人は未来に向かって生きる。しかし、現実に生きていられる時間は、今という瞬間しかない。だから、いつも人は、一度未来を生きてみて、今という過去に戻ってくる。その来るべき未来に味わった後悔から逃れるために、今に立ち戻り、今をもう一度生きてみる。
ゴルフもまた同じ。スイングをする前に、未来を思い描く。そこには様々な可能性の未来がある。全てが上手くゆく未来。べたっとピンに寄せている自分。距離が足りずにバンカーに入ってしまう自分。大きく曲がり林の中に吸い込まれゆく自分。
様々な成功も失敗も経験した上で、こうはなりたくない、だけれどもトライしてみなければ結果は分からない。それを知った上で、自分はこうチョイスする。そのたった一度のスイングは未来の後悔から振り向いた過去として行われているのである。
後悔したくなければ、それは結果にではなく、今の自分に出来る事にフォーカスするしかなく、それは我を無くしてスイングするという事でもある。
腕の角度も、腰の持ち方も、それぞれはスイングの結果とは何も関係しない。ただ、このスイングを良きものにしたいという考えだけで決定する。最高の結果を求めるし、それは過程によって決定すると知ってはいても、その選択がどのような結果をもたらすかは打ってみなければ分からない。もちろんあらゆる限りの知識を動員して、方向を決め、距離を決め、クラブとスイング径を決める。
だが、それは結果ではない。私たちに残されているのは、考えられる限り理想的なスイングをする事だけである。
クラブがどのように向きを変えるか、それがどの場所で起きれば、パワーロスの少ない最もスムーズなスイングになるか。大切な事は、右足よりもずっと右の場所でそれは行われなければならないという事だ。パターでさえ、右足よりももっと右側でダウンに入っている。
という心構えをしてもコースでは失敗の連続である。その度に、どう微調整すればいいかを考える。その上で、それは今すべきことかと考える。少しずつ改善されてゆくのは練習場も同じである。
同じシチュエーションは二度と来ない。コースでなら確かにそうである。だが練習場はどうか。同じように見える。しかし、それは微視性の問題に過ぎない。それを小さく取れば取る程、練習場でも同じシチュエーションなど二度と起きないのである。あると言うためには違いを無視できるほど微視性を大きくするしかない。
いずれにせよ、我々は常に現在という過去を生きている。意識は先に進んだり、ずっと後ろに戻ったりしながら、あちこちを覗いている。だから、今を生きるとは、未来からみた過去の再現であったり、過去から見た未来の成就だったりする。今だけで今が出来ているのではない。過去のない今などありえない。未来のない今など無意味だ。
もちろん、未来と過去と現在を繋ぐのは単なる脳の働きに過ぎない事は分かっている。脳はそうやって記憶の中から自己の一体性を把握する。その正当性は時間の中に連続性があるという事である。経験は蓄積される。その蓄積された順序が時間の正体である。
もちろん、物理学のいう時間とは量子の振動だったりエネルギーの揺らぎだったり光子の移動距離だったりする。孰れにしろそれはゴルフとはあまり関係ない。
過去から繋がっている未来を覗いてみる。そして、今を未来からの過去として生きてみる。
そういうスイングもあるという話。
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