・背骨の付き方というものは、主に魚でしか見ないものだから、だいたいまっすぐだと思っていたりする。それはロボットアニメの骨格もそうなっているし、人型ロボットでも同様である。
という思い込みは理科室で人体模型を見た程度では、置き換わらないのであって、そのために、体の構造について間違った思い込みをしている可能性が高い。
首といえば、肩から上の細い所だと思っている。だが背骨の湾曲を見る限り、頸部湾曲、胸部湾曲、腰部湾曲と3か所で曲がっており、Wを横に回転させたような形になっている。
この湾曲がクッションの役割をすることは明らかであって、それが脳の揺れを軽減するのも当然といえる。もし湾曲がなければ、ちょっと飛ぶだけで脳震盪を起こすかも知れない。
そしてそれが意味するところは、首や肩という別け方とは違った体の分類を生むと思われるのである。
つまり首はどこからどこまでかを把握するときに、
- 外から見たフォルムで判断する
- 筋肉の構造から判断する
- 背骨の機能から判断する
と考えられる。
そういう形状を踏まえれば、湾曲している場所で支えているというより、三極の付け根で支えていると考える方が合理的だと思う。すると背骨でまっすぐになっているのは、腰のくびれ当たりと、胸の真ん中あたりになる。
つまり、首というものは骨的に見れば、肩甲骨の下あたりから始まり、その上を指すだあろうと思ったりもするのである。
すると普段、首と呼んでる部分は上半分だけだと考えるとわかりやすい。肩と首で十字の形になっていて、それが体幹の上に乗っているという感じである。
という話はあまりスイングとは関係ない。スイングするとき、不安であるがゆえに、グリップを視界の中に収めておきたいと思うらしい。だが、これがスイングには悪いようで、グリップは視界の外を軌道するべきものらしいのである。
そうすることで初めてスイングに意識が行くようになった。目に見えないのだから、グリップもクラブのスイングも想像するしかない。つまり、体全体で感じる感覚をもとに、こうなっているという認識する状態である。これが意識するのとまったく違う感覚であるという事に気付いた。認識と意識はどうやら全く違う働きであるようだ。
視界に入ってこないようにするためには、スタンスも見直すほうがよいようだ。前屈みにならないような体制のほうがよい。イメージとしては背骨の湾曲とは逆の方向、二十六夜とか有明の月のように逆三日月のように胸を張った感じのほうがいいようだ。
そうすると、太った人ならお腹にグリップが隠れるような感じになるだろう。そこから視界の外をトップ位置まで登る。そこから、まず降りるという形が大切なようだ。
左腕がスムーズに動くためには、円運動ではダメなはずだ。まず下に大きくおりて、そこから加速するための弧を描くようなイメージだろうか。とにかくグリップが視界の中にいないわけで、目視確認などできるはずもない。
おそらく上から下、下から上という軌道をずぬっと降りぬくのは人間技ではない。たぶん物理学的にも間違えている。静止したところから加速によって速度がまし、加速をやめ停止に至る。その運動と、体の動きとがマッチしなければならない。
それぞれのタイミングで最適であろう方が望ましい。そのような軌道を見つけるのに、視界という考えを導入したわけだ。
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