2017年9月10日日曜日

練習場より 2017.09.11号 - 右肘痛

右肘が痛い。これは関節におかしな方向の力を与えたためだろう。無理なスイングは体を痛める。

だから痛くないようにスイングするのは理に適っている。痛くない時は、少なくとも無理な力が掛かっていない。

筋肉や関節は様々な運動を可能とするが、最大のパフォーマンスを得られる向きと、可動するが伝達効率は落ちる向きがある。どの方向が最大のパフォーマンスを発揮するのか。これを意識が知ることは難しい。

だから、いろいろと試してみるしかない。それを脳は見つけ出すだろう。だが、脳が把握する事と、理性や意識がそれを完全に把握する事は一致しない。

人間の意識は体の筋線維の一本一本までを理解するようには出来ていない。それは脳の仕事である。脳は筋線維の一本一本に神経を這わせ、電気信号で制御することを行っている。

例えば、どれを口にいれても安全であるかを意識は知っているが、口にいれたとたん、どう消化すればいいかを理性は知らない。それを脳は勝手にやるように出来ている。もし消化腺のひとつひとつを意識してコントロールするなら、人はあっという間に餓死するか、自分自身を消化してしまうだろう。

これを脳の自動化と呼んでも良いものか。見方を変えれば意識こそが生命の補助機関であって、生命にとって意識は必須ではないのかも知れない。それを人間だけが逆だと信じ込んでいるのかも知れない。

いずれにしろ、試行錯誤とは様々な向きを試す事であって、全く同じことをただ繰り返すだけでは試行錯誤にならない。少しずつ変えながら物理的特性を発見してゆく方法である。この総当たりとも言える方法が基本だが、もっと効率よく戦略したいならば、論理的に攻めたい。

だが、身体に関しては誰に対しても通用する論理性はないだろう。個々人の違いが余りに大きいからである。痛みはひとつの効率化の指針になる。

トップの時、右膝は、外側を向く。これは自然な動きであるが、スイングの時まで、右膝が外側を向いているようでは最高のパフォーマンスを発揮できない。だからと言って、インパクトまでに右膝が閉じるよう意識しても上手くいかない。なぜならそんなやり方ではタイミングが一致しないからだ。

そこで意識すべきなのは、右の腹斜筋である。そこが動く事と右膝の動きは連動しているように思えるし、その後の右腕と左腕の動きも連動するように感じる。

この連動の中で、左腕のトップへの軌跡を意識することが、スイング経路の探索には役立つようである。スイングは通った道をそのまま戻るような機械的な動きではないと思える。戻りの経路を意識すべきである。

スイングは腕に何の力も入れない方がよい。入れたつもりはなくても、自然と力は入っているものである。そこは自然に任せるのがよい。その力は最低限がよい。だからと言って、最低限を下回るまで力を抜くのも良くない。上下に閾値があってその範疇に入るようにするのが良さそうだ。そのためには意識して制御するよりも、自然に任せる方が基本的には良い。

いずれにしても意識が役に立つのはトップまで、そこでイメージを完成させる。そのための時間を作るまでが意識にできる事である。そのイメージも意識が作るのではない。どちらかといえば脳が発見するのを待つ受動的な働きだ。意識には待つことしかできない。意識はともて受動な働きだ。意識的な行動というものを僕は誤解していた。