2016年11月20日日曜日

練習場より 2016.11.20号 - パワーロス

我々は、どれだけパワーを発揮できるかだけではなく、如何にパワーロスを減らせるかにも着目しなければならない。

パワーロスとは、負の方向に向かうものであり、力みが原因となることも多い。だが力みだけがその原因ではないという話である。

単純に言えば、摩擦である。摩擦を減らすことで高性能になるというのは、マグネットコーティングの考え方である。つまりはガンダムだ。

スイングの中でもっとも動く部分に注目する。一部に注意して、全体を作り上げてゆくのはそんなに間違った方法ではないと思っている。

フォーカスする場所は、夫々の人によって異なるだろう。自分の場合は左腕である。人によってそれぞれだから左腕に限ることはない。右腕でも、足の動きでも構わない。もちろんプロともなればもっと多くの場所を意識しているだろう。

だが、アマチュアならば、ひとつの部位だけで十分だと思うのである。先ずは隗より始めよである。ひとつの場所が正しく動作するなら、他の部位も正しさは伝播している。

例えば、歩兵があるエリアを制圧しようとする時、その領域を空軍に爆撃要請する。もし空軍が爆撃に失敗すれば作戦は失敗する。

これと同じなのだ。左腕が正しく動くためには、肩であったり、腰であったり、脚であったり、そのほかの場所に動きを要請する。これから左腕は右から左に向かって動きます。腰はこれをちゃんと支えてくださいね、みたいな協調が体の中で発生しているはずである。

ある一部分が完璧に完全である時、その周囲も完全に動いているはずである。お互いに影響しあっているはずだから。

これらの各部の協調、シンクロナイズがスイングの全体を形作るだろうと思うのである。

それはまるで一枚の絵のようなものだ。たった一本の線がすべての配置を決めてしまう。一本の線を少しずらすだけでも、全体を見直さなければならなくなる。それはまるでひとつのデザインのようなものだ。ほんの少し配置を変えてしまえば、全体の印象をまるで変えてしまう。

では、左腕の完璧に正しい動きとはどういうものか。これが実は謎であって、そういうものがあるのか、ないのかさえはっきりしない。

ゆえに完全に完璧は困難だとしても、線形に完璧に近づく道はあるはずと信じることはできる。もし非線形ならば、80%の次が81%とは言えないので、完璧に近づくという考えが無駄かも知れない。

それでも、スムーズさ、トップからフィニッシュまでの動きが滑らかであること、加速域が想定された場所で起きること、あたりをチェックしてゆけばよいのではないだろうか。言い換えれば左腕がパワーロスしないことを意識する。そうすることで、恐らくだが、それ以外の部位もそれなりに正しい動きをしているだろうという信仰である。

もちろん、天才でなければ分からない組み合わせはあるだろう。このあたり、数百年の人間の営みを超えて新しい手を見つけ出す囲碁の AI みたいな話だ。

2016年11月13日日曜日

練習場より 2016.11.13号 - 部分の正常性が全体に及ぼす影響

回転する物体にも力が掛かっている(角運動)。その力は基本的にふたつの直線の力に分けて考える事ができる。そのひとつは回転する方向にかかる直線の力である。一般的に力がかかった物体は直線に動く。

回転する運動から直線に移行する運動には、例えば手から離れたり、クランクが切断された時の運動がある。回転中に手から離すことを利用したスポーツのひとつがハンマー投げである。

この原理はゴルフスイングでも同様であって、クラブヘッドはまっすぐ動こうとするが、腕がそれを引き留めている。だから円状の軌道を通る事ができる。

よってゴルフスイングのパワーロスの殆どは、円運動をさせるために発生していると言っても過言ではなく、要はゴルフクラブが飛んでいかないようにする力がパワーロスの原因と言える。

グリップもそうであるし、左腕の使い方もそうだ。右腕の畳み方も、上体の開き方も同様である。

複雑な動きがあると様々な要因でパワーロスが起きる。どれが原因となっているかを正しく見極める事は重要である。なぜなら、原因を間違えると、対処法も間違えるからである。

直さなくて良い所を修正すると、その影響が広く及ぶ。元々の原因が取り除かれていないので、パワーロスは取り除かれていない。すると、その修正は何の影響もしないか、またはもっと悪くなるかのいずれかだろう。

仮に悪い原因を正しく取り除いたとしても、それが多数ある原因のひとつに過ぎないならば、必ずしも良くなるとは限らない。取り除いたために、別の場所に新しい原因が発生するかも知れない。もっと悪くなる可能性さえある(全体のバランスが更に崩れるため)。

逆に、それを取り除くためには、悪い箇所ではなく、全く関係ない場所に手を入れるべきなのかも知れない。それによって全体が良くなる可能性もあるわけである。複雑すぎてなんとも言えないのである。

音波に音波を重ねると音を消すことができるが、重ね方次第では増幅する。スイングのどこが間違っているかを語るのは難しい。微小な関係が複雑に入り組んでいて人間業とは思えない。

だから、とりあえず次の方法論を採用するのである。

例えば、左腕の動作だけは完璧であると仮定する。その上で次の対応を考えてゆく。幻想の階段をひとつだけ設置する。その上に本物の階段を構築してゆくようなものだ。

もちろん、左腕の動きが完全に正しいはずがない。それでも左腕には不具合がない、そこは間違っていないと仮定すると話を先に進める事ができる。

トップしたり、ダフったりとしても、左腕は原因ではない。とすると、何が原因であるか。上体の角度か?膝の動きか?というように推測してゆく。

クラブと左腕の進む方向は一致すべきか?それとも角度を持っているべきなのか?左腕が動くときの右腕の位置はどうすればよいか?

そうやって、ある特定の場所は完璧であると仮定するならば、スイングを形作るものが色々と変えてゆけるだろうと思うのである。

もちろん、明らかに左腕が間違ているという場合もある。それも常にチェックしておかなければならない。逆に言えば、左腕の動きが完璧でなければ、他を意識しても仕方がないとも言えるわけである。

つまり、左腕の動きが完璧であるとは、左腕だけでも完璧に動かそうとする意識と言ってもよい。

一か所だけでも(グリップであれ、左腕であれ、右腕であれ、右足であれ、左肩であれ、背中であれ)完全に近いというレベルにまで高めることが出来れば、それに引っ張られるように全体も正しくなると、信じてもよい。

なぜなら、全体が密接に関係している以上、ある一箇所の動作が完璧に正しいならば、全体も正しくなっているからである。もし一箇所にでも正しくない動作があるのなら、どこひとつとして完全にはなっていないのである。全てがつながって全てが影響し合っているならばそうなるであろう。

箱の中にある気体の分子がひとつ動いたのなら、その箱の中の全部の分子がその影響を受けて動くはずだからである。ただ影響が大きいか小さいか、その影響がすぐに消えるか、ずっと長く続くかだけの違いである。

これは次のような式にしてもよいだろう。

A1+A2+B1+B2+...+Z1+Z2 = 0

合計が 0 の時がスイングは理想的な状態にある。

すべての要素(A1,A2,...Z1.Z2)が 0 である時、これは完全な理想形である。だが、合計を 0 にするのに全てを 0 にする必要はない。A1 が 10 であっても B1 が -10 なら打ち消し合って 0 になる。これでも理想的なスイングは得られるわけである。

もし A1 と A2 が独立した値ならば、お互いは影響しない。ひとつひとつの要素を 0 にしてゆくしかない。

全ての要素が関係しているとは、A2 = A1 + 2 のように式をひとつの要素に置き換える事ができる場合である。こうすれば一箇所(ひとつの要素)を 0 にするだけで結果を 0 にすることができる。

これはすべて仮説(hypothesis)である。

2016年11月6日日曜日

練習場より 2016.11.06号 - スイングをよく整備せよ

人間の動作というものは日常生活では大抵は成功するものである。コップを掴むのに失敗したなど聞かない。もし落としたらそれは病気の兆候である。

それくらいに自分たちは日常生活の中で体の使い方に対して無頓着である。無頓着でもうまく動くようになっている。我々は、何も意識しなくたって、うまく立ち回っていると思い込んでいるわけである。

例えば自転車。何も考えなくても乗ることができる。漕ぎ方で悩むこともない。だから競輪選手やロードレーサが自転車に乗っているのを見れば、自分でもできそうだなと思ったりする。

何も考えなくても自動車が運転できる。だからレース場でかっ飛ばしてみたいなと思ったりする。

それもこれも、我々の日常が、失敗に対する許容範囲を広くとるように上手く作られているという事実を忘れているからである。

コップを持つのに数センチずれたところで、困らない。それは人間がうまくやっているのではなく、そうなるような形状で作られているだけである。あれはどこを持っても落ちにくいように工夫されてきた形なのである。これは人類が長い時間をかけて洗練させてきた形と言ってもいい。

自転車は、自転車の機構だけではなく、それが走る道路もまた自転車が走りやすいように作られてきたのである。だから自然の地形を走るトライアルなどは、はなから無理と思うわけである。

トライアルは無理で、ロードレースならやれそうだと思うのはなかなか無邪気な考えである。

どのような競技であれ、最高峰のプロともなれば、重心の位置であれ、関節の角度であれ、筋肉の使い方であれ、数mmの精度、時間にして0.1秒単位の精度で競っている。

そういうぎりぎりの極めて恣意的に成功させなければ成立しない世界でその人たちは競っている。それを形だけ真似て似ているから自分でもできると思うのは、景徳鎮の偽物を本物と喜んでいるのと相違ない。

人間は無意識に出来ることは、自然に出来ていると思い込んでいる。しかし、人間は上体を起こす動作さえ、どの筋肉をどのように使うかは人それぞれで異なっているといってもいいくらいに自己流である。背筋で上体を持ち上げる人もいれば、腹筋で押し上げる人もいる。

ただまっすぐ立つ動作でさえ、どの筋肉をどれくらい使っているかは何通りもあって、関節の角度まで測れば千差万別であろう。

どれが自然かと問われたらどれも自然である。それは正に多様性という自然の戦略である。試行錯誤によって可能性を高める進化論の中は、どの方法も不適合や不適切がありうる。どれも可能性の問題であり、それを決定するのは環境との相性だからである。単なる組み合わせの問題だからである。

意志をもち恣意的に行う方が、成功率は高まる。自然がそのような方法を取らないのは、意識的に対応しようとする方法は想定内のものにしか対応できないからである。その程度の低い限界に、生命のすべてを委ねるわけにはいかない。

もちろんこれは種の戦略の話であって、ひとつの命、一回の人生に限れば、時代の限界や制限、科学知識、無知、未解明に翻弄されるとはいえ、自然の多様性に賭けるよりは遥かに成功率は高い。また自ら選択し決断する満足感も得られる。

完全ではないが、こうすればと思う方法を試す価値は十分にある。もちろん、それでも失敗する可能性は高い。それでも全体としての視点から攻略するか、個々の視点に攻略するかという選択肢があることは望ましい。

ゴルフスイングは極めて高い精度を求めるものである。その運動は日常生活の延長線には決してない。とても特殊な運動である。

たった一球のスイングが、ピットで整備したレーシングカーのタイムアタックのようなものである。走行前によく点検し、整備を完璧してからコースに送り出す。その繰り返しの中で勝負事は決まってゆくわけである。

スポーツのすべては人間の数百もの関節の角度の組み合わせと言ってよい。その僅かな差がどれだけ影響するるかは明らかである。一度ずれるだけで、100m先ではどれほど違うか。少しのタイミングの差でスイングは全く違うものになる。

体幹の右側への右腕の当たり方ひとつとっても、その影響は莫大である。その違いだけで、見ているだけでは違いがなさそうに見える二つのスイングが実は全く違う、という事はあり得る。

それを本物と偽物と呼んでも差し支えない。カマキリとカマキリモドキかも知れない。進化論ではどちらが優れているという話はない。

機械やプログラミングであれば、関節にセンサーを乗せて、角度を測ったり、モータの回転を制御すれば理想的なスイングが再現できるかも知れないが、人間ではそうもいかない。人間は全ての関節を意識的には動かせないのである。

だから、どう意識して、どう反復して、練習を積んでも、まったく同じスイングをするのは難しい。さらにスタンスも風も湿度も刻一刻と変わってゆく。

いずれにしろ、角度は重要である。スイングは、最初にゴルフクラブを落とす所から始まる。位置エネルギーを運動エネルギーに変える運動は、自然と右腕の位置をどうするかを規定する。あまりに、体の横すぎれば、右から左への移動で障害になるし、前に出過ぎたら、横移動する時に力が集中できないであろう。

背が丸まった形では、ドライバーでは力が上手く発揮できないし、だが、後ろに伸び切ってしまうと、今度はピッチでの精度が落ちる。それぞれで角度は違うであろうという事は予測できる。

まずは右腕の角度というものについて、この精度について検証したい。