それはスイングも同様だ。ひとつの動きが次の動きを誘導する。誘導の連鎖がひとつのスイングを作り出す。しかしカオスが教えるように初期値のわずかな違いが全く違う運動を描くように、ゴルフスイングもわずかな違いがどのような結果を生み出すか予測できない。
だからといって、振ってみるたびにてんでバラバラでもあるのも許容し難いわけである。カオスが発生するなら、その条件を検討すべきであるが、少なくとも人間の体は骨格と筋肉によって、カオスの発生は恐らく強く抑制されているように思えるのである。
一方でどれだけ複雑に見えるものでも対称性などに着目すればただ同じ所をくるくる回っているだけの運動かも知れない。ただの螺旋運動かも知れない。
人間の体は投げられたボールの軌跡よりは複雑であろう。200 を超える骨、大量の筋線維が生み出す運動。さらに精神の介入がそこには含まれる。ひとつとして同じスイングはない。ミリ単位で見れば、必ずどこかが違っている。これを cm まで拡張すれば殆ど同じスイングは再現可能と思える。もちろん cm も違えば、結果は m 単位で違ってくるのである。
前駆運動の誘導に必ず従えばよいわけではない。目的を持った運動はどこかで方向転換しなければならない。それをどこで行うかが重要とも言える。従うか、抗うかは When, Where に依存する。
右脇腹がスイングと共に動くとき、それは体を大きく揺らすわけではない。少し収縮する程度である。雰囲気としては、下半身と上半身がひねりの入った少しだけくの字のように感じられればよい。
そしてその後で腹筋が大きく動くタイミングがある。この腹筋で前を向いている体が、ボールの飛翔方向に向きを変える。
- トップ位置からの始動
- 右わき腹の初動
- 腹筋のターン
これらの連動が必要である。あまり意識しすぎると過剰反応となり、体が回りすぎたり、揺れが大きくなって、力がロストしたり、方向性が失われるだろう。
体の動きは発生と結果を繰り返す。ある時点での動きが、ひとつ前の結果であり、次に移るための始動でもある。終わりと始まりを常に兼ねている。
これのどちらか片方だけに注目するのは片手落ちであろう。その形の出来不出来が次に強く影響する。どの部分も、目標でありかつ始点である。スイングの各部分は常に動きの答案(ひとつ前の動きが上手く行ったか)でもあり、出題される問題(次のどのような動きであるべきか)でもある。
我々は自由意志でスイングしていると信じている。しかしもしかするとトキソプラズマに寄生されている可能性も捨てきれないのである。その上手くいったゴルフスイングは自分のせいか、それとも何かに寄生されているせいか。無意識で何かが起きているかを知り尽くすのは困難である。