2014年9月28日日曜日

練習場より 2014.09.28号 - 松葉ぼうろ

スイングプレーンは、クラブのスイング軌跡を円とし、体を軸に見立て、クラブヘッドが面上を移動すると考える。スイングプレーンを二次元の平面と考えるのは理解しやすいが、実際に三次元の空間をクラブが二次元の平面上で動いているかは分からない。

クラブヘッドは円軌道ではないと思う。体の右から体を横切って左に移動する。ボールの位置まで下がりそこから上昇する。上から下へ、下から上へ。

トップに位置付ける時、クラブは背中を「(」の字にする様にのけ反らせる。これは横の捻転というより縦の捻転と思う。円と言うよりも、どちらかと言えば松葉ぼうろのお菓子の様である。これは8の字である。

松葉ぼうろは足を組み、長い線が両端で交わった形をしている。この形のようにトップまでのクラブの軌跡は8の字のようになる。縦に長く横幅の短い8の字。そういうイメージだ。

スタンスを構える。クラブヘッドが右(後方)に動く。体とクラブの軌跡が8の字。体のすぐ近くを横切り、クラブは後ろではなく、上に伸びてゆくイメージ。

8の字の軌跡により、トップで構えたクラブと体の間には捻転にも似た緊張関係が生まれる。そこにある力が瞬発力となってスイングの開始力となる。

2014年9月23日火曜日

練習場より 2014.09.23号 - 肘の畳み方

スイングを妨げるもっとも大きな場所はどこか、それは人やスイングによって異なるだろう。例えば左肩の可動域。ここの可動を固定するとスイングの力の逃げ場が失われブレーキになる。

更にブレーキとなるのが左ひじである。肘がまっすぐなままフォロースルーに入ると力を逃がす事ができない。するとそれがブレーキとなりスイングを減速する。故にスイングとは左肘の畳み方である。

どう肘を畳むか。

アプローチ、ウエッジは、左肘が左脇に付いた時に、左肘がテコの支点のようになり、左脇を蹴るようなイメージで畳み込む。どのクラブでも、左肘を左側で畳む。大切な事は、畳み方によってボールはフックもする。

あくまでボールを打ってから肘を畳むのであってその前ではない。しかしその前から畳む準備をしておかなければ、おそらくボールを打つ前から減速を初めてしまうのである。つまり畳む準備はボールに当たる前から始まっている。

拳銃の機構は Bullet を撃ち出すためのものではない。その変遷は火薬に火を着ける方法の改良や発明ではない。如何に次のバレット(弾丸)を準備するための機構である。cartridge を如何に排出するか、次の弾丸をどう装填するか。打ち出すだけの機構なら単純である。しかし次をスムーズに用意するための仕組みは複雑である。

これはゴルフスイングのフォロースルーと同じだろう。ボールを撃ち出すだけではなく、如何に打ち出した力を解放するか。それが如何に左肘を畳むかにかかっていると思う。

まずスタンスからトップの時に、どの角度で腕が軌跡すればよいかを感じ、これがしっくりとする場所を見つける。それは自分が思うよりもずっと下、かなり下の方を通る。自分が思うよりずっと鋭角である。二の腕は体にまとわり付くように動く。それは惑星のすぐ近くを衛星が通るようなものである。

意識すべきは二の腕、と言うより二の腕の内側、体に近い側である。左肘を折り畳むとは、二の腕の内側が内側から外側に向かう、内側にあった手が外側に行こうとする、左肘を支点として、腕が内から外に開こうとする。その過程で腕は畳み込まれるものと思われる。

この畳み方、畳む位置、畳むまでの軌跡がスイングである。

2014年9月20日土曜日

練習場より 2014.09.20号 - 横田真一 プロゴルファーがやっているスコア作りのコツ!

なにも打ちっ放しだけが練習場ではない。今日の練習場は、紀伊国屋である。みかんではない。本屋だ。

この本にはだいたい次のような事が書いてある。
  • ティショットは厚いインパクトを意識する
  • パターではボールを鉛と思って打つ

紹介
実はプロゴルファーは、アマチュアゴルファーよりも簡単な打ち方をしている。

ドライバーでの飛ばしから、アプローチ、パット、メンタルコントロールまで、

常にやさしい打ち方、やさしい状況作りを考えている。

それは、たとえば次のようなものだ。

◎ティショットは「直角インパクト」でドロ~ンと飛ばす

◎アプローチは「さばき」を使ってピンに寄せる

◎バンカーからは「目玉焼き打法」で簡単に脱出する

◎パッティングは「ボールが鉛できている」と思って打つ

◎緊張する場面で打つときは「意識しない深呼吸」を使う

――etc.

こうした打ち方は、いわばプロが現場で培ってきたもの。

トーナメントの現場では、難しいことをすればミスをしやすくなり勝てなくなるので、

プロゴルファーは常に簡単に打つことを考えているわけだ。

本書は、こうした「プロの現場」で使われているコツを取り上げた。

理論派として知られる著者による選りすぐりのコツの数々を、

わかりやすい解説とともに伝授する。

ティショットではボールに垂直に当たる事を意識する。ボールに垂直に当てるのは小手先でクラブを操作して出来るものではない。だからスイングとして作らなければならない。

ボールに垂直に当たる方が飛ぶのは道理だ。それだけパワーがロスすることなくボールに伝わっているからだ。もし垂直でなければボールは滑った事になる。

滑った以上はパワーが逃げたはずである。その逃げた分だけパワーは落ちる。もちろん無回転では空気の影響を受けて飛ばない。

これは納得である。

更にはボールの重さを意識しろとある。「鉛球と思って打て」と言われたら何か分かるような気がする。ボールを軽いとは思わない。

これも納得である。

2014年9月6日土曜日

GOLF 2014.09.06号 - 練習場の最低がコースの最高である。

練習場での最高のショットがコースで出る事はない。どちらかと言えば練習場のミスショットばかりである。

練習場の素晴らしいショットがコースでも出れば、結果はまるで違うものになるだろう。

何故こうも違うのか分からない。コンクリートの練習場と芝のコースでは地面からの反力が違う。これはアスファルトと砂浜を走る時の違いと同じかも知れない。また練習場とコースでは平らさと斜面の違いも考えられる。

練習場でやったことを再現しようとするが、どうも違う。練習場ではここまで酷いショットはなかったはずである。どうやら手首を曲げると肘も曲がっていたようだ。手首を曲げる事に意識が行って、腕を伸ばす感覚を失ったらしい。

この感覚のずれがなぜ起きるのか。時間も場所も気持ちも違う。練習場にはまっすぐな方向に向かってラインが引いてある。コースにはそれがない。コースには魔物が棲むと言われる。練習は人を裏切らないと言うがゴルフコースでは平気で裏切るのである。

恐らく芝なのだろう。芝の上で歩く事も動く事も練習する場所がない。コース以外に(公園はあるが)慣れる場所がない。

  • コンクリートの固い床
  • 平らな床
  • クラブが滑る人工芝
  • 打ち出す方向のライン
  • 何度も打てる球数

さてコースでは3オンを目指している。3オンと言う事は18ホールで18*3、合計54。パターは18*2=36、90が目指すスコアである。

だが実際はこのスコアにはならない。もっと悪いのである。バンカーに入れれば1打+、ラフや林に入れれば戻すために1打+である。距離が足りなければ1打+。これでは3オンなぞ未達必至である。

1打のミスを1打で取り戻せば0である。しかしそうはならない。1打のミスを取り戻すのに少なくとも1打+である。都合2打である。それで済めばスコアはそこまで悪くはならない。

何がスコアを悪くするかと言えば、ミスが多い事ではなく、ミスが続く事である。ひとつのミスが次のミスを呼び込んでいるに違いない。負の連鎖である。これが問題である。

ミスは無くならない。しかしミスをする事とミスが続く事はたいぶ景色が違う。これが由々しき事態である。ではどうすればミスを断ち切れるのだろうか。さらに言えばミスを失くす事がゴルフなのか。

精密機械と呼ばれる人が強いのは、どの業界でも同じである。ならば人間は将来にはコンピュータに駆逐されるのだろうか。

もちろんプロはそうであろう。しかしアマチュアは少々違うと考える。チャレンジして成功すべきがプロなら失敗はアマチュアの特権である。アマチュアは一位は駄目だが二位を狙うと言う考えはしなくてよい。オールオアナッシングで困らないのである。

ではこのミスはチャレンジした結果かと問えば違うのである。何んら難しい事をした訳ではない。困難なショットに挑んだ訳でもない。

普通に打って、普通にボールが曲がって、普通に林に飛んでゆき、フェアウエイに乗らず、グリーンに乗らず、普通にパターが外れたのである。

不思議である。どうしてこうも上手くないものか。集中力と言えばその通りだろう。緊張感がないと言えばその通りだろう。だとすればメリハリの付け方が下手なのだ。ずうっと漠然なのである。

オンオフの切り替えである。スイッチを入れると言うやつである。それでも次回もまた同様のミスをするだろう。そしてスコアも悪いだろう。僕は本当にゴルフを知らずにいる。果たしてそれはゴルフだけなのだろうか。

2014年9月4日木曜日

練習場より 2014.09.04号 - ボールを見てはならない

ゴルフにもメカニズムがある。これを探求することは、例えば、障害者がゴルフをやることのサポートにもなるだろう。

優れた義手や義足の出現で 10 年以内にその機能性は生身の手足を凌駕するだろう。そうなれば障害者もゴルフなどのスポーツを広く楽しめるようになるだろう。

こういう機器の発展によって問題になるのはプロの世界である。19世紀の蒸気の時代、馬車業者がスチームロコモーティブに挑んだ時から、人間は機械に負けっぱなしである。

人間の肉体が機械に凌駕されたのが 20 世紀であったろう。それは戦争の悲惨さとも比例する。そして 21 世紀は知的活動が凌駕される。オセロ、チェスは既に、そして将棋はもはや、囲碁も時間の問題である。

もちろん、こういう新しい活動は人間にフィードバックされ、オセロは置石の工夫を生み出したし、チェスは知らないが、将棋がコンピュータから新手を編み出しているのも間違いない。

20代の名人などありえない。坂田栄男がそう言ったのが 1965 年。現在の囲碁界の帝王は井山祐太で 24 才。これが新しい時代の流れなんだと思ったらとんでもない。算砂が名人になったのが 20 才である。初心忘るべからずである。

なぜ人は年を取ると弱くなるのか。それが脳の衰えと関係するのは間違いないだろう。記憶、読み、などの衰えは、経験、勘、大局観などで補う。長い時間をかけて研いたもの、蓄積したものでどこまで対抗しうるか。

では若い時の利点、記憶力、活動スピード、持続力、経験はないが思い込みもない。これが年を重ねた事の利点とどう対するものか。

かつて最強であった趙治勲が今もリーグ戦で戦っている事は偉大だ。しかしあれほどの強者が挑戦者にもなれないのは何故だろう。力の衰えは経験を重ねる事だけでは挽回できぬものか。

コンピュータと人の戦いでは疲労がひとつの争点になる。コンピュータは疲労しない。これではフェアではない。人は疲れてミスを犯す。コンピュータのミスは仕様(バグ)である。修正すれば次はミスはしない。このミスの発生率はとてもアンフェアと感じる。

さて、ゴルフである。

スイングの基本はボールを打たない事ではないだろうか。もちろんボールは打つのである。だがボールを打とうと意識しない。ボールはスイングの軌道上に配置されている。だからスイングでボールを意識する必要はない、軌道を通ればいいのである。

別の言葉で言えば「ボールを見てはならない」である。そう思い、僕は目を瞑ってスイングしてみた。この考えが正しいとすれば、目の見えない人でもゴルフをする上でのハンデにはならないのである。これは障害者にとっても朗報ではないか。すると案の定、空振りである。

なぜ目を開けておく必要があるのか。目を瞑ると人は平衡感覚を失うからである。平衡感覚を失わないように目を開けておく。するとボールが目に入る。でもそれは対して大切ではない。意識はスイングである。トップからフィニッシュまで振り切れば十分である。

トップで手首を曲げる。スイングの前半で重要なのは右手である。右手の軌道によってスライスにもトップにもなる。ボールを意識することなく、トップからフィニッシュまでのクラブの軌跡を意識する。