2017年4月9日日曜日

練習場より 2017.04.09号 - われらクラブの奴隷なり

きよみちゃんは舐められるのが好きだとして、あかねちゃんも同じとは限らない。クラブだって同じである。それぞれが違う。

ならば、クラブが異なればスイングも変わるのが道理のはずである。スイングにも同じ部分があるのは、スイングをする体が同じと言うだけである。

スイングの同じ部分は体に属するパラメータの話だし、違うのはクラブやアンジュレーションのパラメータである。それらを統合するのが物理法則と言う事になる。

いずれにしろ、ゴルフクラブが位置エネルギーを獲得してどのように運動を始めるか、と言うのは、大まかに捉えればトップとフィニッシュの間をどのように結ぶかというイマジネーションの領域であり、それをクリエイティビティと呼ぶ。

力んでいてもスイングはできない、と得心するには長い時間が必要だった。力む方が力を与えられると考えるのも、力を与えた方がボールが飛ぶと考えるのも、根拠のない思い込みというよりも、ほとんど科学的な洗脳に近かった気がする。

実際には、力んでもクラブを動かすことはできない事に注目すべきだ。クラブを動かすには、筋肉の収縮が必要である。それも瞬間的でなければならない。速筋で瞬間的にパワーを与えるべきで遅筋の参加する余地はない。

なぜならゴルフクラブの速度が速すぎて速筋であれ、遅筋であれ追いつける速度ではないからである。力むとは力を与え続けようとする行為だが、もちろん、120kmの速度で動いているものに50kmの力を与えようとしてもクラブと体は繋がっているので減速に働く。よってクラブは一瞬で飛ばす。その後にだらだらと力を加えても邪魔にしかならない。

力の前に、例えばドライバーでも、クラブヘッドがどのように動くかが重要である。軌道がダメなら、どんな力を与えても最高のパフォーマンスは発揮できない。力んでクラブヘッドを加速しようとするよりもずっと重要である。

スイングはクラブが行う。よって運動の主体はクラブのはずだ。トップの位置では、このクラブがどのように動くかをイメージする。どのように力を与えようかと考える必要はない。

クラブがどう動くかが見えてくれば、体がそれに勝手に合わせると思う。これと逆の道はない。体がこう動くから、クラブはそれに従うという考えはダメだと思う。クラブがこう動くから体はこう動くことになる。脳も体もゴルフでは主人公ではないのだ。

よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたくたたず。徒然草第二百二十九。

よく切れる刀だから良いのではない。刀が仕事をする。刀を使っているのではない。刀に使われているのである。自分が仕えるのによくあった切れ味と言うものがある。

そのクラブによくあった振りがある。クラブの動きを自分の思い通りに出来るなどない。それは自分の思い通りにクラブが動いたのではない。クラブの動きにあうように自分が沿えたのである。

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