2017年2月19日日曜日

練習場より 2017.02.19号

最初に言っておく事として、人は思ったよりも自分の体を上手には使えていない、というのがある。自然が生み出した機構は基礎設計が良過ぎるので、許容範囲が極めて広いのである。それ以外は許さないというのがとても少ない。

A がダメなら B、B でダメなら C。ドワンゴが見せた身体障碍者の歩行と同じであって、少々ダメになっても何とかできるように作られているのである。その可能性が生存に役立つというのが進化における基本戦略であろう。

だから、なぜ人間の体にはこれだけも多くの関節(200)と筋肉(600)が付いているのか、と問えば、様々な働きを可能とするためだけではとても足りなくて、ロバストネスの向上を獲得するためという理由が必要である。

ひとつふたつ壊れたくらいで機能しなくなるようではこの世界を生き抜くことなど出来なかったのであろう。

ゴルフスイングも同じである。誰もが自分のスイングを持っているが、それを許容するだけの構造が人間の基本設計にはあるから可能なのである。

自分の欠点が漸く分かり始めた。左肩である。左肩を後ろに下げる動作が上手くいってない事が緩徐にだが分かってきた。それがスイングの全体に影響する。

左肩をフィニッシュ方向に向ける動作が緩慢だから、スイングの軌道を邪魔する。行き所のない力はなんとか、別の経路を通ろうとする。堤に当たった川が流れを変えるように。もっと早く動かそうとしても、逃がす力が増加するだけの話である。

力が増えた分、それを受け止めるために他の場所も動員する必要がある。堤防を巨大にするのと同じだ。その限界はすぐにバランスの崩れとして意識されるだろう。なんとかそれを修正しようとするが、問題が解決したわけではないから、バランスが崩れる場所を別の場所に移しただけで解決した気になる。

本質が変わらなければ、迂回するか回避するしかない。輪廻とはそういうものだろう。永劫に続くならば行き詰まるのは目に見えている。たくさんの問題をいっぺんに解決できる方法がより正しい解決法に違いない。

左肩を下げるのが下手である、と気づいて思い出した事がある。そう謂えば、バイクでも左ターンが苦手であった。スノーボードも左右で曲がりやすさが違っていた。何故か。

肩がいつまでも前に残っているので体の向きが変えにくいわけだ。だから十分に重心の移動もできないし、スムーズさにも欠ける。次の動作に移るのも遅延する。遅延すれば無理に急ぎ、バランスはそのうち崩れる。

これはゴルフスイングも同様に起きるであろう?

肩を後ろに回すというのは腕を後ろに回す所作であるが、その方法は幾つもあって唯ひとつではない。だからこれまでも不便とも思わず出来ていたのである。自分なりの方法で。

それを改善しようという話である。きちんとした(本質的にそんなものはないのだが)使い方を模索するのも悪くない。

広背筋を使えば肘が下を通って後ろで上がるように動く。回旋筋腱板だけを使うから前とら後を直線的に移動する。違うのは肘の軌道である。

前から後ろに直線的に移動すれば肘は脇を開けたまま動く。脇を閉じて後ろに動かせば肘は下から上へと向かうように動くはずである。ゴルフではこちらのほうがいい。これは回転域の広さがもたらす違いであろう。

だから、腕を後ろに回すには、腕を斜めの軌道で動かすのが良いと思った。

どの動かし方が正しいかではなく、どちらがより多くの問題を解決するか、という話である。肩の引き方を見直すだけで色々な点が変わりそうである。スムーズさがフォームの全体に影響しているのが分かる。

肘を引くように動かしていたのも、左肩がいつまでの居座るから窮余の策として起きていた現象なのだ。これを何回繰り返しても改善することはない。肩が引けないのを肩を回すだけで対処しても他のどこかに負担がかかる。それがまた別の問題を生み、また別の改善策を探そうとする。

ずうっと解決策にはならない解決が堂々巡りしている。探しても答えが見つからない。見つかったと思ったらそれは違っていた。まるで青い鳥のようである。問題は輪廻転生している。だから釈迦は解脱を示したのだろうし、僕は肩の引き方を変えたのである。

果たしてこれが青い鳥であろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿