2012年2月27日月曜日

GOLF 2012/02/27 - 反撃の狼煙

敗北

負けるとは、勝つことが出来たのに、それを失った事を言う。

負けは許容される。

次にもう一度の勝負に挑むだけの優しさが世界にはある。

戦国の武将ならば命を失う戦いであったかも知れぬ。

勝ち目のない戦いがある。

しかし、それは負けであろうか。

アントニオ猪木の名言がある。

「戦う前に負けること考える馬鹿がどこにいるかよ」と。

負けた時にどうして負けたのかを考える。

その時間が与えられているのは幸いだ。

多く負ける戦いは、自滅によるものと相場は決まっている。

もし両者が相武つかり自滅することなく戦ったなら勝負は何によって結果を得るであろうか。

ちょっとした風向きやボールの跳ね方が明暗を別ける。

それを運と人は呼ぶのだろうか。

そういう戦いこそがお互いを称え合えるものではないか。

「ひとりの天才だけでは名局は生まれんのじゃ、等しく才たけた者がふたり要るんじゃよ。」

桑原本因坊が言う通り、勝負であれば名局にも敗者がいる。


大局観

K, H, M と 4 人でゴルフに行った。始めのうちに 5 打差で優勢になった。囲碁で言えば 3 人に対して 5 目以上の優勢である。

大局観という言葉がある。囲碁棋士にも二通りの戦い方がある。

相手との差を常に見ながら半目勝ちを目指す者。これは相手との相対的な関係の中で戦いを決めるやり方である。依田紀基がこの戦い方である。彼は前半に築いた 1 目の優勢を最後まで保つように打つ。目算をしないで流れの中で状況判断をしてゆく。

もうひとつが常に最後まで最強手を打つ者だ。優勢も劣性も関係なく緩む事なく最後まで最強の一手を追及する。井山裕太がそうであろうか。常に最強であるべき手とは今の状況ではなく、棋譜に対する追求である。

ウェイン・レイニーというレーサーが居た。彼は相手を追い駆けている時よりも先頭に立ってからの方が最高ラップを叩き出す選手であった。自分の前を走る自分自身の幻想を追い駆けていたのではないか、と解説者は語っていた。

どちらのやり方が優れるかという問題ではない。どちらが自分に合っているかだけの問題なのだ。これは性格の問題なのだ。実在する相手を意識した方が良い人と、幻想を相手にした方が良い人がいるのだ。

僕は勝利を意識した。それまで相手のスコアなど気にせず打っていたのに、5 ホール目で同伴者の顔を見たのである。そこで勝利している自分の姿を見てしまった。誰もいない野原からみんながいる場所に飛んでしまったのだ。絶対主義のゴルフから相対主義のゴルフに切り替えてしまったのだ。その瞬間、僕のギアはガリガリと音を立てて噛みあわなくなり、エンジンは減速を始めたのである。

勝利の女神は手の間からこぼれてゆくのだ。勝負と勝利は全く違うものだ。勝負に勝つから勝利があるのではない。手を離したから敗北したのだ。人に勝つ事は、僕の求めるものではない。人に勝とうとすることが僕の勝利ではない。人に勝とうとすると僕の集中力は雲散霧消するから。


トラブルショット

林の中から打つショットはトラブルショットに違いない。ではフェアウェイから打つショットはトラブルショットではないのか。

フェアウエイでは打つ方向に邪魔なものはない。ライも良い。林の中には木があり土や木の根がある。フェアウエイよりも考えるべきことは沢山ある。だが考えるべき事が沢山ない事は考えなくて良い事ではない。考えることが沢山あるのは面白さでもある。考えるべき事が多いのに考えていないようでは結果が上手く行くはずがない。

どこまでがトラブルでどこからがトラブルではないのか。フェアウェイがトラブルではないとはただの思い込みではないか。フェアウェイからでも失敗する事があるのだから。フェアウエイからのショットもトラブルショットに違いない。カップインする迄の全てのショットがトラブルショットなのだ。

フェアウェイと林の中は状況が違う。打つ方向も打てる距離も選べる選択肢の多さも違う。選択肢が少ないほど困難なショットには違いない。だがどのようなショットであれ、多かれ少なかれ困難がある。全てのショットに共通して方向、距離、強さ、があるのだ。その結果がどのようなトラブルを生み出すかは打ってみなければわからない。人生と同じだ。人生もまたトラブルばかりなのである。気付いていないだけで。


砲台グリーン

砲台グリーンは高く上げて落とすのが基本らしい。しかし、ボールが林の中に飛び込み、そこからは高く上げる事などできない。そこで斜面に当てて減速させグリーンを転がそうとした。実際に打ったのは強く打ち過ぎ減速が足りず、グリーンから転がり落ちた。このショットが忘れられない。どうすれば良かったのか。このショットで勝てる試合に負けたのだ。

どうすれば良かったのか今でも分からない。第二打で林に入らなければよかったのだろうか。そんな事を言っても仕方のない事か。勝者 K は言う。目標をはっきりと意識し緊張感のある状態で打てば成功するのだ、と。気の緩みがミスショットを生むのだと。

なるほど彼は良い日本陸軍の参謀に成れるであろう。K は王様なのだから、その言や良し。気の緩みはゴルフだけでなく常に何時でも全てを悪くする。過度な緊張も同じだ。問題は気の緩みではない。気の緩みに蔓延に気付けない自分自身の状態なのだ。


反撃の狼煙

K は今回の勝利で朕は王様である自らのたまわれた。下々の者に、負けたことを宣誓せよと発布したのである。敗者どもよ、吾を追い落としてみよ、もしそれが出来るものならばと。

これが革命の始まりである。彼はこの時、敗北者としての講和条約にサインしたのである。それは必ず来るのである。確かに今日は負けた。しかし彼は命を取らなかった。平清盛の二の舞にしてくれる。おごれる K は久しからず。再戦は敗者の権利である。

「二人から始めてここまで準備するのに 20 年、生きてりゃもう 1 回くらいやれるさ。」

これは押井守の最高傑作のセリフである。

(かならず思い知らせてやる!!)

2012年2月26日日曜日

練習場より 2012.02.26 - 大切なことはひとつだけ? guilty or not?

ヘッドの動きについて意識を始めると、恐らく大切な幾つもの事がおろそかになったのだろう。思った通りの弾道が出ず、スイングが狂った。おかしいのに、もう昔の自分には戻れない。

他の全てが手に付かず、その点にしか意識が行かなくなる。それしか考えられなくなる。左肩の動き、腰の止め、幾つもの大切なスイングの要素が失われ、ただヘッドの軌道だけから構築したスイングになろうとする。人は単純化を目指すものだから、ただひとつ以外の注目点など忘れてしまいたいのだ。どうやら大切な事はひとつだけと思い込んでいるらしい。

そして全てを失ってしまうのだ。まるで其れは恋のようなものだ。如何にしてスコアで勝つかという所には大切な事はひとつしかない。しっかりと打つ。それだけ。それだけに集中する。

打つこと、は練習場で仕上げたのだから、コースでは集中だけすればよい。と思っていた矢先にこれだ。練習場でスイングが全て崩れてしまった。

まるでホストに身を焦がし夜の世界に溺れてゆく女性のようではないか。1 アイアンで 270 ヤード飛ばす人がいる。そんな話を聞いて正気でいられる訳がない。とたん、スイングは全身全霊を込めたスーパーショットに変身しようとする。物理学も力学も生理学も全て失われ、筋力でパワーを与えれば飛ぶという宗教の信者に変貌する。お前はプロレスラーのつもりか、と言いたくなる様なスイングである。

何ヶ月もかかって組み立てた全てがボロボロになってゆく。崩れ去ってゆく。こんなはずじゃなかったというセリフは確か LAW AND ORDER の被告人の言葉であったか。

Members of the jury, have you reached a verdict?

Yes. Your Honor.

We find the defendant

Guilty.

明日、私は被告人としてコースに臨みます。

2012年2月23日木曜日

練習場より 2012.02.23 - クラブの軌跡

前も書いたが、ゴルフクラブというのは長いシャフトの先に重心をずらしてヘッドを取り付けている。そのためゴルフクラブは二つの重心が複合して存在する、それらはヘッドの重心とシャフトの重心である。

物理的な運動では、二つ以上の異なる位置に重心がある時、この二つが最短距離となるのが効率的である。いや言い方が違うか、複数の異なる重心がある時、自然はこれを最短距離にする。

何故自然がそうなるかと言えば、引っ張る力というのは最短の距離であろうとするからだ。それがもっとも力を使わなくて済むからだ。ただこの最短というのは状況により異なるし、異なるように出来るものである。自転車のブレーキはワイヤーで手元と結ばれているが、これを納めるケース(鞘)がある。このケースがないとワイヤーはブレーキに力を伝えられない。何故ならブレーキとブレーキレバーの間が直線で結ばれていないからである。鞘によって力の伝わる向きを一方向にすることで、ワイヤーが曲がっていても直線で結んだように力を伝えられるのである。

うちわというものがある。これは風の抵抗を受けた場合、それを最大限に押し返す働きをする。そうなるように押し返す方向と受け流す方向を持っている。うちわの目的からいえば最大限の抵抗を生み出すようにうちわの面は進行方向に対して垂直である。

ゴルフクラブも同様で単に直線的、つまり、一次方程式で示される運動であれば重心は最短距離でよい。しかしトップ位置からボールに当たるまでクラブは直線に運動しない。(X,Y,Z) の 3 つの座標 (3次元) で構成された軌跡を辿る。ゴルフクラブという物理的な運動物体は、場合々々によりその効率的な軌跡は通る。つまり最適な軌道は一つだけとは言えない。

スイングプレーンを円というが、シャフトの動きだけを見ても単純な真円ではない。そこでスイングプレーンはどんな形になるだろうかと聞かれれば、それはクラブに聞けである。

トップの位置からクラブヘッドのフェースの角度は次第に変化してゆくものである。最初は重力方向に動きながらボールの位置まで動く。重力に対するフェース角だけでなく、体の正面を向いていた角度もボールに当たる時には打ち出し方面に変わる。このような複雑な動きが滑らかであるためには、クラブの重心からの影響は無視できない。この軌跡を動く中で最大限の力を与えようとする人間側からの働きかけが更に加わるのである。いずれにしろ、クラブの動く方向というものがある。

だが、それはクラブに聞けというしかない。

2012年2月15日水曜日

練習場より 2012.02.15 - 肩の移動、腰の移動

哺乳類と爬虫類の骨格があるとして、簡単に見分けるならば、肋骨に注目すればいい。爬虫類は首から腰までを肋骨が覆うが、哺乳類は腰に肋骨はない。これは哺乳類が胎生であるが故にそうなっていると考えられる。実際の考古学では区別するのに上顎と繋がる下顎の骨に歯があるかどうかを基準とするらしい。

と言う訳で人間の骨格はガンダムのプラモデルのようにカクカクとしたものではない。肩が胴体の真横から伸び出てグルグル廻るというものではない。ゴルフスイングを、爬虫類もガンダムも出来ないのはこういう体の構造を理由とする。

さてトップの位置では左肩は大きく右側に移動している。レントゲンを見たわけではないのでどれくらい左肩が右に寄るのかは分からないが数 cm は右に寄っているだろう。トップで右側に寄った左肩はスイングの開始から右下、下、左下と周りながら最後は左外側に移動する。スイングではこの数 cm の左右の移動を無視できない。肩の関節はガンダムのように決まった場所でクルリと周る訳ではない。

腋を締めるというのは基本姿勢の鉄則であるが、これはゴルフでも同じ事だ。腋を締めるとは体の横でぴったりとするという意味ではない。

スイングでは、右側にある左肩を左側に戻す動きが入る。これを始動のエネルギーに使い、左肩を戻った位置で停止させ位置をキープする、逆の言い方をすれば、左に進もうとする力を右側に押し戻す力が働いているのであり、この右側に戻そうとする力の反対にある左側へ進もうとするクラブの力は均衡が取れた状態にある、クラブがある程度まで進むと左肩も左への動きを再開し最後はクラブと供に左後ろに抜ける。左腕は回転するというよりも後ろに引かれていたゴムが戻るように動き出す。その後で動きを止め、最後はまた左に流れる。最初の戻る動きが重要で感覚で言えば回転というよりも伸長である。


これと似た右から左への移動は腰でも起きる。軽自動車のエンジンとF1のエンジンは同じ仕組みとはいえ大きく違う。同様にウェッジとドライバーのスイングも異なる。ドライバーの力は大きいため打つ時には尻を椅子に座るよう重心を落とした方がいい様だ。またスイングでは右足がつっかえ棒のように伸び切ってはいけない。この意味する所は右股関節を固定し切ってはいけないという事だ。腰もスイングによって左側に動き左股関節の内側に体の重心が当たるのであるから、それが成就されるためにも股関節も動きやすい形になっていなければならない。股関節が移動するためには足が伸縮する以外にない。伸び切っていては縮む事はできてもそれ以上は伸びる事ができないのである。

2012年2月14日火曜日

練習場より 2012.02.14 - 背中の壁

日本の家屋は柱をもって構造を支える。

一方で壁をもって構造を支える家屋もある。

ゴルフに於いても支えるものがある。柱で例えたのだから其れは背骨と思うだろうが、実際は背中全体の筋肉で支えている。どちらかと言えば、柱というよりも壁で支えている。

この壁が途中で折れたり傾いたりするとスイングは倒壊した家となる。ツーバイフォー工法で建てた家は地震に強いそうである。つまり、スイングの途中でゆらゆら揺れてもスイングは出来てしまうのだ。結果を問わなければ。

背中を壁として働かすのであれば、固定された壁としての背中と腕という可動域は上手に折り合う必要がある。そうしないと腕は壁に当たりに行く事になる。

自動車で自分の家の壁に向って突っ込むのが愚かな様に、スイングで自分の腕が自分の体にぶつかっているようでは力が失われるだけでなく体を壊してしまう原因になる。この背中が壁のように上半身を支えていることは意識してもよいと思う。

これがぐらつかない様にトップを形作り、クラブのスイング軌道に対してこれが邪魔にならないように体を振舞う。