2008年4月21日月曜日

GOLF 2008/04/21

今回は二つの失敗。

・バンカーショットの失敗。
・アプローチの失敗。

失敗には、上下左右の4方向があって、飛ばなかったか、飛びすぎたか、右に行ったか、左に行ったかの4つに分類できる。

左右については、現在の技術上、制御できないので語るだけ無駄。
飛び過ぎたのはショットが良すぎた為、現在の技術上、これは失敗からは除外する。

すると予想よりも飛ばなかったショットだけが失敗であると分類できる。

バンカーでは、ダブりすぎてしまい飛ばなかった。
アプローチでは、ボールが斜面にあり正しく当てることが出来なかった。
つまり、失敗とはボールを正しくヒット出来なかった事である。

この時、失敗を予め考慮して前もって対策をすることが可能であったか、という疑問が生じる。
失敗に対して対策は打てたであろうか、という疑問である。

つまり、対策できない失敗は、考えるだけ無駄という意味でもある。

失敗については、失敗したらどうなるかを考え予め対策しておくものと失敗してから行うリカバリする二つがある。

多くプロでも失敗している。それでも大崩れしないのはリカバリが成功するからであろう。この事例から演繹すれば失敗しないように打つ、とか、失敗しても被害を最小とするように打つという方法はありえない、出来ない、不可能であると結論する。

コース戦略とは、失敗しないようにとか、大怪我しないような道筋の選択であるという考え方も重要である。しかし、いかんせん、打ってみるまでどこに飛ぶか分からないレベルでは有効な戦略はない。ボールがどこに飛んで行ったか飛んだボールに聞いてくれ、というレベルでは大怪我も戦略も余り有益とは思われない。

バンカーショットを失敗した人は、砂を思い浮かべてどう打てば良かったかをイメージする。お風呂で、水をバンカーに見立てて手で払ってみる。そうした経験を持っている人も少なくない。

リカバリするには最低限の必要な技術というものがある、またはその技術にあったリカバリと言うものがある。身分相応という言葉は何も社会で生きてゆく時だけに通用するものではない。

リカバリとは次にどうなったら次はどうするという先を読む力であろう。
そのリスクとベネフィットのバランスのどこにウエイトを置くか、リスクかセーフティか、多く、リスクが高いものは利益が多く、安全なものは利益も小さい。林の中から一打でグリーンオンを狙うか、3m先のラフに逃げ出すだけとするか。

リカバリとは成功を夢見るが故に行う行為である。勝つためにやるのか、それとも負けの被害を小さくするためにやるのか、どちらかに賭けよ、となった時、リカバリする者はどちらに賭けるであろうか。

その時に大切なのは、何を賭けるか。

であれば、リカバリとは何を賭けるか、スコアの対する価値観を賭ける、それを命と等しく考えてみるのがいい。己の命が安いのであれば子供の命を賭けてみてもいい。

例え死んでもこう打つのだ、という人もいるだろう。それは正しい、但し、死んでも、と言うのは囲碁用語である、石の生き死にを言ったもので実際の命を賭けたわけではない(江戸時代の碁打ちを除き)。

プロであればスコアよりも勝敗を選択する事がある。だがアマチュアにはそういうものは必要ない。リカバリはスコアの数値に過ぎず、それは安いものだ、という気持ちがリカバリをより危険な方向に誘うのも仕方ないかも知れない。

そしてその成功は既に技術ではなく、運に頼るものとなる、ゴルフがいつの間にかギャンブルになる。

それは正しいゴルフと言えるか。

失敗から這い上がるのに運が不要とは言わないがギャンブルで這い上がるようなものか。

2008年4月1日火曜日

練習場より 2008/04/01 - ヤジロベエ理論

ヒトにも四本足の頃の記憶が残っているだろう。
知らぬ間にその記憶が顔を出すこともある。

ヒトの姿勢は4本足の動物とは異なる。
4つ足で安定性を得るのとは対象的にバランスを崩しながら歩行するヒトは二つの腕の自由さを得た。
そのおかげでゴルフも出来るようになった。

ヒトは二足歩行に於いてどのような姿勢が良いか、という疑問は日本人が明治時代に歩き方を大きく変えたように時代や地域によって異なる。勿論、4本足の動物とでさえ共通点も共通しない点を多くある。

だが、ここに一つの個人的な回答をするならばそれを次のように答える。

骨盤を円錐の台としてその下に二本の足が伸びて支え、その台の上には上半身がやじろべえのように載っている。

上半身は、やじろべえのようにゆらゆらとする。
その支点は、丹田辺りに置く。
丹田の位置を意識すれば軽く力が入るが、その状態にして置けば自然と上半身の力が抜ける。

さて、飛ばそうと緊張すれば、この状態は失われ上半身を力む。
力めば上半身の自由な動きが邪魔される。
何故なら上半身のあちこちで筋肉が緊張状態になれば体の動きに対してブレーキとして働くからである。

例えば、力の向かう方向に肩が残っていればその肩の存在のため力は行きたい方向を迂回しなければならない。この迂回により力は分散されるであろう。余計な力が残っていればそれが動きを引いたり押したりする。

新しいゴルフスィングは、如何にクラブヘッドに力を伝えるかを考察する。
力とはヘッドスピードと言い換える事が出来るから、力を与えるとはヘッドスピードを上げる事を意味する。
体の筋肉を如何に使えばヘッドスピードが向上するのか?
どう振り抜けばヘッドスピードを向上させるのか?
クラブと体の関係を体による力の加算として表現する。

力をクラブに与える、ヘッドスピードを向上する、これだけでは単純なミスを生じる。
力を与えようとすれば、重い物を持ち上げるイメージで力む。
この力みが体を縛る。
体は力を与えようとして筋肉を収縮させ解放しないため色んな箇所でブレーキとなる事に気付かないといけない。

力を加算しようとしても無駄だ。
その力はブレーキの役目しか果たしていない。
スィングの最初に与えられたスピードを減速させ、自由な動きの邪魔をする。

4つのポイントがある。
一、スィングでは丹田に意識をもち、上半身を自由にする事。
二、大きく振りぬく事。
三、肩の回転で右肩が下を通るようにする事。
四、手の位置は、最初に構えたところを通過するようにする事。

スィングの動きとはヘッドの回転であるが、右から降りてきたクラブヘッドは目の前を通って左側に抜けてゆく。この時、左肩がその軌道を邪魔するとヘッドの動きは減速する。両手で棒を振るよりも片手で振るほうがスピードは早いはずである。ただし、片手では重いものを振り回せない。

だから、ゴルフは両手でスイングする、だが、肩はあらゆる点でクラブヘッドの動きに対してブレーキとなる。ヘッドの動きに対して邪魔な位置あったり、余計な筋肉の緊張がクラブを引いたり、押したりする。

上半身を自由な状態にしてバランスを崩せば、その事で自由な動きを得ることができる。
特に両肩の動きが自由になれば、邪魔にならないように力の方向に応じて自由に逃げてくれるようになる。

肩の力を完全に抜くためには、いわゆる丹田を重心として意識する事、が重要だと思っている。

トレーニングは非常に簡単である。
歩くだけのトレーニングだ。
丹田に意識をもち上半身を自由にする。上半身が自由に左右に揺れるようならそれでよい。その自由さのまま肩をまわしてみる。

これが僕のスィング論である。
これが正しいかどうかなど知らないし、興味もない。