意味になっている。

さて、なにもかも姿勢である。須らく姿勢を研究すべしである。上体は体の下体で支える。それは体の4方を取り巻く筋肉が担う。外腹斜筋、腹直筋、脊柱起立筋、広背筋などの役割である。

背骨が直立を支える基本である。バランスよく骨に乗っているなら、筋肉はなんら働く必要はない。だがバランスをとるためには様々な筋肉が動員される。腹筋で土台を支える。体の内側にある横隔膜や大腰筋も支える。大小さまざまな筋肉が体を動かすのに参加している。

だから、肩こりや背中痛が起きるのは、1か所に負荷が集中しているからであろう。長時間、その負荷にさらされているからであろう。

筋肉の収縮、または伸長状態が長時間続く事が肩こりの原因だとすれば、これらの筋肉は随意筋でありながら、意識では完全に緊張状態を抜くことができないという話になる。

これは筋肉への電気信号を完全に意識で止めることはできない、という意味になる。これは考えれば当然の話であって、もし全て筋肉を意識によって動かさなければならないとしたら、人はただの一歩でさえも前に進むことはできないであろう。

つまり我々が意識をもって体を動かすとは、その下で無意識で動く無数の筋肉によって行っているという事だ。意識は無意識を間借りしているに過ぎない。ベースは無意識が動かしている。動かし続けている。その動きを意識は邪魔できない。意識はただ、その無意識に対して、割り込んでいるだけである。それは無意識に対して発注しているに過ぎない。それを自分の手柄と感じているあたり、意識は度し難いのである。よって運動とは無意識という制限が掛かっているものであり、その制限の範囲にのみ自由がある。この体は、我々の意識が所有しているのではないのだ。

そうはいってもゴルフと肩こりは切実な問題である。この体が我々の自由にはならないとしても、問題は解決しなければならない。

スイングは前傾姿勢で行うから、スイングの基本動力は腹筋である。トップの位置から、まず右の腹筋が収縮する。これで体全体は左に向かう力を得るから、腕は無力のままクラブを動かす。意識は腕に力を掛けなくても無意識がちゃんとやってくれるはずだ。サイコキネシスではないが、体というものは動けと念じるだけで勝手に動くものである。

トップで右側の腕があがるので、側筋も伸びた状態である。これをもとの縮まった状態に戻す。これをしないと、腕の軌道は安定しない。スイングのパワーの中心は腹筋にある。それを両足は下から支え、大地との接点が重力とその反力を与える。無意識は力を与える担当だから、意識がバランスを担当する事になる。バランスが崩れるとスイングは安定しない。

下半身がパワーを与える。上半身はそれらの力を受けて最速で移動すればよい。最速で動かすのに力は不要なのだ。軽ければ軽いほどよい。

これらはすべて日ごろの姿勢の応用である。

2017年9月10日日曜日

練習場より 2017.09.11号 - 右肘痛

右肘が痛い。これは関節におかしな方向の力を与えたためだろう。無理なスイングは体を痛める。

だから痛くないようにスイングするのは理に適っている。痛くない時は、少なくとも無理な力が掛かっていない。

筋肉や関節は様々な運動を可能とするが、最大のパフォーマンスを得られる向きと、可動するが伝達効率は落ちる向きがある。どの方向が最大のパフォーマンスを発揮するのか。これを意識が知ることは難しい。

だから、いろいろと試してみるしかない。それを脳は見つけ出すだろう。だが、脳が把握する事と、理性や意識がそれを完全に把握する事は一致しない。

人間の意識は体の筋線維の一本一本までを理解するようには出来ていない。それは脳の仕事である。脳は筋線維の一本一本に神経を這わせ、電気信号で制御することを行っている。

例えば、どれを口にいれても安全であるかを意識は知っているが、口にいれたとたん、どう消化すればいいかを理性は知らない。それを脳は勝手にやるように出来ている。もし消化腺のひとつひとつを意識してコントロールするなら、人はあっという間に餓死するか、自分自身を消化してしまうだろう。

これを脳の自動化と呼んでも良いものか。見方を変えれば意識こそが生命の補助機関であって、生命にとって意識は必須ではないのかも知れない。それを人間だけが逆だと信じ込んでいるのかも知れない。

いずれにしろ、試行錯誤とは様々な向きを試す事であって、全く同じことをただ繰り返すだけでは試行錯誤にならない。少しずつ変えながら物理的特性を発見してゆく方法である。この総当たりとも言える方法が基本だが、もっと効率よく戦略したいならば、論理的に攻めたい。

だが、身体に関しては誰に対しても通用する論理性はないだろう。個々人の違いが余りに大きいからである。痛みはひとつの効率化の指針になる。

トップの時、右膝は、外側を向く。これは自然な動きであるが、スイングの時まで、右膝が外側を向いているようでは最高のパフォーマンスを発揮できない。だからと言って、インパクトまでに右膝が閉じるよう意識しても上手くいかない。なぜならそんなやり方ではタイミングが一致しないからだ。

そこで意識すべきなのは、右の腹斜筋である。そこが動く事と右膝の動きは連動しているように思えるし、その後の右腕と左腕の動きも連動するように感じる。

この連動の中で、左腕のトップへの軌跡を意識することが、スイング経路の探索には役立つようである。スイングは通った道をそのまま戻るような機械的な動きではないと思える。戻りの経路を意識すべきである。

スイングは腕に何の力も入れない方がよい。入れたつもりはなくても、自然と力は入っているものである。そこは自然に任せるのがよい。その力は最低限がよい。だからと言って、最低限を下回るまで力を抜くのも良くない。上下に閾値があってその範疇に入るようにするのが良さそうだ。そのためには意識して制御するよりも、自然に任せる方が基本的には良い。

いずれにしても意識が役に立つのはトップまで、そこでイメージを完成させる。そのための時間を作るまでが意識にできる事である。そのイメージも意識が作るのではない。どちらかといえば脳が発見するのを待つ受動的な働きだ。意識には待つことしかできない。意識はともて受動な働きだ。意識的な行動というものを僕は誤解していた。

2017年7月16日日曜日

練習場より 2017.07.16号 - 左と右の交互性

背中が痛い。特に左側の肩甲骨周りが張っている。これは姿勢のバランスが悪いせいだ。右と左のどちらかに重心が偏っているのが原因だと思う。

この偏りはスイングにも影響するはずで、よく使う側を中心にスイングをしているに違いない。左なら左中心で、右なら右中心で。そう自然に任せるのではなく、トップを作るまでは左側を、それからトップで右に意識して切り替えるのではないか。

「小説で弓を扱いたい方」のための弓道講座(阿井上夫) - カクヨム

によれば弓道には「早気はやけ」という病があるそうである。打ち急ぎとでも呼べばよいだろうか。弓道には「中るまで離すな」という格言があるそうで、指から矢が離れた時には既に当たっているべきなのである。

あらゆる諸条件を満たせば、その先は予測可能である。運命論というべきか、引かれたレールの上を走る電車のように、決定論的な世界である。今の行動が未来を制する。因果応報でさえ決定論的である。飛んで行くボールの未来はかなりの高確率で計算可能である。

こういう格言は謂わば古典物理学に準ずる。この因果律が20世紀の物理学によって圧倒的な正確さで破壊されてしまった。それは存在論を哲学から物理学の議論に変えた。もっとも根底にあるものさえ疑わなければ物理学は先に進めない。神がサイコロを振るとしたら我々はこの世界をどう理解すればいいのか。

量子力学には確率が入ってくるので従来の考えは通用しない。量子で弓道をしたら「中るまで離すな」という格言は意味を持たないはずである。所が、現実世界では量子で弓道をする施設があって、そこには継矢しか狙っていない連中がたくさんいるのである。

強力な磁力を使って軌道を制御する CERN などの加速器がそれで、そう考えると、命中させるのが上手い名人なんてのがそこにも居そうである。計算に納得するまでスイッチは押すな、とかの格言があるかも知れない。

いずれにしろゴルフは古典力学の世界である。なぜかは知らないが現実はニュートン力学だけで十分な世界である。当たるまで打つな、は成立する。

弾道が見えてくるまで打つな、になるだろうか。しかし、ゴルフは自然の中でするスポーツである。思った通りの軌道を飛んだとしても、いきなり風が吹くかもしれない、周辺より湿度の高い空気の層があるかも知れない。落ちた場所がどうなっているかなど見通せるものではない。悪くなる理由は幾らでもある。更には、人間の都合もある。昨日まで出来ていた事が今日は出来なくなる。怪我をする。タイガーウッズを見ていれば分かることである。

プロと呼ばれる人は、そもそも選択肢が少ないのではないだろうか。アマチュアや素人がどこを見てよいか分からない時に、プロはある場所を見つめている。我々は分からないから、あちこち全部を見ようとする。またはどこも見ていない。

全てを考えるのは物理的にも能力的にも不可能であることくらい、素人が考えても分かるので、全てを知ってプレイするなど誰にも出来ない。重要な情報は入手しなければゴルフにはならないだろうが、情報の多さだけで決定的に有利になる話でもない。

考えなければならないが、考えた所で意味がないかも知れないし、考えない方がよいかも知れない。

未来のコンピュータは力業で全てを読めるようになっているかも知れないし、小難しい計算をするのに対数を利用する必要もなくなるかも知れない。だが我々の脳がそのような能力を獲得する将来はない。

だから、人間には選択肢を正しく少なくする能力が必要になる。ここに個性が出る。可能性のある選択肢の全てに取り組む余裕はない。だから選択肢を選ぶためには、出来るだけ選択肢を少なくするしかない。

アマチュアは余りに多くの選択肢の前で立ちすくんでしまうか、たったひとつしか選択肢が用意できない。

選択肢を用意する能力を鍛える。幾つかの選択肢が目の前にある。選択肢に見落としはないか。どこまで選択肢を狭めるのが適切か。そういう訓練が必要かも知れない。無理にでも捻りだせ。選択肢が少ないとき、人は鈍するものである。

2017年7月9日日曜日

練習場より 2017.07.09号 - 小胸筋

人は円運動のモデルとしては、真っ先に太陽系をイメージする。量子力学の天才たちも当初は電子の軌道を太陽系のような軌道と見ていたのだから、これは仕方のない話である。

だからゴルフスイングにおいても、太陽という恒星の周りを天体が回るように、クラブという天体が体幹という太陽の周りを回っていると考えるのが適切である。と考えるのに不都合はない。

だが、実際のスイングではスイングの中心が体幹の中にあるとは限らない。スタンスや上半身の角度にもよるが、重心は、体とクラブの間に位置しているように感じられる。これをモデル化するならば、連星に例えるべきだろう。体幹という主星、クラブという伴星というモデルである。

いずれにしろ、スイングの軌道は天体の動きほどきれいな楕円軌道ではない。関節が様々なベクトルを与える。それぞれの駆動域が少しのタイミングのずれで角度や方向を大きく変える。それが全体の運動にも大きな影響を与えるのである。

その中のひとつかも知れないが、右の小胸筋が重要でないかと思う。この筋肉が開いているか、または閉じているかでスイングは大きく変わる。フィニッシュの形ではこの筋肉は閉じているが、ではどこで閉じているのか。逆の言い方をすれば、いつまで開いておくべきか。

スイングが右から左への移動である以上、右胸は開かれ、背中は縮まった形から始まる。この時 小胸筋は開いている。次に、右腕が下に降り、左肩は右から左に動く。この時 小胸筋はすぐに閉じるのではなく、ある程度は開いた形を維持しているようだ。そう思った。

2017年6月29日木曜日

練習場より 2017.06.29号 - 後ろから押す力

人が歩く時は重力を利用する。歩くとは自らを倒すことと倒れないようにすることの連続である。それはちょうど、投げたボールに十分な速度があれば地球の周りを一周して後ろから帰ってくるように、月が常に地球に向かって落ち続けているように。

ではなぜ月は地球に落ちてこないのか、月は地球の周囲を楕円軌道に回っている。この公転速度が十分にあるから、地球に落ちる前に一周して戻ってこられるのである。

さてすると、月が遠ざかっているという話に疑問がつく。重力で結びついている二つの間で離れるのはどうしてだろうか。物理学者は地球の自転速度が下がっているため、月は遠ざかっていると語る。

自転速度が下がるのは潮汐バルジのためである。月の潮汐力により地球と月を結ぶ側の海面は上昇している(大潮はこれに太陽の潮汐力も加わったもの)。海面の上昇している部分は、重力の影響を受けて形を変えるまでに時間が必要なため、月との鉛直方向より遅れた場所に形成される。0時に月が頂点にあるとき、その場所が満潮を迎えるのは3~4時間後である。これは数時間 自転した場所に満潮ができるという事である。




このずれが地球の自転方向の前にできるため、月は地球の自転を後ろに引っ張る方向で働いている。これが地球の自転が遅れる理由になる。地球の自転が遅れる方向に引っ張られているという事は、月は速度を上げる方向に引っ張られているという事になる。地球の自転の遅れと月の公転が早くなるのは同じ話である。

重力の影響から人間も無縁で居られない。歩くときも前に向かって倒れる力が働いている。月風に言えば、地球に向かって落ちているのと同じ力である。ただ落ちる前に人間は足を前に出す。だから地面に倒れるまえに先に進むことができる。

さて、ここでふたつの考えが生まれる。即ち 前に倒れる方法には二つある。一つは簡単に考えて、体を前に倒すようにすることで前に進む力を得る。前に進む力と下に倒れる力が体の前方に発生している。前に倒れる力で体を前に移動する。




もうひとつの方法は、背骨を後ろに下げて、後ろから押すような力を骨盤に発生させる。これは上半身の重さを骨盤に与えると、角度によって前に押すような力が発生する。後ろから骨盤を押すような感じだ。




ゴルフスイングでもこの違いが影響しないはずがない。つまり 上半身を後ろにのけぞる様にする。前かがみのスイングでは力を発揮できない。

トップの形を作ったとき、両足がいくら水平に構えていても、骨盤は右を向く。上半身はもっと右を向いている。体の線は全体的に右を向いている。

このバランスの時に重心はどうあるべきか。スイングは一般的に右に重心があるほうがよい。しかし、右を向いている時に、右足に重心が乗り過ぎているとスライスになるようだ。これは、右足から左足に体重が移動する動きがそのままスライスを生む軌跡となるからだろう。

とすると、体重は右足に残したままでも良いのではないか。トップで斜め右を向く方が力はよく発揮される。少なくともその方が打ちやすく感じる。だた打ちやすく打っているとスライスが多発する。その理由が右足から左足に体重が移動するからではなか。なにやら解決の糸口が見つかった気分だ。




2017年6月11日日曜日

練習場より 2017.06.11号 - 区間

さてさて、スイングで最も重要な区間について考える。右肩から左肩まで、ほぼ360度の回転をするクラブで、どの区間を重要と考えるか。

そこで思うのだが、体の前、右足から左足の区間である、という考えに行き着いた。クラブがこの間を通過する瞬間をスイングと呼ぶのではないか。

ではそこを最も重要と考えるならば、準備はその前に終わっていると考えるのが、人間の妥当的な論理構造である。メッセージ(Story of Your Life)ではあるまいし、文法の構造上、全てを一度に把握できてしまう、みたいな論理は荒唐無稽なのである。量子コンピュータが並列的に一瞬で暗号を解くという話もあるが、ゴルフにそれを応用するには荷が重い。

我々の論理には帰結というものがあって、すると始まりから帰結に向かって辿るか、逆に帰結から始まりに向かって遡るしか手に負えないという話である。一瞬で全体を理解できるなど、脳の深層心理か、天才の御業である。そのような論理的構造、道筋を歩く以上、出発点があって到達点がある、始まりがあって終わりがある、入力があって出力がある、原因があって結果がある、目的があって手段が生まれる。それを因果関係と呼んでいる。

スイングでは「左腕」の動きも重要だが、クラブの動きを鑑みるとき、「左手」の重要性も無視できない。左手の動きは、スイングの準備から参加する。クラブがスイング中にどのように向きを変えるかを考えると、当然ながら複合的なベクトルの合算である。腰の向き、体幹の向き、上半身の向き、下半身の向き、肩の開き、腕の位置が複合するので人間に意識できるのはごくわずかである。

その中で、左手の向き(手の甲の向きでもよい)を意識する。左腕のスムーズさは、左手の甲がどのような向きを取りながら動くかという話と近似する。だが、左手の角度を意識するのではなく、クラブの向きと左手の向きは同じであり、左手の動きはそのままグリップの動きと同値である。するとグリップの動きを意識することで、シャフトのしなりや、ボールに中っての跳ね返りなどが手元で感じることができる。

まぁ、言葉ではうまく言えないのだけれど、トップ位置からの左手の動きが大切、を意識した、それだけのこと。That’s it.

2017年6月3日土曜日

GOLF 2017/06/03 - パターの振り幅

まぁまぁの結果である。ミスはあっても、それがきちんと感覚として残っていて、あれが悪いから、ここがまずいから、これはこうあるべき、こうなれば良くなるはず、失敗が自分にフィードバックできていて、そんなに気分は悪くなかった。

もちろん、人間というものは、自分自身を納得させたい生き物だし、その為なら、記憶そのものを作り替えることもある。自分自身に嘘をつくなど容易い。納得できる理由があれば、正しいかろうが間違っていようが関係しないのである。納得できることが真実。事実だけでは心は官能しないのである。

それでも、完全ではない、と意識しながらプレーできたのは良かった。それを今ここで完成させるのは難しいという事さえ十分に理解できていた。それは今後の課題であっていま対応する事ではない。ボールはよく右に飛んだが、修正できないまでも、なぜそうなるかは何となく把握できていた。それを練習場での課題とすればいい、と割り切る事もできた。割り切ることは精神の上でも好ましい。

それにしても、スコアとスイングの間には何も関係していないのではないか。2、3オンしても、3パットすれば、スコアは簡単に崩壊する。パッティングに問題があることは織り込み済みなので、それ以上を期待するわけではない。パットが狙って入るくらいなら、もっと違う攻め方がある。

それでも、パットについては少し分かった気がした。それが今回の最大の収穫である。今まで振りすぎだった。パターは、もっと短い距離で振る方がいい。それに気付いたのは、練習グリーンで打ってた時だ。両足の範囲を振り幅にすると方向性が非常に良かったのである。

これまでパターを振りすぎていた。振る距離が長くなれば、その分、安定性は欠けるはずで、長く走れば、方向性がズレるのは仕方がない。速度が緩くなれば更に安定性は欠けるはずだ。これは物理的現象ではない。ゆっくり振る方が筋肉の介在が増加するために起きる生理的現象だ。

疲れてくると体は自然に崩れる。その時、自分の姿勢がどうなっているかが分かる。自分のどこが弱いか、左右のバランスがどうなっているか。真っ直ぐに立っているつもりが、全然そんな事はない。普段からどれだけむりやり真っ直ぐにしていたのかが歩けば分かる。大きく左に傾いていた。

こうしてゴルフは次第に姿勢と同じ意味になってゆく。普段の体の使い方がそのままスイングに投影されるのがゴルフだから、日常生活からよい体の使い方をしなくちゃいけない。

2017年6月1日木曜日

練習場より 2017.06.01号 - 肩甲骨

スイングにとって肩甲骨は大切。肩甲骨は背中で動く骨であり、骨が動くならば、筋肉はその影響を受ける。筋肉は縮む事しかできないから、元に戻るためには、反対側を引くしかない。相対したふたつの紐が伸び縮みして関節になる。

『ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学 - 本川 達雄』によれば、骨盤が背骨に強固につながっていて、肩甲骨が自由に動くのには理由がある。脊椎と骨盤が離れていたら謂わば紐で繋げたような形だから、足の蹴る力が上半身に伝わらない。

一般的に四つ足であれば、後ろ足で地面を蹴ると、その力が体を押す。足が骨盤を押して、その力が前に伝わる事で移動する。その力が効率良く伝わるためには背骨と骨盤は固く繋がっておく方がいい。そうしないと力が分散して逃げてしまうからである。

筋肉は引っ張る事で力を発揮する。足が地面を蹴るためには、膝が後ろから前に動く必要がある。後ろから地面を手繰り寄せ、次に押しだすというふたつの力のかけ方がある。これは前後の移動する運動を地面を蹴る力として伝えている。この地面に与えた力に対する反力(垂直抗力)によって体は前に進む。そうなるのは地球が圧倒的に重いからである。

一方で前足は、方向を自由自在に決めるためには自由である必要がある。前足で移動する方法に匍匐前進があるが、この時も、腕を使って前から後ろに地面を蹴る。この時、肩関節で体を前に進めているのではない。どちらかといえば、上半身で下半身を引きずっているが、どちらかといえば、蠕動運動に近いだろう。

肩甲骨には多くの筋肉が繋がっている。右から左へスイングする時、肩甲骨もその動きに従って移動するのは確かだろう。その時、肩甲骨の稼働を超えて移動することは不可能だから、肩甲骨の移動とスイングの移動は連動している。よってスイングをスムーズにするには肩甲骨もスムーズに動かなければならない。と考えるのは妥当だ。

トップの位置に移動する。肩の筋肉が動き、右の肩甲骨は外側に開いた感じになり、左の肩甲骨は前側に出るような位置に置かれる。

右の肩甲骨は外側に開くように位置づいているから、これが前に曲がるように出るのがスイングの初動で起きる事である。この前に出るという動きは自然と体を左向きに動かす。

左の肩甲骨は前に出ながら、右に位置づいている。左の肩甲骨は少しだけ右に移動し、次に右側に向かって動く。この移動範囲がスイングの幅と等しいはずである。

この時、体を開くと力が逃げてしまうはずだ。体全体が前に向こうとする力(体の左側に開こうとする力)が発生しているので、それを開放してしまうと利用されないままである。

これらの動きで重要となるのが背骨の移動であって、背骨はなるべく左右に動かない方が良い様である。背骨が移動すると、さまざまな場所が緩んだり、締まったりするため、影響範囲が大きすぎ、全体のバランスが複雑なのだ。

いずれにしろ、こういう動きはスムーズに、そしてささやかに行われるもので、意識してそれを強化するようなものではない。そのように動く事が相応しいが、それを更に早く強くやればスイングが強化されるわけではない。

そのような軌道やタイミングがある、という話と、その力がどのように発生し伝わっているかはまた別の話である。どちらにせよ、肩甲骨はとても重要な入口にあるという気がしている。

2017年5月21日日曜日

練習場より 2017.05.21号 - トップを支えるのは右腕である

トップの構えをする。その時にクラブを支えるのはどこか、という話。

左腕は右に回しているので下からクラブを支える事は難しい。となると、残るのは右腕しかなく、肘を曲げた形で下からクラブを支えているのは間違いない。つまり、クラブの位置エネルギーを保存しているのは右腕である。

ここから位置エネルギーを開放してクラブに運動を行わせるのだが、この時、何が重要と言って、右腕の存在である。それまで止めていたものが動き出す以上、いつまでも止まろうとする力は解除しておかなければならない。右肘が曲がったままでは、ひょっとすると肘を曲げる筋肉はずうっと緊張状態にあるかも知れない。筋肉の慣性というものがあってそれは無視できない現象である。

ここからまっすぐにするためには、少なくとも筋肉の緊張は解いておく必要がある。ただし無力にしておくことと、積極的に伸ばそうとするのは違う話であって、右ひじを伸ばそうとするのなら、これは曲げるのとは反対側の筋肉を収縮させている。

意識してまっすぐのにするのは多分正しくない。右腕を伸ばすというよりも、曲げているのを止めるだけで宜しい。

トップからスイングに切り替わるとき、右腕の緊張状態をほどく。力を0にする。この力を抜くという所作がとても大切。もちろん、力を抜いたからと言ってだらりとクラブが下がってくるようではいけない。死んでいるのではないのだから。

気付かないだけで力は掛かっているのである。だが意識としては0。次の動作を邪魔するような形で緊張しっぱなしにはなってはいけない。

そのうえで、スイングは上下方向の運動であるという事。左右の移動ではない。クラブが下に向かう以上、反力は上にくる。この上にくる力にきちんと対応できるスタンスでなければいけない。多く、これを左右の回転として処理するからスイングは間違っているのだと思う。上に向かう力を支える体勢というものがある。左右ではない。このような物理的な要請が体の姿勢を制限してくるという考え方である。

制限というより、強要と言った方が正しいかも知れない。この力学が求めるものに対して、水が容器の中で自由に形を変えられるように、我々の肉体はこれに答える能力を持っている。

2017年4月16日日曜日

練習場より 2017.04.16号 - かっこいいスイング

ゴルフバーに行ってきた。最近のそれはスイング動画も見せてくれる。すると自分が思い描いているイメージと実際のそれが全く違う事に気づく。自分のフィーリングに対する不信感を思い知らされるわけである。

何より、その動画に写っている自分の姿はブサイクである。だから分かったのだが、カッコいいかどうかはスイングにおける最重要課題である。プロゴルファのスイングはかっこいいか惚れるかは別にして、少なくともみっともないものはない。さずがはプロである。プロとは人に見せる/魅せるものを提供する人たちの事だ。

さて、自分の映像を見ればもう穴の中に駝鳥の顔をうずめたい気分である。だが、よくよく見るとふたつの大きな欠点に気付く。ひとつはトップで右に体が寄り過ぎている。

これは重心の移動を利用しようとしているのだが、もちろん、プロのスイングを見ればわかるが、重心を移動する必要はない。体はほぼ真っ直ぐな状態で良いのである。つまりトップで右に動かし過ぎ。

大きく動けば、膝の曲がりも大きくなる。右膝が大きく前に出て、左膝が伸びた形になる。これを元に戻すのは非常に困難なはずだ。トップはゆっくりと形作れば良いが、スイングはわずか0コンマ数秒という瞬間で終わる。

その次に。フィニッシュがいただけない。もうぐるりと体ごと回転している。これはスイングがオーバー過ぎるというよりも、クラブの軌道が水平すぎるのである。大きく軌道を作ろうとする気持ちは分かるが、それが水平すぎて、フィニッシュは体ごと左に捻るしかなくなっている。

そうするのではなくて、背骨の真っ直ぐさを変えない事。そうしておけば、顔の位置も残る。これが重要だろうと思った。顔の位置を真っ直ぐにすると、ゴルフクラブはスタンスの位置では辛うじて見えていても、すぐに視界から外れる。クラブを見る事なくスイングするという感じ。

とにかくかっこいいスイングを求める。そのための撮影だ。。。

2017年4月9日日曜日

練習場より 2017.04.09号 - われらクラブの奴隷なり

きよみちゃんは舐められるのが好きだとして、あかねちゃんも同じとは限らない。クラブだって同じである。それぞれが違う。

ならば、クラブが異なればスイングも変わるのが道理のはずである。スイングにも同じ部分があるのは、スイングをする体が同じと言うだけである。

スイングの同じ部分は体に属するパラメータの話だし、違うのはクラブやアンジュレーションのパラメータである。それらを統合するのが物理法則と言う事になる。

いずれにしろ、ゴルフクラブが位置エネルギーを獲得してどのように運動を始めるか、と言うのは、大まかに捉えればトップとフィニッシュの間をどのように結ぶかというイマジネーションの領域であり、それをクリエイティビティと呼ぶ。

力んでいてもスイングはできない、と得心するには長い時間が必要だった。力む方が力を与えられると考えるのも、力を与えた方がボールが飛ぶと考えるのも、根拠のない思い込みというよりも、ほとんど科学的な洗脳に近かった気がする。

実際には、力んでもクラブを動かすことはできない事に注目すべきだ。クラブを動かすには、筋肉の収縮が必要である。それも瞬間的でなければならない。速筋で瞬間的にパワーを与えるべきで遅筋の参加する余地はない。

なぜならゴルフクラブの速度が速すぎて速筋であれ、遅筋であれ追いつける速度ではないからである。力むとは力を与え続けようとする行為だが、もちろん、120kmの速度で動いているものに50kmの力を与えようとしてもクラブと体は繋がっているので減速に働く。よってクラブは一瞬で飛ばす。その後にだらだらと力を加えても邪魔にしかならない。

力の前に、例えばドライバーでも、クラブヘッドがどのように動くかが重要である。軌道がダメなら、どんな力を与えても最高のパフォーマンスは発揮できない。力んでクラブヘッドを加速しようとするよりもずっと重要である。

スイングはクラブが行う。よって運動の主体はクラブのはずだ。トップの位置では、このクラブがどのように動くかをイメージする。どのように力を与えようかと考える必要はない。

クラブがどう動くかが見えてくれば、体がそれに勝手に合わせると思う。これと逆の道はない。体がこう動くから、クラブはそれに従うという考えはダメだと思う。クラブがこう動くから体はこう動くことになる。脳も体もゴルフでは主人公ではないのだ。

よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたくたたず。徒然草第二百二十九。

よく切れる刀だから良いのではない。刀が仕事をする。刀を使っているのではない。刀に使われているのである。自分が仕えるのによくあった切れ味と言うものがある。

そのクラブによくあった振りがある。クラブの動きを自分の思い通りに出来るなどない。それは自分の思い通りにクラブが動いたのではない。クラブの動きにあうように自分が沿えたのである。

練習場より 2017.03.20 - 視界

・魚の背骨しか見たことないから、なんとなくまっすぐという気がしている。
・背骨の付き方というものは、主に魚でしか見ないものだから、だいたいまっすぐだと思っていたりする。それはロボットアニメの骨格もそうなっているし、人型ロボットでも同様である。

という思い込みは理科室で人体模型を見た程度では、置き換わらないのであって、そのために、体の構造について間違った思い込みをしている可能性が高い。

首といえば、肩から上の細い所だと思っている。だが背骨の湾曲を見る限り、頸部湾曲、胸部湾曲、腰部湾曲と3か所で曲がっており、Wを横に回転させたような形になっている。

この湾曲がクッションの役割をすることは明らかであって、それが脳の揺れを軽減するのも当然といえる。もし湾曲がなければ、ちょっと飛ぶだけで脳震盪を起こすかも知れない。

そしてそれが意味するところは、首や肩という別け方とは違った体の分類を生むと思われるのである。

つまり首はどこからどこまでかを把握するときに、
  1. 外から見たフォルムで判断する
  2. 筋肉の構造から判断する
  3. 背骨の機能から判断する

と考えられる。

そういう形状を踏まえれば、湾曲している場所で支えているというより、三極の付け根で支えていると考える方が合理的だと思う。すると背骨でまっすぐになっているのは、腰のくびれ当たりと、胸の真ん中あたりになる。

つまり、首というものは骨的に見れば、肩甲骨の下あたりから始まり、その上を指すだあろうと思ったりもするのである。

すると普段、首と呼んでる部分は上半分だけだと考えるとわかりやすい。肩と首で十字の形になっていて、それが体幹の上に乗っているという感じである。

という話はあまりスイングとは関係ない。スイングするとき、不安であるがゆえに、グリップを視界の中に収めておきたいと思うらしい。だが、これがスイングには悪いようで、グリップは視界の外を軌道するべきものらしいのである。

そうすることで初めてスイングに意識が行くようになった。目に見えないのだから、グリップもクラブのスイングも想像するしかない。つまり、体全体で感じる感覚をもとに、こうなっているという認識する状態である。これが意識するのとまったく違う感覚であるという事に気付いた。認識と意識はどうやら全く違う働きであるようだ。

視界に入ってこないようにするためには、スタンスも見直すほうがよいようだ。前屈みにならないような体制のほうがよい。イメージとしては背骨の湾曲とは逆の方向、二十六夜とか有明の月のように逆三日月のように胸を張った感じのほうがいいようだ。

そうすると、太った人ならお腹にグリップが隠れるような感じになるだろう。そこから視界の外をトップ位置まで登る。そこから、まず降りるという形が大切なようだ。

左腕がスムーズに動くためには、円運動ではダメなはずだ。まず下に大きくおりて、そこから加速するための弧を描くようなイメージだろうか。とにかくグリップが視界の中にいないわけで、目視確認などできるはずもない。

おそらく上から下、下から上という軌道をずぬっと降りぬくのは人間技ではない。たぶん物理学的にも間違えている。静止したところから加速によって速度がまし、加速をやめ停止に至る。その運動と、体の動きとがマッチしなければならない。

それぞれのタイミングで最適であろう方が望ましい。そのような軌道を見つけるのに、視界という考えを導入したわけだ。


2017年2月26日日曜日

練習場より 2017.02.26号 - 肩甲骨の下

人間の体は昆虫ではないから、頭、胸、腹の3つに分割できる様には出来ていない。だからといって、別けて考えるのは人間の、言語を獲得した生命の宿命だから、腹、肩、頭と考えるのは致し方ない。その構造はアニメーションにおけるロボットのデザインを見れば自然と分かろうものである。

だから肩を動かすとは、体の横にある関節を動かす事だと思ってしまう。肩といえば、首から肩にかけてのラインの事だと思い込んでいる。人間においては自分の体でさえ意識から吹っ飛んでいる部分が沢山ある。そういう所は意識的には当然使われないのであるが、下手をすると無意識化でも使われていないのではないか、という話である。

肩を動かすのに、自分が肩だと思う場所の筋肉だけを使おうとする。これは主として回旋筋腱板の事である。これは肩甲骨の上側を主に支える筋肉であるが、これと僧帽筋を主に使っているようである。

しかし、肩を動かすのをそれだけに頼るのは間違いである。もちろん、無意識においてもっと多くの筋肉が動員されている。愚かな首長にはその下で働く人々のことが想像できないようなものである。

肩を動かす時には、肩甲骨で動かすのが大切なようである。そして肩甲骨を動かすには、下から上に押し上げるように使うもののようだ。

肩と背中の間に、肩甲骨のラインがあると捉える。肩でも背中でもない区分がある。この部分を使って肩を動かす。今までの感覚よりも10cmくらい下を意識する。

肩を動かすには、肩甲骨の下側のラインを中心にするようである。この違いがスイングに影響するのは了然かと思われる。

左肩がよく動くようになると次に重心の位置が気になり始める。どこに重心があるのが最も違和感がないか。それを突き進めてゆくと、次第に「仕事をするのはクラブである」という現前たる事実を体感できるようになる(認識は誰でもできる)。

スポーツが物理学を超えられない以上、クラブが仕事をするのは当然の帰結である。するとスイングとはそれを支えるためだけにある。力んだ所で物理学的に効果がないのなら意味はない。クラブがどうスムーズに動くかを考える。それがもっとも良い仕事をするだろうと考えるからである。ゴルフは、間接的にしかボールを扱えないスポーツなのだ。

軍の最高司令官が一歩下がった所から色々と指示を出すように、クラブに対して間接的にしか働きかけられない。電磁気学的に言えば、ボールが飛ぶまでにどれだけのゲージ粒子が作用しているかという話である。人間の筋肉はそれらの運動からは極めて遠い所にある。

人間がボールを扱う時、それが将来どこに移動するかという予測は欠かせない。予測なしで臨機応変に反射だけで反応するのは困難である。その限界は直ぐに来る。

これは、嵌め手を使われて、何も知らない者が、いとも簡単にやられてしまうのと似ている。強いから間違わないのではない。知っているから間違わないのである。故に強いものは多く知っている者である。

それが本当の強さかと言うと微妙であって、互いに知らない時に強い事と、知っているから強い事の差は大きい。強さも、分析してゆけば様々なパターンが見出せる。まるで素粒子の振る舞いが、古典的な物理学では記述できないのと似ている。だが最終的に戦争が総合力の戦いであるのと同様に、勝負事も勝ったものが強いのである。それは総合力に帰結するはずである。

この世界は3次元のベクトルと時間に置き換えて語る事ができる。しかし、ベクトルは方向と距離であり、距離(距離=時間×速度)は、時間によって(時間=距離/速度)置き換え可能であるから、時空は4つの方向と時間で表記可能なはずである。しかし、最後の時間だけは、方向が想像できない。天動説で一番外側に何も見えないが時間という天体が移動していると考えた古代人のセンスには感動する。

空間の中に時間を加える事とはどういう事だろうか。空間は時間方向に移動しているはずだ。3次元という船が時間という海を航海しているようなイメージだ。船の中の時間は、海の時間とは別の進み方をする。というような話だろうか。

だからどうしたと言う話だが、もちろんゴルフとはあまり関係ない。つまり少しはある。

2017年2月19日日曜日

練習場より 2017.02.19号

最初に言っておく事として、人は思ったよりも自分の体を上手には使えていない、というのがある。自然が生み出した機構は基礎設計が良過ぎるので、許容範囲が極めて広いのである。それ以外は許さないというのがとても少ない。

A がダメなら B、B でダメなら C。ドワンゴが見せた身体障碍者の歩行と同じであって、少々ダメになっても何とかできるように作られているのである。その可能性が生存に役立つというのが進化における基本戦略であろう。

だから、なぜ人間の体にはこれだけも多くの関節(200)と筋肉(600)が付いているのか、と問えば、様々な働きを可能とするためだけではとても足りなくて、ロバストネスの向上を獲得するためという理由が必要である。

ひとつふたつ壊れたくらいで機能しなくなるようではこの世界を生き抜くことなど出来なかったのであろう。

ゴルフスイングも同じである。誰もが自分のスイングを持っているが、それを許容するだけの構造が人間の基本設計にはあるから可能なのである。

自分の欠点が漸く分かり始めた。左肩である。左肩を後ろに下げる動作が上手くいってない事が緩徐にだが分かってきた。それがスイングの全体に影響する。

左肩をフィニッシュ方向に向ける動作が緩慢だから、スイングの軌道を邪魔する。行き所のない力はなんとか、別の経路を通ろうとする。堤に当たった川が流れを変えるように。もっと早く動かそうとしても、逃がす力が増加するだけの話である。

力が増えた分、それを受け止めるために他の場所も動員する必要がある。堤防を巨大にするのと同じだ。その限界はすぐにバランスの崩れとして意識されるだろう。なんとかそれを修正しようとするが、問題が解決したわけではないから、バランスが崩れる場所を別の場所に移しただけで解決した気になる。

本質が変わらなければ、迂回するか回避するしかない。輪廻とはそういうものだろう。永劫に続くならば行き詰まるのは目に見えている。たくさんの問題をいっぺんに解決できる方法がより正しい解決法に違いない。

左肩を下げるのが下手である、と気づいて思い出した事がある。そう謂えば、バイクでも左ターンが苦手であった。スノーボードも左右で曲がりやすさが違っていた。何故か。

肩がいつまでも前に残っているので体の向きが変えにくいわけだ。だから十分に重心の移動もできないし、スムーズさにも欠ける。次の動作に移るのも遅延する。遅延すれば無理に急ぎ、バランスはそのうち崩れる。

これはゴルフスイングも同様に起きるであろう?

肩を後ろに回すというのは腕を後ろに回す所作であるが、その方法は幾つもあって唯ひとつではない。だからこれまでも不便とも思わず出来ていたのである。自分なりの方法で。

それを改善しようという話である。きちんとした(本質的にそんなものはないのだが)使い方を模索するのも悪くない。

広背筋を使えば肘が下を通って後ろで上がるように動く。回旋筋腱板だけを使うから前とら後を直線的に移動する。違うのは肘の軌道である。

前から後ろに直線的に移動すれば肘は脇を開けたまま動く。脇を閉じて後ろに動かせば肘は下から上へと向かうように動くはずである。ゴルフではこちらのほうがいい。これは回転域の広さがもたらす違いであろう。

だから、腕を後ろに回すには、腕を斜めの軌道で動かすのが良いと思った。

どの動かし方が正しいかではなく、どちらがより多くの問題を解決するか、という話である。肩の引き方を見直すだけで色々な点が変わりそうである。スムーズさがフォームの全体に影響しているのが分かる。

肘を引くように動かしていたのも、左肩がいつまでの居座るから窮余の策として起きていた現象なのだ。これを何回繰り返しても改善することはない。肩が引けないのを肩を回すだけで対処しても他のどこかに負担がかかる。それがまた別の問題を生み、また別の改善策を探そうとする。

ずうっと解決策にはならない解決が堂々巡りしている。探しても答えが見つからない。見つかったと思ったらそれは違っていた。まるで青い鳥のようである。問題は輪廻転生している。だから釈迦は解脱を示したのだろうし、僕は肩の引き方を変えたのである。

果たしてこれが青い鳥であろうか。

2017年1月29日日曜日

練習場より 2017.01.29号 - 鎖骨を広げる

姿勢が変われば、スイングも変わる。そう思っている。達人は、その人の立ち姿を見ただけで、体の使い方の細かさや癖まで分かってしまうだろうと思う。

さて、人間には600程度の筋肉がある。それはすべて脳が制御するわけだが、当然ながら、そのひとつひとつを意識して動かしているわけではない。全てを意識して動かすとすれば、さっき食べたケンタッキーでさえ、無事消化して排出することは出来ないだろう。

人間は生まれてから随意によって動きを覚える。その時、どのように感覚すればどう動くかを覚えてゆくのだが、当然だが、筋線維の一本一本を意識していては、とてもではないが生き残ってこれなかったはずだ。ライオンから走って逃げることさえ出来ない。

無意識にできるまで反復練習するのもそのせいである。逆に言えば、これは意識してしまうと上手に動かせなくなることを示唆している。

一方で、肩こりであるとか、足のこりなどがある以上、いつくかの筋肉は緊張しっぱなしの状態になっており、それを意識して解除できない状態にあることも容易に想像できる。

これらの事から、筋肉を動かすにしても、意識して緊張させるにしても、脳が他の筋肉も付随させて自動的に動かしていることは確からしい。この無意識が追加する働きによって、はじめて体は動きを体得する。

と言うことは、人によって、筋肉の使い方がそれぞれ違うのは当たり前の事であるように思われる。同じ足を上げる動作にしても、どの筋肉がどれくらい使われているかは、万別ぞれぞれの個性である。

その筋肉の使われ方の違いは、当然ながら結果にも直結するはずである。生まれながらに運動神経が良い人やセンスがある人というのは、自然と上手に筋肉が使えているのかも知れない。

どのような使い方がどのスポーツに有利かはもちろん、幅があって、これが唯一正しいという事はないだろう。それでも、それよりはこちらの方がより良い、というのはあると思う。

というわけで鎖骨である。鎖骨を少し広げることが大切ではないか、と思うようになってきた。鎖骨を閉じるとは腕を前に出した状態で、鎖骨を開くとは、腕を後ろにやったような状態だ。鎖骨を翼に例えるならば、翼を広げろ、という意味である。

鎖骨を開けば、腕は体の両横に置かれる。これがスイングにも影響しないはずがない。と思うのだが、どう影響するかまでは知らない。

それでも、スイングにおいて、左腕がボールと当たった後で、どのように左腕を畳むかはとても重要であって、それをするためには、体ごと左に向けるしかない。

左ひじが体についたような形になってから腕は畳まれる。この時、体も左を向くことで腕の運動をスムーズに減速している。フィニッシュというのは単に減速する機能ではない。

フィニッシュとは、加速を十分にするために必要な機構であって、例えば、大型飛行機を着陸させたければ3000m級の滑走路を用意しろというのと話しは同じである。下手なフィニッシュは、1000mの滑走路しか用意していないのに大型旅客機を着陸させろと要求するのと同じだ。フィニッシュこそが、十分な加速を得るための重要な方法なのである。

左腕が途中で止まってしまえば、それが逆ブレーキになって動きを阻害するだろう。そういうパワーロスがスイングの全体に影響する。小さな阻害がどれだけの影響を与えるかは知りつくせない。だが力をきちんと制御するには、急ブレーキやロックさせることなくスムーズに動かす、そのためには減速する仕組みが正しく動くこと。それが重要だと思ったわけである。

気分は下から打つ、って感じ。