2012年12月24日月曜日

練習場より 2012.12.24号 - 感覚と力み

スタンスで立つ、そこからトップの位置を作る。その形を大切にする、それだけの事なのに。

トップを作ると、右膝が前に出て左膝は後ろに下がる。左わきが捩じられ、右肩が左肩に近寄る。こういった体の状態は、そうする、ではなく、そうなる、と言うべきものだ。

これらの体に起きる現象は色々な観測から得られた情報である。写真やカメラで撮影したり友人に指摘してもらったり。その中でもっとも強い観測点は己の感覚である。

感覚は鋭い代わりに局所的である。感覚は一定ではない。同じ現象を違うものとして認識してしまう事もある。参照透過性がないように見える。変わったのは現象ではなく、周りの環境や体調かも知れない。そういうトータルのものが感覚である。感覚がどこまでを含めているかを意識は知り得ない。意識が無視している事も含めて感覚は伝えているかも知れない。その取捨選択を意識が行う。正しく伝えても誤解は起きる。だから感覚は局所的でもあるが実は全体的でもある。

感覚がキャッチしている空間よりも意識は狭い。意識は一点にフォーカスするのが得意である。感覚が局所的とは意識が局所的だからだ。感覚が伝えようとするものにフォーカスすれば他は消えてゆく。このフォーカスが力みに繋がる。感覚の全体を意識が捉えようとするのなら意識は感覚の全体と同調するしかなく、それは意識の消失 (無意識) に等しい。

トップの時に体は右に曲がる。クラブは高さによる位置エネルギーを持っている。体幹は肩によって捩じられており、この状態からスイングが開始される。

力みはトップを大きくする。トップは小さい方がいいと思われる。どれくらい小さくかと言えば、体の芯が動かないくらいに。ふにゃとするくらいでいい。捻り過ぎるのは硬直化したギンギンだ。それでは返しが出来ない。

スイングは "ある時にある場所で" このような状態にする、と言う運動ではなく (形の再現)、スタンスからトップ、インパクトの一連の流れの中にある。捩じられた肩、脇腹、膝は連動している。流れの中に強弱を付けようという意識があれば力むを生む。

捻られた肩が逆方向に反発してスイングにパワーが与えられるのではない。筋力が与える力も早さもクラブの運動から見れば些細なものだ。クラブの回転する力(遠心力)に筋力はとても敵わない。それは拳で殴るのとクラブで殴るのを想像するだけでいい。シャフトがもつしなり、長さが生み出す力は最初に与えられた力を何倍にも増幅するのである。

そこにもっと力を与えればクラブは更にパワーを生み出すではないかという考えがある。しかし、もっと力を与える為にはもっと長い時間をかけて力を伝えなければならない。動き出したクラブのスピードは筋肉の動きでは付いて行けない。そこで力を抜けばクラブは加速できるが、もっと力を与えようとすれば、先に行こうとするクラブを呼び止めて足止めして力を与えようとしているのと同じだ。力は与えたかもしれないが時間を奪ってしまった。クラブは呼び止められたので貴重な加速する時間を失ってしまった。筋肉が力をクラブ与えていい時間はほんの一瞬だ。それでタイムアウトする。

体は動かない方がいい。動かないだけでなく、ゆっくりとした方がいい。体がゆっくり動く方がクラブは高速に移動する。それはクラブの加速を筋力で邪魔しないからだ。

この力みについては、プロギア DUO HIT 4 番が有用だ。このクラブはとかく力みを嫌う。少しでも力めば全く当たらない。ここがこのクラブの長所とも言えるし欠点とも言える。このクラブは、練習場で正しく力みのないスイングが出来ているかを測る物差しとして使える。しかしコースで力んだらさえない結果しかもたらさない。コース上でのミスを許さないクラブというのは本当はコース上では使うべきではない。スイングが狂っても結果が悪くならないクラブを使う方がいい。

とにかく力みの問題だ。

2012年12月16日日曜日

GOLF 2012.12.16号 - 東筑波 - Catch me if you can

練習場での最高のショットが打てるなら、僕は自分のゴルフに自信が持てる。しかし、月曜日にいい感じと思っても、木曜日に行けばグダグダのスイングになる。株価のように常に上下動する。なぜ月曜日のように打てないのだという気持ちは、練習場でも、コースでも起きる。

無風で暖かな東筑波である。昼前になると池から水蒸気が沸き立ち、煙が林の中へと流れてゆく。ゴルフ日和だ。僕のスイング以外に文句はない。

勿論、原因は分かっている。一緒に回る連中がいけない。IT, K, IW である。あいつらにカッコいいショットを見せてやりたい、飛距離で優越感を味わ敗北感を味わせたい、ショットに失敗した横を鼻歌まじりで通り過ぎたい、池ポチャしたのを憐れみたい。

ああ、なんという小さな願望。だが、あいつらが池ポチャをする時には俺もしている。飛距離では置いていかれ、ちょろした横をやつらのボールが豪快に飛んでゆく。

力みがある。飛ばしたい願望がスイングや体幹のバランスを崩す。オーバスイングは、重心のバランスを崩し、トップの切り替えしを早くし、軌道を外す。

それを訂正するのに 9ホールもかかった。後半の僕はリラックス、リラックス、肩に力を入れない様に確認、軽く振る、その方が飛ぶ、両肩はゆっくりと動かせ、打ちたい方向に両腕は向いているか、それを自分自身に言い聞かせた。ゴルフとは自分との戦いだ、というのは正しくない。自分の力みとの戦いだ。それは自分との対話だ。

何もない練習場では出来たはずの事がコースでは出来ない。あれは何であったのかと幻のように思われてくる。それを思い出そうとする。不思議だ、自分のスイングは、自分のものであったはずなのに、自分の自由にならない。

(Catch swing if you can)

最も大切にすべき事が何であるかをずっと探してきた。右肩も脇腹も右膝も、色々な所を発見した。それを捕まえたと思えば逃げてゆく。右にあったかと思えば左になる、下かと思えば上になる。

つまり再現性の乏しい理解なのだ。それではコースでは使えないという事だろう。練習場で何かを見つける、摘む、しかし、それが崩れた時に元に戻せるか。どうやって立ち直せるか。

スイングの再現性、これが 2013 年のキーワード!

2012年12月14日金曜日

練習場より 2012.12.14号 - お腹の動き

飛ばすためには、力んでも仕方がないことをよくよく理解しなければならない。

しかしどうすれば飛ぶのかと思えば、やはり力がいる。

力を与えるには、質量と速度が必要である。クラブの質量は一定だから速度を増やす以外に飛距離を伸ばす方法はない。力を与えるには、力を強くすればいいと考えるのが自然な感情である。

筋力で速度を上げる。

筋肉には瞬発力と持久力があるが、加速度を与えるのは瞬発力系の筋肉だろう。ところで力むというのは長く筋肉を緊張させる行為だから瞬発系の力ではない。

どちらかと言えば、重いものを持ち上げたり、押し続ける時に使う力だ。力を与えたいと言う考えは無意識のうちに質量の大きいものを動かす事を連想するのだろう。F = ma (質量×加速度) であるから間違いとは言えない。ただ生理学的に効果がないだけだ。

飛距離を伸ばしたいなら、加速度を上げる外に腕を伸ばす方法もある。

円運動の速度 = 円の半径×角速度 だから、半径が長くなれば速度も上がる。角速度 = 角度/時間 だから、ボールに当たる時に半径を長くすれば速度も上がるはずである。トップの位置では手首が曲がっていてもそれを直線にする事で半径が長くなる。

つまり結論としては力むよりも、体の力を抜く方が速度には重要である。

トップを作った時に、左肩が右に曲がり、右腹も曲がる。その時に体の重心は右肩の下側に位置する。体の中では、体幹、とくに腹部がもっとも重い。腹部の重量が一番重いのだ。丹田はもっとも重い物が位置している位置であろう。

この重量のあるお腹の動きがスイングで重要になる。トップで右にある重さを、クラブが右から左に行くに従って、お腹の重さも動く。クラブの反対側として動くのがいいかも知れない。左側のお腹もひっこめるくらいの感じがいい。お腹という重い部分がクラブと反対方向に動く。

どこかを意識し過ぎると動きは崩れるものだが、どこか一か所だけや体の中心から外れた所を強く意識すると崩れは更に大きくなるものだ。だから意識のし過ぎはいけない。意識は緊張を継続させ、その部分を力ませる。

さて明日はゴルフである。再び、自分のスイングをコースで試してくる。

2012年12月10日月曜日

練習場より 2012.12.10 - 古武術とゴルフ

甲野善紀の著述を読んでいると身体の使い方について不思議な表現に出会う事がある。

腰を落としたときに足裏が浮く

(古武術も物理学および生理学の範疇なのですよ)

ゴルフのスイングではボールとクラブヘッドが当たる瞬間が肩とクラブヘッドとの間の距離が最も長くなる時であろう。そしてこの瞬間に体は反動で空を飛ぶものなのである。体が浮くので足裏が体重を感じない状態になるのである。

そうするとどういう状態になるかと言えば、一瞬とは言え体は地上から離れて空に浮く。宙に浮いているので体の支えを失うはずである。だから体はクラブとボールが当たる瞬間に中空でバランスを取らないといけない。この意識が方向性の狂いを少なくするようだ。

とは言ってもも此れは飛び上がる動作ではない。どちらかと言えばクラブヘッドの運動の力で浮き上がるという感じ、その力によって一瞬だがクラブの上に乗るというそんな感じなのである。

この事から体が左右に動いてはいけない話しに繋がる。浮くなら真上に浮くのがよろしい。右から左への回転や勢いでは浮かばない、左側で止めてその反発がないと浮かばない。

過去の記事に大地から一本の棒で突き刺された感じでスタンスをする話を書いたが、それから少し先に進んだと思う。大地に突き刺さったままでは駄目だ。飛べ。

塩田剛三は、呼吸力を出すためには足の親指を地面に食い込ませて立たなくてはならない、と語ったそうである。これは歩く時の話しではある。更には常に食い込ませろとは言っていない事に注目したい。

勉強とは自ら考える事だ、練習とは探求する事だ。と同時に体で覚える事でもある。

一瞬のバランスであるから、体はなるべく閉じる方がいいだろう。すると自然と腕と体の間の空間が閉り、右腕の動きがスムーズになる。

この感じに近いのは、マスオさん (大正6年生まれ) に驚いた時であろうか。