「てもみん」にはすごい人が居るものである。
首のしわを見て、どうも首を左右に曲げる時に、首の下しか動いていないらしいと指摘された。
肩こり。肩こりの原因は肩を狭めているから。なぜ狭めているかといえば、肩の両側の筋肉で首を支えていたから。
支える筋肉は主動筋と、その補助となる筋肉から構成される。主動筋が何かの理由から働かないと、他の筋肉が肩代わりして働かなければならない。主動筋と比べれば弱い筋肉に長時間に渡り負担が偏れば、そこが凝ってしまう。
なぜそこに負荷がかかっているのだろうか。それは姿勢が原因だと思う。ではどうしてそういう姿勢になるのか。その理由が分かれば改善できるだろう。
何かを支えているとき筋肉は緊張している。謂わば一本の木になっていると考えて差し支えない。そうすると、それらが自由に動けないのは自明であるし、他の運動を阻害する原因となるのも想像に難くない。
肩こりの原因を取り除く為に、首の支え方を変える。てもみんの人が曰く。首には7つの関節があるが、要はひとつの関節だけで首を左右に振っている。
すると可動域が足りないので肩も回さないと首が十分に回らない。感じで言えばマジンガーZのようにひとつだけの首になっているわけだ。
そう指摘されると確かに、肩は両側から内側に縮こまっているし、常に肩をすくめたような形になろうとしている。撫で肩になっていないというわけ。
肩の両側から首を支えているが、その筋肉だけでは足りなくて、周辺の筋肉も参加することになる。肩の周辺の全体の筋肉が緊張して首に近づこうとする。肩甲骨も外側から内側へ入ろうとする。
すべての理屈はそろった。あらゆる症状がこの Hypothesis を支えている。
どうして両側から支えなければならないのか。それは骨の上に頭が載っていないからだろうと思われる。だが、それだけなら主要筋で支えてもいいはずである。
どうやら頭を下の方から固定して支えようとする意識が高いらしい。支えるなら、首の上の方の乗せてバランスを取るようにすればいいのに。
よく分からないが、両肩を盛り上げて支えようとするのには、何らかの合理的な理由があるはずと思うのだ。
筋肉で支えるのではなく、骨を主体にして支えるのにも欠点はある。ヘルニアである。腰痛であれ、頚椎であれ、骨(軟骨)への負荷がヘルニアを起こす。かと言って骨への負荷を減らせば今度は筋肉に支障をきたすので難しい。
いずれにしろ、頭部は、首の左右ではなく、首の後ろで支える方が良いようだ。何故ならそこにあるのが主要筋だから。もちろん、そうやって何かを変えたら別の場所で症状が出るのだろう。
これまで首と肩がほとんど一体化しており、協調して回っていた。これを別々にする。そうやって肩の両側から首の間に一本の棒があった状態を解消したのだから、それがスイングに影響しないはずはない。
肩の回転が自由になった気がする。また内臓を腹筋ではなく、お腹の両側の筋肉で支えるようになった。
支えている筋肉を変えるのは、つっかえ棒を変える事と同義だから、スイングに大きな影響を与えるはずだ。
2015年8月30日日曜日
2015年8月28日金曜日
練習場より 2015.08.28号 - ウェストが細くなる理由
脊椎動物はカンブリア紀に誕生したピカイアの近縁を始祖とする。魚類は脊椎を獲得し、脊椎を中心に骨格を形成し、その周りを筋肉で覆うという運動の基本設計を完成させた。
魚類の多くが体の真ん中に脊椎を配置するが、陸上に生活圏を広げた両生類以降、脊椎は体の上側に、即ち背中側に配置されるようになった。これは当然ながら重力の影響に違いなく、体幹を脊椎にぶら下げらるのが都合が良いらしいからであろう(下から支えるのでもなく、その周りに這わすのでもなく)。
物理的な特性や生物学的な理由は様々あろうが、ひとつにぶら下げておく方が重心を下に置ける。重心は低い方が安定性は得られる。硬い脊椎の上に重量のある柔らかい体幹を配置すると、背骨を中心にひっくり返るモーメントが常に働く。
柔らかい構造を脊椎の下にぶら下げておけば、様々な運動で発生する力をしなやかに受け流し衝撃を回避できる。もちろん、怠け者はどうなのだと言う反論はあるべきだ。その返答には窮するが取り敢えず彼らもぶら下がってばかりではないと回答しておく。
ナマケモノの意外な姿がおもろいwww - NAVER まとめ
脊椎動物の基本設計は、当然ながら四足歩行を前提としたものでありヒトもこの構造を踏襲した設計である。
それまで背骨にぶら下げていたものを方向を変えて配置する。ぶら下げていたものを垂直方向に重ねて配置するのであるから大改造である。それを従来の基本設計と筋肉を使って実現する。縦への配置替えは、詰まるところ、重力で落ちようとするものを如何に骨格と筋肉で支えるかという課題であったろう。
重たい頭蓋骨から肺、消化器官を垂直方向に組み替えるために、背骨を支柱として使ったのは間違いない。そして背骨を中心に筋肉で支える基本構造は変えない。
楽な姿勢を取るというのは、結局は重たい内臓を如何に支えるかという課題である。猫背はそのひとつの答えであって、背骨を前に出す事で内臓をぶら下げようとしているのではないか。
もちろん内臓はぶら下がる形になるので、次第にお腹が出てくる。このふくらみは馬や牛のお腹が自然重力でたるむのと同様であろう。両者の描くお腹の曲線は類似していると思う。
しかし垂れ下がるお腹を腹筋で支えるのは運動への影響は大きいと思う。腹筋を体躯を支えるのに使うと、その他の運動はその仕事の余力を以って行うしかない。これは構造的にそうなるのであるからどうしようもない。
運動の時に内臓はどのような役割を果たしているのだろう。まず体全体の重心を下げる役割がある。これによって体を安定させる役割が生まれ左右のずれを小さくするだろう。
しかし体を安定させるためだけなら、重石があればよいのであって、それを腹筋で支える理由はないはずである。
ウエストと呼ばれる部分をぐーーんと上に伸ばして、上半身と下半身を分離してみる。すると重たい内臓は骨盤の上に乗る。お腹も引っ込む。これは内臓を骨盤と背骨で支えるイメージだ。
どうも腹直筋よりも腹斜筋で内臓を支えている感じがする。そして腹筋が解放されたので、上体が自由に動けられる気がする。これは内臓という重石の配置を変えたからである。
こうして姿勢を変える事で得られる自由度の拡大、配置換えがゴルフのスイングに影響を与えないはずはない。と思う。
魚類の多くが体の真ん中に脊椎を配置するが、陸上に生活圏を広げた両生類以降、脊椎は体の上側に、即ち背中側に配置されるようになった。これは当然ながら重力の影響に違いなく、体幹を脊椎にぶら下げらるのが都合が良いらしいからであろう(下から支えるのでもなく、その周りに這わすのでもなく)。
物理的な特性や生物学的な理由は様々あろうが、ひとつにぶら下げておく方が重心を下に置ける。重心は低い方が安定性は得られる。硬い脊椎の上に重量のある柔らかい体幹を配置すると、背骨を中心にひっくり返るモーメントが常に働く。
柔らかい構造を脊椎の下にぶら下げておけば、様々な運動で発生する力をしなやかに受け流し衝撃を回避できる。もちろん、怠け者はどうなのだと言う反論はあるべきだ。その返答には窮するが取り敢えず彼らもぶら下がってばかりではないと回答しておく。
ナマケモノの意外な姿がおもろいwww - NAVER まとめ
脊椎動物の基本設計は、当然ながら四足歩行を前提としたものでありヒトもこの構造を踏襲した設計である。
それまで背骨にぶら下げていたものを方向を変えて配置する。ぶら下げていたものを垂直方向に重ねて配置するのであるから大改造である。それを従来の基本設計と筋肉を使って実現する。縦への配置替えは、詰まるところ、重力で落ちようとするものを如何に骨格と筋肉で支えるかという課題であったろう。
重たい頭蓋骨から肺、消化器官を垂直方向に組み替えるために、背骨を支柱として使ったのは間違いない。そして背骨を中心に筋肉で支える基本構造は変えない。
楽な姿勢を取るというのは、結局は重たい内臓を如何に支えるかという課題である。猫背はそのひとつの答えであって、背骨を前に出す事で内臓をぶら下げようとしているのではないか。
もちろん内臓はぶら下がる形になるので、次第にお腹が出てくる。このふくらみは馬や牛のお腹が自然重力でたるむのと同様であろう。両者の描くお腹の曲線は類似していると思う。
しかし垂れ下がるお腹を腹筋で支えるのは運動への影響は大きいと思う。腹筋を体躯を支えるのに使うと、その他の運動はその仕事の余力を以って行うしかない。これは構造的にそうなるのであるからどうしようもない。
運動の時に内臓はどのような役割を果たしているのだろう。まず体全体の重心を下げる役割がある。これによって体を安定させる役割が生まれ左右のずれを小さくするだろう。
しかし体を安定させるためだけなら、重石があればよいのであって、それを腹筋で支える理由はないはずである。
ウエストと呼ばれる部分をぐーーんと上に伸ばして、上半身と下半身を分離してみる。すると重たい内臓は骨盤の上に乗る。お腹も引っ込む。これは内臓を骨盤と背骨で支えるイメージだ。
どうも腹直筋よりも腹斜筋で内臓を支えている感じがする。そして腹筋が解放されたので、上体が自由に動けられる気がする。これは内臓という重石の配置を変えたからである。
こうして姿勢を変える事で得られる自由度の拡大、配置換えがゴルフのスイングに影響を与えないはずはない。と思う。
2015年8月6日木曜日
練習場より 2015.08.06号 - せいいっぱいの想い出
思い切ったスイング、充実感を感じるスイングが今回のテーマであったはずだ。力一杯に振ったという満足感がゴルフに与える影響はずっと大きいはずだ。
処がそれを試したくても、左手は屈腱炎だし右手は小指がばね指で痛い。手首も痛い。思った以上に負傷している。
仕方ないから、ベースボールグリップに戻し(これが一番小指への負担が少ない)、力いっぱいというよりも、体への負担を最低限にするようスイングした。
すると、ふと奇妙な事に気が付いた。
スイングとはトップ位置からボールまでの加速で飛距離が決定される。力は質量×速度であり、速度は、距離÷時間であるから(加速度は速度の微分)、飛ばしたいならばボールとトップの間の距離を長くしようとするのは自然に見える。
ところが10cm距離が伸びるとどれくらい力が上昇するかを誰も知らない。まして、それが一次比例するのか、二次比例するのか、それともある距離を境に落ちてゆくのか、それも誰も知らない。
と言うかトップを短くしてフォローを大きくする方が良いスイングに思えてきた。これは物理の常識には反するように見えるが、心理的にも、生理的にも、理に叶っているように感じられる。きっと物理的にも妥当なはずである。
トップは小さく構え大きなフォローを取る。スイングの過程のどのポイントで最大速力に達するかは気にせず、ボールに当たった時が最大速度であることが優れたスイングという考えは捨てる。
普通に考えれば、ボールに当たった後にも加速するのは無駄なエネルギーに見える。その無駄なエネルギーをインパクトまでに投入できれば、更に飛距離が伸びるに違いない。この考えは正しそうに見える。
ただ、それが人間の体の構造上可能であるかという疑問がひとつ。次にボールに当たった瞬間にボールからの反動に負けないようにするためには、当たった時にエネルギーを投入する必要があり、それが最大速度をボールのインパクト後に置くという意味ではないか、と反論できそうなのである。
また、こういう考えは極めて空想的である。誰かを説得するための説明ではなく、自分が納得できればそれで良いのだから厳密性は必要としない。
さて、そこで、力一杯のスイングに話が戻る。力一杯振ったという充実感は、別にゴルフだけでなく、あらゆるスポーツや生活の中で意味を持つ。自己満足がどうであれ充実感を感じることが人が生きる意味であると結論しても存外間違いとは言い切れない。
充実感と言えばセックスが先ず挙げられるが、これも快楽というよりは充足感が先ず第一義にあって、それがどういう状況下で生まれるかは、結局の所、脳内麻薬の分泌に掛かっている。それは恐らく筋肉からのフィードバックだ。
つまり、充足感とは、体のどこかの筋肉が強烈に収縮と弛緩することで起きるのではないか。これが仮説の中核である。
力一杯のスイングをしたと感じる時、体の中のどこかの部位が働いているはずである。その場所を見つけ意識することで力一杯のスイングを体得できるのではないか、という話しである。
体の中の部位を分類する。部位と言えば、ふつうは牛であって、この牛の部位は食肉と関係しているが、運動とは関係していない。しかし、まぁ部位と言う考え方は同じである。これはにわとりでも同様である。
スポーツに関係する部位を大雑把にまとめた。
背中側
腹側
足
軽く振ってみたり、強く振ってみたりしている間に、自分はどの筋肉の収縮を力強さと感じているかが分かった。それは右側脇腹の筋肉だ。スイングとは腕で振るのではない。体を回転させるのでもない。ただ右の脇腹を収縮させ、緊張を持続し、緩むまでのごく短い間である。それが自分のスイングであろうと発見した。
腕、左もも、左わき腹、それら全てが、右わき腹の収縮と比べればオプションである。あってもいいが無くても良い。わき腹の収縮を中心にスイングは構成されている。
他はすべて些細である。または工夫次第に過ぎない。
さてこれも練習場での検証する。探求はスパイラルというより輪廻であって、必ずしも上昇しているとは限らない。同じ繰り返しかも知れない。いつまでも抜け出せない様相をしだしているとも言える。
処がそれを試したくても、左手は屈腱炎だし右手は小指がばね指で痛い。手首も痛い。思った以上に負傷している。
仕方ないから、ベースボールグリップに戻し(これが一番小指への負担が少ない)、力いっぱいというよりも、体への負担を最低限にするようスイングした。
すると、ふと奇妙な事に気が付いた。
スイングとはトップ位置からボールまでの加速で飛距離が決定される。力は質量×速度であり、速度は、距離÷時間であるから(加速度は速度の微分)、飛ばしたいならばボールとトップの間の距離を長くしようとするのは自然に見える。
ところが10cm距離が伸びるとどれくらい力が上昇するかを誰も知らない。まして、それが一次比例するのか、二次比例するのか、それともある距離を境に落ちてゆくのか、それも誰も知らない。
と言うかトップを短くしてフォローを大きくする方が良いスイングに思えてきた。これは物理の常識には反するように見えるが、心理的にも、生理的にも、理に叶っているように感じられる。きっと物理的にも妥当なはずである。
トップは小さく構え大きなフォローを取る。スイングの過程のどのポイントで最大速力に達するかは気にせず、ボールに当たった時が最大速度であることが優れたスイングという考えは捨てる。
普通に考えれば、ボールに当たった後にも加速するのは無駄なエネルギーに見える。その無駄なエネルギーをインパクトまでに投入できれば、更に飛距離が伸びるに違いない。この考えは正しそうに見える。
ただ、それが人間の体の構造上可能であるかという疑問がひとつ。次にボールに当たった瞬間にボールからの反動に負けないようにするためには、当たった時にエネルギーを投入する必要があり、それが最大速度をボールのインパクト後に置くという意味ではないか、と反論できそうなのである。
また、こういう考えは極めて空想的である。誰かを説得するための説明ではなく、自分が納得できればそれで良いのだから厳密性は必要としない。
さて、そこで、力一杯のスイングに話が戻る。力一杯振ったという充実感は、別にゴルフだけでなく、あらゆるスポーツや生活の中で意味を持つ。自己満足がどうであれ充実感を感じることが人が生きる意味であると結論しても存外間違いとは言い切れない。
充実感と言えばセックスが先ず挙げられるが、これも快楽というよりは充足感が先ず第一義にあって、それがどういう状況下で生まれるかは、結局の所、脳内麻薬の分泌に掛かっている。それは恐らく筋肉からのフィードバックだ。
つまり、充足感とは、体のどこかの筋肉が強烈に収縮と弛緩することで起きるのではないか。これが仮説の中核である。
力一杯のスイングをしたと感じる時、体の中のどこかの部位が働いているはずである。その場所を見つけ意識することで力一杯のスイングを体得できるのではないか、という話しである。
体の中の部位を分類する。部位と言えば、ふつうは牛であって、この牛の部位は食肉と関係しているが、運動とは関係していない。しかし、まぁ部位と言う考え方は同じである。これはにわとりでも同様である。
スポーツに関係する部位を大雑把にまとめた。
背中側
ネック | 頭と肩を繋ぐ部分、頚椎 C1~C7 まで。 |
肩 | 首と肩の間の部分、おもに鎖骨の周辺。 |
肩甲骨 | 背中の上側。肩甲骨とその周辺の部位。 |
背中 | 肩甲骨下から腰までの間。主に肋骨のない部位。 |
腰 | 骨盤周り |
おしり | 大臀筋 |
腹側
胸 | 大胸筋 |
腹筋 | 腹筋中央 |
脇腹 | 腹筋左右 |
足
そともも | 大腿二頭筋 |
うちもも | 大内転筋 |
すね | 膝から足首まで |
足 | 足首より先。 |
軽く振ってみたり、強く振ってみたりしている間に、自分はどの筋肉の収縮を力強さと感じているかが分かった。それは右側脇腹の筋肉だ。スイングとは腕で振るのではない。体を回転させるのでもない。ただ右の脇腹を収縮させ、緊張を持続し、緩むまでのごく短い間である。それが自分のスイングであろうと発見した。
腕、左もも、左わき腹、それら全てが、右わき腹の収縮と比べればオプションである。あってもいいが無くても良い。わき腹の収縮を中心にスイングは構成されている。
他はすべて些細である。または工夫次第に過ぎない。
さてこれも練習場での検証する。探求はスパイラルというより輪廻であって、必ずしも上昇しているとは限らない。同じ繰り返しかも知れない。いつまでも抜け出せない様相をしだしているとも言える。
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