どうもホウライの夏合宿が終ったその夜に RICOH WOMEN'S BRITISH OPEN の最終ラウンドを見たりしたもんだから記憶が混在しているかも知れない。
だが、まぁボールの動きひとつひとつを見れば良く似ていたりするもんだ。カップの横を通り過ぎる、ショートする。なのに何が違う。スコアもプレイも彼女たちと僕では全く違う。当たり前だ。
スイングだけを見れば良くはなってきていると思う。ほんの少し緊張や力み、虚栄心がムクムク起き上がるだけで、前傾しすぎとなり、腰が回転しすぎとなり、トップの位置が上がりすぎとなり、スイング軸が左に傾こうとし、スイングが崩れてゆく。
ヘッドの回転を良くしようとしたりして結局そういうものはイライラの積み重ねとなる。ポーラクリーマの怒り心頭が大変に素敵なのはご存じのとおりだが、ゴルフというものは悪い時にはああでなくっちゃいけない。ストレスを溜め込む事は決して良くはない。それは人生どこでも同じだが。
しかし怒りに駆られてやってしまう行為というのは、普段の自分の考え方、ものの捕え方がそのままストレートに表出する。ここを見れば普段の自分がどれほどゴルフのルーティンワークを作り上げてこなかったかが分かる。
ルーティンワークがないと言う事は何も考えていない証拠になる。例えばアプローチ、ランして寄せたいのか落して止めたいのか、それだけで狙いは大きく変わる。ランさせるなら、どの程度ボールが走るのか、冷静な時にそれを考えていれば、残りの距離を見て地形を見れば、だいたいあのあたりとエリアを注目しているはずである。
これが癖(ルーティンワーク)になるまで自分に刷り込んでおけば例え怒り心頭しようが、我を忘れた怒髪天ショットをしようが、狙い所が変わるはずがない。ランさせるショットでピンをデットに狙うはずがない。プロゴルファー猿の旗包みかーつうの。
全英女子を見ていると、彼女たちは自分に出来ることしかやらない。もちろんチャレンジをしないわけもない。だが可能性のないものはしない。わずかにでもチャンスがあるからチャレンジしているのだ。そこには己の描く想像力というものがゴルフに如実に現れる。
これが打てるかどうか、それさえ分からずにやってみる、と言うのはチャレンジではない。と、これは恐らく昔に書いた内容と同じ話だ。チャレンジについては既に書いている。
「Course 2009/07/04 - チャンレンジとは」
ボールがどの高さまで浮くか、どこに落ちるか、自分に可能なショットのうちからベストを探しなさい。コースというのは起伏に富み、広く、多彩なのだ。ただピンに向かって突撃するためにあるのではない。もしそれ以外の戦略を持っていないのならそれは経験と敬虔が不足しているのだ。
ゴルフは360度のパノラマどちらに向って打ってもよい。10ヤード戻って150ヤード打つゴルフは、140ヤードを打ってちょろったりするよりずっといいゴルフのはずなのだ。
できもしないスタンスから馬鹿振りする事を何故やめないのか。それが出来るかどうかも明確に分かっていない。ロイヤル・リバプールでプレイする人たちはみな、自分がどう打ちたいのか、それが出来るかどうかを明確に知っていた。分かっていて、それをやっていた。それでもミスもある失敗もある。だが彼女たちの選択と僕の選択は明らかに違う。この世に100%などない。それは量子力学の確率が示している。それでも最も確率の高いショットを組み立ててゆけば、それだけはっきりとした格子を描くはずなのだ。ただ麻雀が確立だけのゲームではないのと同じように確立だけで決まるはずはない。
針の孔を通すようなショットでさえも、プロは明確に出来る事としてトライする。スタンスはこうなっている、だからこうしなければならない、こうするならば、ここはこうなる、そうやって組み立てた後にシンジエのように集中する。
自分が集中出来ない間はスイングを開始しないと決めているかのようだった。長い間を置いてから彼女のバックスイングは始まる。見ていて気持ちがいい。
女子プロと僕の一番の違いは、ゴルフに関してゆえば、彼女たちは出来る事を確実にやっている、僕は出来るかどうかも分からずにやっている。
おそらく彼女たちから見れば、あんたそれどうやって打つ気?あたしたちでも結構難しいよ、よくそんなクラブ振り周す気になるね。おお、上手い、良く打ったね。でも実は何もわかってないね。運が良かったのね。
え、まだピンを狙うの、ここは刻んだ方が絶対にいいよ、その方が絶対にいい結果を生むよ、前足さがりのラフじゃない、そう簡単に打てるスタンスじゃないよ。ほら、狙ったよりも全然左方向に飛んで行ったじゃない。ああなるのは分かっているんだから、もっと短いクラブで刻んでフェアウエイから狙った方が絶対にいいスコアになったわよ。
僕はいつも心にタイガーを、と思っていた。
でもそれは間違っていた。タイガーはこっちに来て語りかけはしない。自分に向かって、あーそれは違うんじゃないかな、と語りかけてくれる人が側にいるべきなのだ。あらゆるチャレンジを否定はしない、時には無謀なチャレンジも必要となるだろう。だが、それでも問い掛けるべき人がいるべきだ。
ゴルフは神が居るかどうかを賭けるものではない。自分に運があるかを試すものでもない。そういう事は戦場かギャンブルでやれ。
とにかく久しぶりのゴルフは楽しい3日間であった。囲碁も堪能できた。あ、分かっている人からの目線は囲碁も同じだ。あ、君、そこじゃ本当は死にだよ、ここが空いているけど戸締りしなくていいの?とか。
囲碁棋士だって囲碁の神様がいれば、同じ事を言われる立場にいる。だから、いつも己に出来る事をする、それを最大限に成功させようとする。その上で、少しでも良くなろうとする。
何も見えない暗闇の中だからと言って、何も見えていないはずはないんだ。確実に出来る事をする、出来ると言って出来なかった時は死ぬくらいの気持ちで決断する。
では11番ホール、第三打、池越えを狙うべきではなかったのか。ライは悪かった。つま先下がりだった。そんなのを打った事はない。打つ前に素振りをして確かめてみたか。いいや、素振りを一回もしなかった。あそこは素振りをしてから決断しても良かったんじゃないかな。
だから、あれは池越えを狙うべきか、そうではなかったかの問題ではない。答えは、素振りをしろ、であったと思う訳である。
楽しい時間を共に過ごした IW, IT, K に感謝する。
これまでのホウライの記録
2006/09/07 - 124
2007/08/10 - 116
2007/08/11 - 117
2008/09/14 - 116
2008/09/15 - 110
2010/09/25 - 114
2011/10/28 - 113
2011/10/30 - 95
2012/09/15 - 95
2012/09/16 - 100
一体、何かを学んでいるのやら、いないのやら…
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