今回は二つの失敗。
・バンカーショットの失敗。
・アプローチの失敗。
失敗には、上下左右の4方向があって、飛ばなかったか、飛びすぎたか、右に行ったか、左に行ったかの4つに分類できる。
左右については、現在の技術上、制御できないので語るだけ無駄。
飛び過ぎたのはショットが良すぎた為、現在の技術上、これは失敗からは除外する。
すると予想よりも飛ばなかったショットだけが失敗であると分類できる。
バンカーでは、ダブりすぎてしまい飛ばなかった。
アプローチでは、ボールが斜面にあり正しく当てることが出来なかった。
つまり、失敗とはボールを正しくヒット出来なかった事である。
この時、失敗を予め考慮して前もって対策をすることが可能であったか、という疑問が生じる。
失敗に対して対策は打てたであろうか、という疑問である。
つまり、対策できない失敗は、考えるだけ無駄という意味でもある。
失敗については、失敗したらどうなるかを考え予め対策しておくものと失敗してから行うリカバリする二つがある。
多くプロでも失敗している。それでも大崩れしないのはリカバリが成功するからであろう。この事例から演繹すれば失敗しないように打つ、とか、失敗しても被害を最小とするように打つという方法はありえない、出来ない、不可能であると結論する。
コース戦略とは、失敗しないようにとか、大怪我しないような道筋の選択であるという考え方も重要である。しかし、いかんせん、打ってみるまでどこに飛ぶか分からないレベルでは有効な戦略はない。ボールがどこに飛んで行ったか飛んだボールに聞いてくれ、というレベルでは大怪我も戦略も余り有益とは思われない。
バンカーショットを失敗した人は、砂を思い浮かべてどう打てば良かったかをイメージする。お風呂で、水をバンカーに見立てて手で払ってみる。そうした経験を持っている人も少なくない。
リカバリするには最低限の必要な技術というものがある、またはその技術にあったリカバリと言うものがある。身分相応という言葉は何も社会で生きてゆく時だけに通用するものではない。
リカバリとは次にどうなったら次はどうするという先を読む力であろう。
そのリスクとベネフィットのバランスのどこにウエイトを置くか、リスクかセーフティか、多く、リスクが高いものは利益が多く、安全なものは利益も小さい。林の中から一打でグリーンオンを狙うか、3m先のラフに逃げ出すだけとするか。
リカバリとは成功を夢見るが故に行う行為である。勝つためにやるのか、それとも負けの被害を小さくするためにやるのか、どちらかに賭けよ、となった時、リカバリする者はどちらに賭けるであろうか。
その時に大切なのは、何を賭けるか。
であれば、リカバリとは何を賭けるか、スコアの対する価値観を賭ける、それを命と等しく考えてみるのがいい。己の命が安いのであれば子供の命を賭けてみてもいい。
例え死んでもこう打つのだ、という人もいるだろう。それは正しい、但し、死んでも、と言うのは囲碁用語である、石の生き死にを言ったもので実際の命を賭けたわけではない(江戸時代の碁打ちを除き)。
プロであればスコアよりも勝敗を選択する事がある。だがアマチュアにはそういうものは必要ない。リカバリはスコアの数値に過ぎず、それは安いものだ、という気持ちがリカバリをより危険な方向に誘うのも仕方ないかも知れない。
そしてその成功は既に技術ではなく、運に頼るものとなる、ゴルフがいつの間にかギャンブルになる。
それは正しいゴルフと言えるか。
失敗から這い上がるのに運が不要とは言わないがギャンブルで這い上がるようなものか。
0 件のコメント:
コメントを投稿