肘というものがある。肩と手の間にある関節であり、動きの自由度も高い。
格闘技ではもっとも危険な部位のひとつであり、肘での攻撃は反則として禁止される武道も多い。
肘というものは、手を動かす時に重要な役割をしている。肘の向きによって手の可動域が決まる。肘の向きが違えば可動方向が異なる。そして肩を動かすときは肘から動く方が簡単である。
しかし肘の向きを上にするか下にするかで腕の可動領域は全然違うし、合わせて肩の動きも変わる。
トップを作る時も右肘は動いている。右肘が下を向いているのか、上を向いているのかで動きは変わる。
クラブを動かす時に、右肘を上を向いてあげようとするのか、下を向いてあげようとするのかによりトップの形も肩の動きも変わる。
右肘が上を向いていると上下の可動域は狭くなる。トップを作った時に、そのために右肩を大きく上にあげようとする力がより強く加わる。
脇を締めなさいというのは、この肘の話しをしていると言える。肘が上から上がってしまうと脇は閉まらない。
しかし、右肘を上にした方が、軽い力で早く動かす事ができる。 だから知らぬ間に肘が上を向いてしまう場合が出てしまう。特に疲れていたり、筋力が落ちて来たりした時に。
これは意識的に注意して練習する方がいいと思われる。
2013年7月15日月曜日
2013年7月1日月曜日
練習場より 2013.07.01号 - 秘伝
一月振りの練習であるが、一回コツを掴んでしまえば、一月のブランクがあっても、振り出しに戻るといった感はない。
コツを言語化するのは難しい。コツとは、バラバラなものをひとつに纏めたものなので、それを言語でバラバラにする事は、コツの再現にはならないし、それで他人に伝わるはずもない。
コツを掴むと言えば、もっとも身近なものに自転車がある。一度自転車に乗れるようになった人は、長い間を乗らなくともすぐに乗り方を忘れないものだ。
自転車というものは、それを習得する時期も大いに関係すると思うが、コツを掴みやすい道具のひとつであろう。それと比べるとゴルフスイングはコツがつかみ難い部類だ。これはひとつに道具からのフィードバックが関係していると思われる。
自転車はどう運転しようと、こけるかこけないか明白だ。ゴルフはとりあえず飛ぶ。手応えもある。コツなんかいっさい掴んでなくとも、打ててしまうし、スコアにも関係しない。
コツというものはきっと幾つもあるんだろうと思う。自転車に乗るコツを掴んでいる人は大勢いる。だけれども、自転車に乗れる人の全員が、バイクトライアルで岩場を自由自在に走り回れる訳ではない。
同じ様に、ゴルフスイングのコツを捕まえたと思っても、それは最初の門をくぐったに過ぎない。恐らく、名人やプロという人たちはもっと多くのコツを掴んでいる。
僕が掴んだのは、左上、左肩、左脇が一体となってればいいんだよ、くらいのものであって、それだけでグンと良くなると思うが、恐らく、これは個人的な経験に過ぎない。このコツが誰にでも伝わるように言語化できればいいと思うのだが。
ともあれ、コツを掴むまでに長い時間がかかる人もいれば、あっという間に掴む人もいる。野球にしろ、テニスにしろ、例えばボールを投げる、打つ、サーブをする、それぞれにコツがあるんだろうと思われる。それらの共通イメージを覚えてしまえば、長く楽しめると思う。
そして、コツは、自分で分かるまでやってみるしかない。ああ、これだ。という感じがあって、それは、有り無しのものとしてはっきりと分かる。だいたいひとつのコツを掴めば、ほぼそれで趣味の世界は十分と思われる。それを研ぐだけで一生使えそうである。
同じスイングに見えて、コツを掴んでいる人もいれば、コツを掴んでいない人もいる。ひとつのコツを磨き上げて突き詰めた人もいれば、多くのコツを発見した人もいる。
どれもゴルフスイングだ。見た目は変わらない。変わらないように見える。だけれど、見る人が見れば、違いが分かるのかも知れない。細部に注目すれば、全く違うものとさえ言えるかも知れない。念と燃だ。
コツを漢字にすれば、骨である。勘所や要領ともほぼ同義である。所が、コツは、言葉にはならない、身振りにもならない。実際にやってみて自ら治めるしかない。そう考えると、秘伝というようなものって何だろうか、と思えなくもない。言葉で伝えるとはそこに何が込められているのだろうか。
一番大切なものは言葉では残せない。それがあるとは言えるが、どこに、どのように、どうあるかは伝えられない、伝えようとしても、伝わるとは限らない。それでも分かる者には分かる。それはお互いの思い込みかも知れないが。それで十分ではないか、が言葉というものである。
伝わるか、伝わらないかではない。伝えようとした、それでもう十分ではないか、と言うのが言葉だ、そういう話。
コツを言語化するのは難しい。コツとは、バラバラなものをひとつに纏めたものなので、それを言語でバラバラにする事は、コツの再現にはならないし、それで他人に伝わるはずもない。
コツを掴むと言えば、もっとも身近なものに自転車がある。一度自転車に乗れるようになった人は、長い間を乗らなくともすぐに乗り方を忘れないものだ。
自転車というものは、それを習得する時期も大いに関係すると思うが、コツを掴みやすい道具のひとつであろう。それと比べるとゴルフスイングはコツがつかみ難い部類だ。これはひとつに道具からのフィードバックが関係していると思われる。
自転車はどう運転しようと、こけるかこけないか明白だ。ゴルフはとりあえず飛ぶ。手応えもある。コツなんかいっさい掴んでなくとも、打ててしまうし、スコアにも関係しない。
コツというものはきっと幾つもあるんだろうと思う。自転車に乗るコツを掴んでいる人は大勢いる。だけれども、自転車に乗れる人の全員が、バイクトライアルで岩場を自由自在に走り回れる訳ではない。
同じ様に、ゴルフスイングのコツを捕まえたと思っても、それは最初の門をくぐったに過ぎない。恐らく、名人やプロという人たちはもっと多くのコツを掴んでいる。
僕が掴んだのは、左上、左肩、左脇が一体となってればいいんだよ、くらいのものであって、それだけでグンと良くなると思うが、恐らく、これは個人的な経験に過ぎない。このコツが誰にでも伝わるように言語化できればいいと思うのだが。
ともあれ、コツを掴むまでに長い時間がかかる人もいれば、あっという間に掴む人もいる。野球にしろ、テニスにしろ、例えばボールを投げる、打つ、サーブをする、それぞれにコツがあるんだろうと思われる。それらの共通イメージを覚えてしまえば、長く楽しめると思う。
そして、コツは、自分で分かるまでやってみるしかない。ああ、これだ。という感じがあって、それは、有り無しのものとしてはっきりと分かる。だいたいひとつのコツを掴めば、ほぼそれで趣味の世界は十分と思われる。それを研ぐだけで一生使えそうである。
同じスイングに見えて、コツを掴んでいる人もいれば、コツを掴んでいない人もいる。ひとつのコツを磨き上げて突き詰めた人もいれば、多くのコツを発見した人もいる。
どれもゴルフスイングだ。見た目は変わらない。変わらないように見える。だけれど、見る人が見れば、違いが分かるのかも知れない。細部に注目すれば、全く違うものとさえ言えるかも知れない。念と燃だ。
コツを漢字にすれば、骨である。勘所や要領ともほぼ同義である。所が、コツは、言葉にはならない、身振りにもならない。実際にやってみて自ら治めるしかない。そう考えると、秘伝というようなものって何だろうか、と思えなくもない。言葉で伝えるとはそこに何が込められているのだろうか。
一番大切なものは言葉では残せない。それがあるとは言えるが、どこに、どのように、どうあるかは伝えられない、伝えようとしても、伝わるとは限らない。それでも分かる者には分かる。それはお互いの思い込みかも知れないが。それで十分ではないか、が言葉というものである。
伝わるか、伝わらないかではない。伝えようとした、それでもう十分ではないか、と言うのが言葉だ、そういう話。
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