「7番アイアンを持っているじゃないか。」
「ドライバー…。どこ狙えっていっているんですか、こんなところで。」
「それはこっちのせりふだよ。どこに打とうといっているんだ、7番アイアンで。」
「僕は、僕はもうドライバーを持たないって決めたから…そう決めたから…」
「そうか…ティ区域外が公になったんでね。フェアウェイに俺の居場所はなくなったんだ。以来ここでパター練習している。」
「こんな時にですか?」
「こんな時だからだよ。チップインもいいが、やはり最後はパターで決めたいからね。」
「最後…」
「そうだ。ティ区域の外にティを立てれば、人は全て2ペナルティするといわれている。R&Aゴルフルールで。それを止められるのは、ティ区域からショットできるドライバーだけだ。」
「スプーン!?ティも立てずに!」
「自爆する気!?」
「スプーン!」
「トップ、全開…」
「う、ぐっ!」
「ボールは…」
「スプーンっ!」
ズドーーン!
「何てこと…」
「ドライバー、俺はここでパット練習することしかできない。だが、君には君にしかできない、君にならできることがあるはずだ。誰も君に強要はしない。自分で考え、自分で決めろ。自分が今、何をすべきなのか。ま、後悔のないようにな。」
「バンカーに、直撃!」
「パーオン、融解!」
「まずい、トリプルボギーが丸見えだわ!」
「ドライバーはまだなの?」
「ティー、拒絶。」
「だめです、ボールがもうありません!」
「続けて。次の方から打ってください~。」
「打たせてください!僕を、僕をこのドライバーで打たせてください!キャディさん…」
「なぜここにいる。」
「僕は…僕はウッド初号機のパイロット、アマチュアゴルファーです!」
というわけでゴルフに行ってきた。ゴルフってのは、なんとも難しいものでまた駄作なスコアを作ってしまった。
スィングは前よりもずっとよくなっていて、幾つかは今の自分としては完璧なものを打つ事ができた。それがスコアに結びつかないのは、それより多くのミスをしているからである。
ショットのミスは、本当はどこかで取り返さないといけない(リカバリ)。その取り返し方には色々な方法がある。が、それについてはまたの機会に考えるとして今回の反省すべきはショットが上手くいかない理由である。
今回のコースは、山あり谷ありのコースで前足上がりだのつま先あがりだのそういう難しさがあった。しかし、それだけではない。自分の心持に反省がある。
最終ホールにてスコアに期待するものはないし、最後のホールだから好きなように打ってみよう。オーバーしようが、スライスしようが構わないや。納得のいくショットになればいいや、と打ってみたらこれが上手くいって2オンしてイーグルトライだ。
このイーグルチャンスはトライしたが失敗しバーディで終わったがとっても清々しい爽快感で終わった。この結果はショットが2回連続して満足いくものが打てそれがスコアになったのだ。
ゴルフのスイングは、結果によって成功かどうかが決まる。幾ら気持ちよく振れてもボールが明後日の方向に飛ぶなら、ミスをしたのだ。狙った方向に思った距離だけ飛んだのならそのスィングは成功したのだ。
この最後のコースで初めて知ったのだ。僕のそれまでのショットは「自分から遠慮して打っているショットだった」という事を。
何かに遠慮して打っているショット、というのは飛びすぎないで欲しいとか、失敗しないで欲しいとか、そういう否定的な願いで出来ているんだろう。何かに遠慮している、その何かを問題にしているのではない。遠慮していては、よい結果は残せない。踏み込め、ぎりぎりまで。
自信などと言うあやふやなものを持てという事ではない。自信と言うものは誰にも実は正体なんかないもので自信があるように見えるのは、ただ見えているだけの事なのだ。
もし自信があるというなら、それは、どこまで踏み込んでいいかを知っている、それより先に行ってはいけない場所を知っている、でなければならない。
ここまでなら安全、その先は危険、だから何処からどう引き返せばいいかを知っている、それを自信という。それが、根拠のない思い込みであっても自信と言う。だから自身の正体は知識なのだ。
では、遠慮しないとは何か、それは相手の懐まで踏み込む事であり、ゴルフのショットならば、打つ方向、距離を決めたならスィングだけをする、だと思う。
何かに、誰かに遠慮して考えることやめない限り、それは遠慮している状態と言える。自信を持つ必要はない、自信など知らないなら知らないでもいい。だが、遠慮はするな。
恐らく気付けば何かに遠慮している自分がいる。ずうっと考え続け悩んでいる自分がいる、それを止めなさい。それに気付いたら、ただ遠慮せずに打てとだけ言い聞かせたい。
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