練習場での最高のショットが打てるなら、僕は自分のゴルフに自信が持てる。しかし、月曜日にいい感じと思っても、木曜日に行けばグダグダのスイングになる。株価のように常に上下動する。なぜ月曜日のように打てないのだという気持ちは、練習場でも、コースでも起きる。
無風で暖かな東筑波である。昼前になると池から水蒸気が沸き立ち、煙が林の中へと流れてゆく。ゴルフ日和だ。僕のスイング以外に文句はない。
勿論、原因は分かっている。一緒に回る連中がいけない。IT, K, IW である。あいつらにカッコいいショットを見せてやりたい、飛距離で優越感を味わ敗北感を味わせたい、ショットに失敗した横を鼻歌まじりで通り過ぎたい、池ポチャしたのを憐れみたい。
ああ、なんという小さな願望。だが、あいつらが池ポチャをする時には俺もしている。飛距離では置いていかれ、ちょろした横をやつらのボールが豪快に飛んでゆく。
力みがある。飛ばしたい願望がスイングや体幹のバランスを崩す。オーバスイングは、重心のバランスを崩し、トップの切り替えしを早くし、軌道を外す。
それを訂正するのに 9ホールもかかった。後半の僕はリラックス、リラックス、肩に力を入れない様に確認、軽く振る、その方が飛ぶ、両肩はゆっくりと動かせ、打ちたい方向に両腕は向いているか、それを自分自身に言い聞かせた。ゴルフとは自分との戦いだ、というのは正しくない。自分の力みとの戦いだ。それは自分との対話だ。
何もない練習場では出来たはずの事がコースでは出来ない。あれは何であったのかと幻のように思われてくる。それを思い出そうとする。不思議だ、自分のスイングは、自分のものであったはずなのに、自分の自由にならない。
(Catch swing if you can)
最も大切にすべき事が何であるかをずっと探してきた。右肩も脇腹も右膝も、色々な所を発見した。それを捕まえたと思えば逃げてゆく。右にあったかと思えば左になる、下かと思えば上になる。
つまり再現性の乏しい理解なのだ。それではコースでは使えないという事だろう。練習場で何かを見つける、摘む、しかし、それが崩れた時に元に戻せるか。どうやって立ち直せるか。
スイングの再現性、これが 2013 年のキーワード!
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