2017年4月16日日曜日

練習場より 2017.04.16号 - かっこいいスイング

ゴルフバーに行ってきた。最近のそれはスイング動画も見せてくれる。すると自分が思い描いているイメージと実際のそれが全く違う事に気づく。自分のフィーリングに対する不信感を思い知らされるわけである。

何より、その動画に写っている自分の姿はブサイクである。だから分かったのだが、カッコいいかどうかはスイングにおける最重要課題である。プロゴルファのスイングはかっこいいか惚れるかは別にして、少なくともみっともないものはない。さずがはプロである。プロとは人に見せる/魅せるものを提供する人たちの事だ。

さて、自分の映像を見ればもう穴の中に駝鳥の顔をうずめたい気分である。だが、よくよく見るとふたつの大きな欠点に気付く。ひとつはトップで右に体が寄り過ぎている。

これは重心の移動を利用しようとしているのだが、もちろん、プロのスイングを見ればわかるが、重心を移動する必要はない。体はほぼ真っ直ぐな状態で良いのである。つまりトップで右に動かし過ぎ。

大きく動けば、膝の曲がりも大きくなる。右膝が大きく前に出て、左膝が伸びた形になる。これを元に戻すのは非常に困難なはずだ。トップはゆっくりと形作れば良いが、スイングはわずか0コンマ数秒という瞬間で終わる。

その次に。フィニッシュがいただけない。もうぐるりと体ごと回転している。これはスイングがオーバー過ぎるというよりも、クラブの軌道が水平すぎるのである。大きく軌道を作ろうとする気持ちは分かるが、それが水平すぎて、フィニッシュは体ごと左に捻るしかなくなっている。

そうするのではなくて、背骨の真っ直ぐさを変えない事。そうしておけば、顔の位置も残る。これが重要だろうと思った。顔の位置を真っ直ぐにすると、ゴルフクラブはスタンスの位置では辛うじて見えていても、すぐに視界から外れる。クラブを見る事なくスイングするという感じ。

とにかくかっこいいスイングを求める。そのための撮影だ。。。

2017年4月9日日曜日

練習場より 2017.04.09号 - われらクラブの奴隷なり

きよみちゃんは舐められるのが好きだとして、あかねちゃんも同じとは限らない。クラブだって同じである。それぞれが違う。

ならば、クラブが異なればスイングも変わるのが道理のはずである。スイングにも同じ部分があるのは、スイングをする体が同じと言うだけである。

スイングの同じ部分は体に属するパラメータの話だし、違うのはクラブやアンジュレーションのパラメータである。それらを統合するのが物理法則と言う事になる。

いずれにしろ、ゴルフクラブが位置エネルギーを獲得してどのように運動を始めるか、と言うのは、大まかに捉えればトップとフィニッシュの間をどのように結ぶかというイマジネーションの領域であり、それをクリエイティビティと呼ぶ。

力んでいてもスイングはできない、と得心するには長い時間が必要だった。力む方が力を与えられると考えるのも、力を与えた方がボールが飛ぶと考えるのも、根拠のない思い込みというよりも、ほとんど科学的な洗脳に近かった気がする。

実際には、力んでもクラブを動かすことはできない事に注目すべきだ。クラブを動かすには、筋肉の収縮が必要である。それも瞬間的でなければならない。速筋で瞬間的にパワーを与えるべきで遅筋の参加する余地はない。

なぜならゴルフクラブの速度が速すぎて速筋であれ、遅筋であれ追いつける速度ではないからである。力むとは力を与え続けようとする行為だが、もちろん、120kmの速度で動いているものに50kmの力を与えようとしてもクラブと体は繋がっているので減速に働く。よってクラブは一瞬で飛ばす。その後にだらだらと力を加えても邪魔にしかならない。

力の前に、例えばドライバーでも、クラブヘッドがどのように動くかが重要である。軌道がダメなら、どんな力を与えても最高のパフォーマンスは発揮できない。力んでクラブヘッドを加速しようとするよりもずっと重要である。

スイングはクラブが行う。よって運動の主体はクラブのはずだ。トップの位置では、このクラブがどのように動くかをイメージする。どのように力を与えようかと考える必要はない。

クラブがどう動くかが見えてくれば、体がそれに勝手に合わせると思う。これと逆の道はない。体がこう動くから、クラブはそれに従うという考えはダメだと思う。クラブがこう動くから体はこう動くことになる。脳も体もゴルフでは主人公ではないのだ。

よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたくたたず。徒然草第二百二十九。

よく切れる刀だから良いのではない。刀が仕事をする。刀を使っているのではない。刀に使われているのである。自分が仕えるのによくあった切れ味と言うものがある。

そのクラブによくあった振りがある。クラブの動きを自分の思い通りに出来るなどない。それは自分の思い通りにクラブが動いたのではない。クラブの動きにあうように自分が沿えたのである。

練習場より 2017.03.20 - 視界

・魚の背骨しか見たことないから、なんとなくまっすぐという気がしている。
・背骨の付き方というものは、主に魚でしか見ないものだから、だいたいまっすぐだと思っていたりする。それはロボットアニメの骨格もそうなっているし、人型ロボットでも同様である。

という思い込みは理科室で人体模型を見た程度では、置き換わらないのであって、そのために、体の構造について間違った思い込みをしている可能性が高い。

首といえば、肩から上の細い所だと思っている。だが背骨の湾曲を見る限り、頸部湾曲、胸部湾曲、腰部湾曲と3か所で曲がっており、Wを横に回転させたような形になっている。

この湾曲がクッションの役割をすることは明らかであって、それが脳の揺れを軽減するのも当然といえる。もし湾曲がなければ、ちょっと飛ぶだけで脳震盪を起こすかも知れない。

そしてそれが意味するところは、首や肩という別け方とは違った体の分類を生むと思われるのである。

つまり首はどこからどこまでかを把握するときに、
  1. 外から見たフォルムで判断する
  2. 筋肉の構造から判断する
  3. 背骨の機能から判断する

と考えられる。

そういう形状を踏まえれば、湾曲している場所で支えているというより、三極の付け根で支えていると考える方が合理的だと思う。すると背骨でまっすぐになっているのは、腰のくびれ当たりと、胸の真ん中あたりになる。

つまり、首というものは骨的に見れば、肩甲骨の下あたりから始まり、その上を指すだあろうと思ったりもするのである。

すると普段、首と呼んでる部分は上半分だけだと考えるとわかりやすい。肩と首で十字の形になっていて、それが体幹の上に乗っているという感じである。

という話はあまりスイングとは関係ない。スイングするとき、不安であるがゆえに、グリップを視界の中に収めておきたいと思うらしい。だが、これがスイングには悪いようで、グリップは視界の外を軌道するべきものらしいのである。

そうすることで初めてスイングに意識が行くようになった。目に見えないのだから、グリップもクラブのスイングも想像するしかない。つまり、体全体で感じる感覚をもとに、こうなっているという認識する状態である。これが意識するのとまったく違う感覚であるという事に気付いた。認識と意識はどうやら全く違う働きであるようだ。

視界に入ってこないようにするためには、スタンスも見直すほうがよいようだ。前屈みにならないような体制のほうがよい。イメージとしては背骨の湾曲とは逆の方向、二十六夜とか有明の月のように逆三日月のように胸を張った感じのほうがいいようだ。

そうすると、太った人ならお腹にグリップが隠れるような感じになるだろう。そこから視界の外をトップ位置まで登る。そこから、まず降りるという形が大切なようだ。

左腕がスムーズに動くためには、円運動ではダメなはずだ。まず下に大きくおりて、そこから加速するための弧を描くようなイメージだろうか。とにかくグリップが視界の中にいないわけで、目視確認などできるはずもない。

おそらく上から下、下から上という軌道をずぬっと降りぬくのは人間技ではない。たぶん物理学的にも間違えている。静止したところから加速によって速度がまし、加速をやめ停止に至る。その運動と、体の動きとがマッチしなければならない。

それぞれのタイミングで最適であろう方が望ましい。そのような軌道を見つけるのに、視界という考えを導入したわけだ。