さて下手である。スコアが伸びない。まるでゴルフ下手である。
原因が分からない。後から振り返れば、まるでその通りである。全ての失敗は妥当であり、実力通りであり、後悔するものではない。
このスコアから伸びる気がしない。そうやって自分を許容している。分からないのだからどうしようもない。
ゴルフとは意識化するスポーツである。意識せずに何かをする事はない。
しかし人間は意識だけの存在ではないから、ゴルフ中にも当然、無意識が表出する。(人間が意識だけの固まりではない証拠として、食べたものを排泄するまでのプロセスを意識だけでは出来ない事が挙げられる。それを脳と腸は協調して行っている事からも意識と無意識の関係付けは明らかである)。
僕のゴルフ脳は丸で低能である。意識はダブルボギーで良しとする戦略しか組んでいないのである。失敗の数は雑多で多い。
ゴルフで悪いのは失敗ではない。問題なのは失敗が続く事だ。しかもその失敗が恐らく毎度同じなのだから、意識は失敗している事にも気付いていないと思われる。
問題は、では何が、という研究にある。そして研究の結果、ひとつだけ改善の余地に気付いた。
アプローチである。これが常に、必ず、絶対と言っていい程、弱いのである。恐らく一打から二打で済む所を二打から四打にしているのである。その理由は簡単で、アプローチが弱いのである。狙った半分にしかボールを運べていないのである。
これはとてもよくある話だ。どこかでホームランを打った時の記憶が鮮明に残っているのである。その時の恐怖がアプローチを弱めさせている。あの時にどれ程の力で打ったのかの記憶も既に残っていないくせに。
これはある意味、脳の働きのくせであろう。印象が残るとは、脳内のニューロンが結ばれてしまったという事だ。その神経回路がいつも刺激してくる。新しく結ばれたニューロンは簡単には切れないのである。PTSD もそういうものだろうか。
強い刺激であればあるほど、それは長く残り強烈なバイアスとして働きかけてくる。それが無意識からアプローチの度にもっと弱く打てと命令してくる。
この無意識からの命令は、同じ失敗をさせない重要な働きである。強く打って失敗したなら、次は弱くすれば同じ失敗はしない。
所が問題なのは、僕の意識と無意識は、弱く打って距離が足りなかったケースを失敗と認識していないのである。打ち過ぎたものより刺激として弱い。だから距離が足りなかった失敗を無意識は失敗と認識していない。
無意識は否定を受け入れない。強く打ち過ぎてしまったを無意識は受け入れるが、弱く打ってはならないは、弱く打つと無意識は理解する。弱めではダメ、ではなく、強く打てと意識する必要がある。
強く打ってグリーンを超えてしまった失敗は強烈に脳内に回路を作るのに、ちょろったり半分しか打てなかった失敗は脳内に回路を作らない。これは意識が打ち過ぎは失敗だが、弱いショットは失敗と認識していないからだ。
ゴルフはカップを超えてはならないというゲームではないのに。何故超えたものは失敗で超えていないものは失敗ではないのか。超えたら引き返さなければならない、しかし超えていないのなら、方向を変えれば辿り着けると、こう盲信しているのか。
こうして強く打っては駄目という無意識のみが残り、もっと強く打たねばならないという無意識は作られない。無意識はもっと弱く打てと働きかけるがもっと強く打てとは働きかけてこない。これでは何時まで経っても距離は調節されない。
自分の中で、ホームランする一打とチョロる一打の重みが全く違っていたわけだ。
2014年6月21日土曜日
2014年6月20日金曜日
練習場より 2014.06.20号 - 手首を内側に曲げる
左腕は「一本の棒状にすることが重要」で、これをするには筋肉を延ばす必要がある。腕の外側の筋肉を延ばしたければ手首を内に曲げるとよい。
もちろん構造的には手首を曲げても肘は自由に動くが、ゴルフのフォームでは、左腕を棒状にすることで、トップ位置から左腕を押し出せば左肩も自然と押し出されて回るイメージになる。
トップを形作る時にクラブを軽く感じる事は大切かも知れない。軽く感じるのは、左腕と右腕が良く釣り合って協調しているからである。二つの腕が強調しなければクラブはもっと重く感じられるであろう。
雰囲気として「ゴルフスイングは縦回転」である。横回転という感じはない。横回転とは体を廻す事だが、体を廻すと当然クラブも体と同じ方向に動く。それではクラブが動いて左肩を追い抜かすことが出来ない。
クラブが横移動に見えても、体は縦移動をしているイメージである。左肩付近に回転の中心にあり、その位置がスイング中は変わらない。これは外からの観察で動いていないのではなく、意識では中心として動かしていないという事。そこで無理に体を止めてクラブに追い抜いてもらうというトリックが必要になる。縦回転なら体が左右に動かないのだから追い抜くイメージも必要ない。
スイングは、重さを感じないようにトップを作る。それから次の動作に移る。これは腰の切り替え、足の切り替え、左肩への切り替え、意識の切り替えとして発動するようだ。この動作が正しいどうかはよく分からない。
切り替えをするとは、後ろに向う力が一度0になる事だ。力のグラフを見れば、マイナス方向に動いているものが一度0になってプラス方向に転じている。
ここで後ろに行く力をもし前に行く力に加算できれば、パワーは更に増すはずである。この考え方は未だスポーツ科学より古武術系の影響が強いと思われるが、正しいかは分からない。
「1、2」と切り替わるスイングよりも「1、」で切り替わりのないスイングの方が効率は良さそうに思われる。しかし、それがどういう動きであるかは全く分からない。
古武術系の動きは、モーションを出さないのが基本だそうである(自分の動きが相手に読まれるから)。組んだ時に相手の力を利用するのも独特らしい。格闘技としては確かにそうであろう。
しかしながらゴルフは平和のスポーツである。打つぞというモーションがどれほどあっても良いし、誰かと組み手になる事もない(ケンカしているなら別)。
井桁理論にしろ、浮き足にしろ、古武術の話しは抽象的過ぎる。ボクシングのパンチとの比較さえなく、では何がどう違うのかがさっぱり分からない。
テコや、捻り捩じりがダメと書いてあって、その感覚には同意できたとしても、ではどうするのかが分からない。人間の骨格であったり、虫や動物の生態にもテコや捩じりはたくさん活用されていそうである。
古人の伝説を大袈裟な話ではなく、本当にそうであったと信じる所から始まるのだと思われる。その我々には分からない奥儀、口伝を読みに読み、練りに練り、実演を続け試行錯誤をして読み解いてゆくしかない訳で、それを言葉で伝えるのは難しいものとも思われる。
もちろん構造的には手首を曲げても肘は自由に動くが、ゴルフのフォームでは、左腕を棒状にすることで、トップ位置から左腕を押し出せば左肩も自然と押し出されて回るイメージになる。
トップを形作る時にクラブを軽く感じる事は大切かも知れない。軽く感じるのは、左腕と右腕が良く釣り合って協調しているからである。二つの腕が強調しなければクラブはもっと重く感じられるであろう。
雰囲気として「ゴルフスイングは縦回転」である。横回転という感じはない。横回転とは体を廻す事だが、体を廻すと当然クラブも体と同じ方向に動く。それではクラブが動いて左肩を追い抜かすことが出来ない。
クラブが横移動に見えても、体は縦移動をしているイメージである。左肩付近に回転の中心にあり、その位置がスイング中は変わらない。これは外からの観察で動いていないのではなく、意識では中心として動かしていないという事。そこで無理に体を止めてクラブに追い抜いてもらうというトリックが必要になる。縦回転なら体が左右に動かないのだから追い抜くイメージも必要ない。
スイングは、重さを感じないようにトップを作る。それから次の動作に移る。これは腰の切り替え、足の切り替え、左肩への切り替え、意識の切り替えとして発動するようだ。この動作が正しいどうかはよく分からない。
- 腰の切り替え
- 足の切り替え
- 左肩への切り替え
- 意識の切り替え
切り替えをするとは、後ろに向う力が一度0になる事だ。力のグラフを見れば、マイナス方向に動いているものが一度0になってプラス方向に転じている。
ここで後ろに行く力をもし前に行く力に加算できれば、パワーは更に増すはずである。この考え方は未だスポーツ科学より古武術系の影響が強いと思われるが、正しいかは分からない。
「1、2」と切り替わるスイングよりも「1、」で切り替わりのないスイングの方が効率は良さそうに思われる。しかし、それがどういう動きであるかは全く分からない。
古武術系の動きは、モーションを出さないのが基本だそうである(自分の動きが相手に読まれるから)。組んだ時に相手の力を利用するのも独特らしい。格闘技としては確かにそうであろう。
しかしながらゴルフは平和のスポーツである。打つぞというモーションがどれほどあっても良いし、誰かと組み手になる事もない(ケンカしているなら別)。
井桁理論にしろ、浮き足にしろ、古武術の話しは抽象的過ぎる。ボクシングのパンチとの比較さえなく、では何がどう違うのかがさっぱり分からない。
テコや、捻り捩じりがダメと書いてあって、その感覚には同意できたとしても、ではどうするのかが分からない。人間の骨格であったり、虫や動物の生態にもテコや捩じりはたくさん活用されていそうである。
古人の伝説を大袈裟な話ではなく、本当にそうであったと信じる所から始まるのだと思われる。その我々には分からない奥儀、口伝を読みに読み、練りに練り、実演を続け試行錯誤をして読み解いてゆくしかない訳で、それを言葉で伝えるのは難しいものとも思われる。
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