その価値観はゴルフのショットでも同様のはずである。所がゴルフスイングでは意識してコントロールしたいという思いが強い。そこが車の操作とは違う。ゴルフスイングでも勝手に自然と体が動いた方が良さそうなのに、それと反発しようとする意識がある。
それは何故だろうかと考えた。
そこから得た結論は、車のマニュアル操作は何が効率的であるかが明白である、に尽きた。目標がひとつに決まっている。それはスムーズさである。つまり、究極は時間である。狙った位置に最速で移動すればよい。それが気持ち良さの正体である。究極は速度に極まる。その操作に意識の介在は少ない。少ない方がよい。意図した瞬間には既に腕が動き終わっているくらいで丁度いいのである。
こういう動作は基本的には何回か練習すれば身に付くものである。もちろん、プロのレーサーのそれは、ギア比やパワーロスなどの精度が全く違う。動きは似ているとは言え、気にしている事も筋肉の使い方も全く違うかも知れない。それはスズメバチとヒラタアブほどの差があるかも知れない。
自動車の運転とゴルフスイングは少し違う。ゴルフスイングの価値は速さではない。遠くに飛ばしたければ速度が重要であるが、それが究極の目標になるわけではない。スイングは、距離、方向、ボールに与えられた回転など複雑な運動をボールに与える。
自動車が早いというのは、ボールが飛んだという事であって、ゴルフスイングによって得られた結果が良いことと、ゴルフスイングが上手くできたという事は違う。上手く振れても結果が悪いこともあれば、ヘボくても良い結果になる事もある。
つまり、スイングを無意識で動かすには、何かが足りないのである。それを脳は意識と呼ぶ。意識とは不足したものを探そうとする働きであろう。何かを見つけようとする方が見つかる可能性は高くなる。
何をどうコントロールして良いかが脳がまだ分かっていない状態。その何かを脳に教えなければ、ゴルフスイングは完成できない。そういう状況にあるのだろう。それを満たさなければ気持ちいいにはならないのである。
ではゴルフスイングの意識とは何であろうか。
- ひとつ、飛ばすためには体とクラブをどう動かすべきか。
- ふたつ、方向性を決定するには体とクラブをどう動かすべきか。
- みっつ、スライス、フックを打ち分けるには体とクラブをどう動かすべきか。
- よっつ、バックスピンするには体とクラブをどう動かすべきか。
- いつつ、回転を強くするには体とクラブをどう動かすべきか。
意識できれば完璧にできるわけではない。体が勝手に動くのが完全なスイングでもない。トッププロでさえ必ず成功できるとは言えない。それでも自分が気持ちいいと感じられるスイングになれるよう目標を持つのが良いと思う。
意識してスイングしたいという欲求は、脳からの、だけど、どう打てばいいか分からないよ、というメッセージである。それを解決すれば、脳は、自然と体を動かすようになる。意識の介入を必要としなくなる。
体が覚えるという効率の良い気持ちよい領域に這入れる。意識してやっているうちは、まだ未解決の何かが残っているのだ。少なくとも脳はそう訴えている。
シャーロックホームズのように、誰もが注意しない事を、意識して考える、探してみる楽しさは、どのレベルでも味わえるものである。それはゴルフだけの話ではない。恐らく完成というものはない。いつか我々は物理法則さえ変える手段を見つけるだろう。
誰もが自分なりの方法でゴルフスイングを修正してゆく。設計レベルの低い整備の整った機体は、能く設計レベルの高い欠陥機に勝る。ポテンシャルだけの勝負ではないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿