2016年7月23日土曜日

GOLF 2016/07/23 - 無心

無心というのは心を空っぽにすることではない、と思った。

練習場で出来ていた事が、6割とはいえ出来たと思う。

しかしスイングがスコアには結びついたとは言い難い。それほど大きなミスをした訳でもないのにスコアが伸びないように見える。これはゴルフの問題であって、スイングの問題ではあるまい。

スコアを10縮めたければハーフで5でよい、5回ほどミスをしなければよい。それは5回のチャンスをものにすれば良いとも言える。しかしこれを失う事は容易い。当人はミスと思っていないが、そのスコアはミスだらけで生まれたものだ。

思っていないものに気付くためには、心構えも必要になるだろう。

パッとが気持ちだけで入れるならば、これほど馬鹿らしいものはない。気分がどうであれ、情熱がどうであれ、気持ちがどうであれ、感情がどうであれ、それは物理学とは関係ないものである。もし関係したなら、それは超能力である。超能力があるならゴルフをやっている場合ではない。

では、どこに注意しなければならないか。これは本当に分からない。だが、練習場の面白さと、コースの面白さは必ずしも一致しないという事だけは分かっている。

コースでどうすれば良いのか、と自問してみる。どう振る舞う事が良いのか。それがスコアとどう結びつくのか。スコアが少ないことが絶対の正義ではない。それは分かっている。だが悪いスコアにも満足できないものがある。

どう考えて、どうゴルフをしたのか。その結果がスコアである。おそらく気付いていない様々なミスから、どれほどのしっぺ返しを受けたか。それに気付いていない。

巧みならばスコアは上がるのだろうか。だが、ゴルフの巧さとはどういうものかがまだ分からない。

ゴルフ場で見せる緊張感、集中力が重要であることは間違いない。それが疎かになっているのだろうか。もちろん、その可能性は高い。

だが、そういう考えで取り組んだとしてもスコアに直結するとは思えない。

何か、見えていないものがある。例えば、ゴルフが上手い人は風の妖精が見えているのではないか。僕はその姿を見た事がない。

ゴルフの妖精など見えなくとも80台くらいは十分に可能だろうし、そうでなくては困る。だが、それだけではゴルフには足りない。

少しはコースというものを想定して考えてみようと思った。

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