体には重心があって丹田が体の中心だと言う話もある。上半身というのは腰の上に弥次郎兵衛のように乗っているものだから、頭は人間の体の中では重心を上に上げている構造物で 頭の所作が全体の重心に与える影響は大きい。
ゴルフのスィングは、クラブの重さを重力の力を借りて加速し、円運動の遠心力に対しては体と頭の重さの反力で対抗する。遠くへいこうとする力に対抗するのは、上半身である。
この運動において、重心がずれないことは大切だ。トップやダフりの原因となるしクラブに当たらないこともある。肩や腰の向く方向もずれている可能性も高い。では、重心位置を人間はどうやって感覚しているだろうか?
僕の貧相な知識で考えると三半規管だ。これで重力の方向と体の傾きを把握する。しかしこの感覚はあまりに処理され過ぎて意識しにくい。これは簡単な話で歩いていてこけそうになった時に意識なんてしてたら本当にこけてしまうからだ。この自律化された運動能力は余りに乱暴な重心の移動に対しては自動的な制御で介入する。
これは素晴らしい自律性なのだが、時たまスイングの邪魔をする原因になる。運動能力は自律して行われその信号の出力は筋肉のコントロールも含めて高度なシステムで行われるがそこに意識が入り込む余地は非常に少ない。
それは食事と同様で意識してやっている事と無意識(自律)でやっている事を比べればその数量はケタ違い違う、断然に無意識化で行っている方が多い。人間が意識して出来る事は口に入れて咀嚼して飲み込むまでだ。消化し吸収し毒物を除去し排泄をするまで、喉を通った瞬間から意識して出来る事は何もない、排出の時刻をわずかにコントロールできるだけである。
では重心の数少ない入力に何があるだろうか?
これは、足裏の感覚 だろうと思う。地面との接点には莫大な情報がインプットされている。足の前後左右、これが二つ、義足や障碍のある人は少し変わるが。
この8方向からの感覚の入り方から重心を掴むことは可能だ。足裏に意識を持ち重心を安定させる事は出来そうだ。スィングの初めから終わりまで足の裏で感じる圧力で重心が動かないように意識する。
これで、重心の安定がスィングの安定に結びつき足裏に意識を集中させる事が肩や腕などから余計な力を抜くことにもなる。下半身から安定を意識する。
あるとき、スィングが安定しなくて嫌気がさしている時に、ふと踏ん張って打ってみた。この時の足裏の感じを体験しておくのは悪い事ではないと思っている。
2010年2月13日土曜日
2010年2月3日水曜日
練習場より 2010/02/03 - 両腕を一つにしてスイング
練習を重ねてゆくと、上手い下手は別にして、自分なりの軌道が見つかってくる。これは思い込みや勘違いをしているもので自分がまっすぐと思っている軌跡がスライスを生み出す事もある。
クラブが生み出す軌道は感覚として合点がゆく場合もあれば、論理的に予想と合致する場合もある。いずれにしろ、秒速40mの運動に対して人間の動きが其れに追い付く事はない。だから体の方がひっぱられているはずである。よって自分なりの理解というのは、恐らく当たってはいまい、という予測はかなりの確率で正しい。
その証拠として理由も分からずフックが多発する。これがドロー、フェードならまだ許されるがフックだのスライスだの、超弩級だから堪らない。
新しい何かに変えようとしてるので昨日までの形に戻せない。どうしようもなくなると理論体系にすがり付きたくなるが、元に戻せる類のものではないから 試行錯誤を重ねて新しい調整が叶うよう努める。例えば、ショットにおいて、真後ろから直線的な軌跡で打とうとする。真っ直ぐに侵入すればボールも真っ直ぐに飛ぶだろうと考える。
しかし感覚がまっすぐと訴えている場合、体の動きの見落としや無意識の調整は含まれない。真っ直ぐな積もり、に過ぎない事もある。真っ直ぐな積もりが、実際は腰の回転等によりアウトサイドインの軌道で、つまりスライスとなる。
それで訂正しようと後ろ気味にトップ位置を取ろうとしたら左肩の回転と右腕の動きが連動して今度はインサイドアウトのフックとなってしまう。
これらの解決法は、「両腕を一つのもののように同調」をイメージにする事で、それは結局 両肩を主導としたスィングにする事である。そのこつは「両脇を浮かせない」に尽きるのだが、ここで重要なのは両腕の伸び。両腕が伸びた状態では上体の沈み込みでダブりやすくなるから沈み込まないように注意する事。沈み込みは、大概は力みから起きる。
かように、練習中は妄想が浮かんでは消え、消えては浮かび、まるで行く川のうたかたの様。
クラブが生み出す軌道は感覚として合点がゆく場合もあれば、論理的に予想と合致する場合もある。いずれにしろ、秒速40mの運動に対して人間の動きが其れに追い付く事はない。だから体の方がひっぱられているはずである。よって自分なりの理解というのは、恐らく当たってはいまい、という予測はかなりの確率で正しい。
その証拠として理由も分からずフックが多発する。これがドロー、フェードならまだ許されるがフックだのスライスだの、超弩級だから堪らない。
新しい何かに変えようとしてるので昨日までの形に戻せない。どうしようもなくなると理論体系にすがり付きたくなるが、元に戻せる類のものではないから 試行錯誤を重ねて新しい調整が叶うよう努める。例えば、ショットにおいて、真後ろから直線的な軌跡で打とうとする。真っ直ぐに侵入すればボールも真っ直ぐに飛ぶだろうと考える。
しかし感覚がまっすぐと訴えている場合、体の動きの見落としや無意識の調整は含まれない。真っ直ぐな積もり、に過ぎない事もある。真っ直ぐな積もりが、実際は腰の回転等によりアウトサイドインの軌道で、つまりスライスとなる。
それで訂正しようと後ろ気味にトップ位置を取ろうとしたら左肩の回転と右腕の動きが連動して今度はインサイドアウトのフックとなってしまう。
これらの解決法は、「両腕を一つのもののように同調」をイメージにする事で、それは結局 両肩を主導としたスィングにする事である。そのこつは「両脇を浮かせない」に尽きるのだが、ここで重要なのは両腕の伸び。両腕が伸びた状態では上体の沈み込みでダブりやすくなるから沈み込まないように注意する事。沈み込みは、大概は力みから起きる。
かように、練習中は妄想が浮かんでは消え、消えては浮かび、まるで行く川のうたかたの様。
行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかとまたかくの如し。
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