手を動かすのに多くの人は困らないでいる。誰でも生れてから長い時間をかけて自分なりの動かし方を身につけた。
ここで大切な事は同じように動いているように見えて、全ての人が自分と同じように動かしているとは限らないと言う事である。例えばゴルフスイングに於いてトップからの切り替えしだって誰もが同じではない。ヘッドの重さを感じて行う人もいれば、そうでない人もいる。
スイングの時、ヘッドの重さではなく、右手首の曲がりを意識する人もいる。ヘッドの重さを感じるのは筋肉の疲労や精神的なアグレッシブさに影響を受けやすく同じ状態を保つのは難しい。手首の角度なら目視できないとは言え曲がる限界値があるので感覚に頼るよりも一様を保ちやすい。
トップの位置では手首は折れるものだ。この折れた手首が元に戻る過程がスイングだと仮定する。するとスイングは小指か親指のどちらかが先行するはずである。上に振り上げた手は野球のピッチングと同様に手首が折れ、途中までは小指が先行する。右手の手の平は空を向いており、そのままでは振り抜けない。
だから途中で親指が先行するように手の向きがひっくり返る。右の手のひらが地を向き手の甲が空を向く。このように小指と親指の動きというのはスイングの途中でダイナミックに回転し入れ替わる。勿論、親指小指は総合の中の一つ (One Of Them) である。それだけが大切なのではなく、それも大切なのである。
どの大切さを意識の上に乗せるか。本当の上手はこういう意識をしなくても出来るものであるが。それが今日は親指小指の意識であった。これが新しく意識に加わった。そのお陰で過去の気付きは忘却の彼方へと追いやられただろう。
この気付きもまた他の忘却と同じく多くのものを兼用している。これが他の意識で達成すべき事も兼ねているから片方は忘れてもそれは成就される。忘却されている気付きは、他の気付きに統合され、その中で生き残っていると考える。
(使徒がエヴァを捕食するなんて)
さて、この気付きをコースでテストしなければならない、そのコースが今週の僕たちを待っている。
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