一月振りの練習であるが、一回コツを掴んでしまえば、一月のブランクがあっても、振り出しに戻るといった感はない。
コツを言語化するのは難しい。コツとは、バラバラなものをひとつに纏めたものなので、それを言語でバラバラにする事は、コツの再現にはならないし、それで他人に伝わるはずもない。
コツを掴むと言えば、もっとも身近なものに自転車がある。一度自転車に乗れるようになった人は、長い間を乗らなくともすぐに乗り方を忘れないものだ。
自転車というものは、それを習得する時期も大いに関係すると思うが、コツを掴みやすい道具のひとつであろう。それと比べるとゴルフスイングはコツがつかみ難い部類だ。これはひとつに道具からのフィードバックが関係していると思われる。
自転車はどう運転しようと、こけるかこけないか明白だ。ゴルフはとりあえず飛ぶ。手応えもある。コツなんかいっさい掴んでなくとも、打ててしまうし、スコアにも関係しない。
コツというものはきっと幾つもあるんだろうと思う。自転車に乗るコツを掴んでいる人は大勢いる。だけれども、自転車に乗れる人の全員が、バイクトライアルで岩場を自由自在に走り回れる訳ではない。
同じ様に、ゴルフスイングのコツを捕まえたと思っても、それは最初の門をくぐったに過ぎない。恐らく、名人やプロという人たちはもっと多くのコツを掴んでいる。
僕が掴んだのは、左上、左肩、左脇が一体となってればいいんだよ、くらいのものであって、それだけでグンと良くなると思うが、恐らく、これは個人的な経験に過ぎない。このコツが誰にでも伝わるように言語化できればいいと思うのだが。
ともあれ、コツを掴むまでに長い時間がかかる人もいれば、あっという間に掴む人もいる。野球にしろ、テニスにしろ、例えばボールを投げる、打つ、サーブをする、それぞれにコツがあるんだろうと思われる。それらの共通イメージを覚えてしまえば、長く楽しめると思う。
そして、コツは、自分で分かるまでやってみるしかない。ああ、これだ。という感じがあって、それは、有り無しのものとしてはっきりと分かる。だいたいひとつのコツを掴めば、ほぼそれで趣味の世界は十分と思われる。それを研ぐだけで一生使えそうである。
同じスイングに見えて、コツを掴んでいる人もいれば、コツを掴んでいない人もいる。ひとつのコツを磨き上げて突き詰めた人もいれば、多くのコツを発見した人もいる。
どれもゴルフスイングだ。見た目は変わらない。変わらないように見える。だけれど、見る人が見れば、違いが分かるのかも知れない。細部に注目すれば、全く違うものとさえ言えるかも知れない。念と燃だ。
コツを漢字にすれば、骨である。勘所や要領ともほぼ同義である。所が、コツは、言葉にはならない、身振りにもならない。実際にやってみて自ら治めるしかない。そう考えると、秘伝というようなものって何だろうか、と思えなくもない。言葉で伝えるとはそこに何が込められているのだろうか。
一番大切なものは言葉では残せない。それがあるとは言えるが、どこに、どのように、どうあるかは伝えられない、伝えようとしても、伝わるとは限らない。それでも分かる者には分かる。それはお互いの思い込みかも知れないが。それで十分ではないか、が言葉というものである。
伝わるか、伝わらないかではない。伝えようとした、それでもう十分ではないか、と言うのが言葉だ、そういう話。
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